ソラ〈宇宙〉ネゴト

その日その時に見た夢や ソラからの言葉を
分析して きままにネゴトを言わせてもらいます

たわいもない~

2015-07-13 12:54:57 | 不思議な出来事

多忙の最中合い間をみて目を瞑り、空っぽの頭に飛び込んだ空想の物語は考えもしなかった。

世界同時経済破綻が起きたら、たくさんの人々は絶望に陥るのだろう。
生活に必要なお金のため、お金を稼ぐ会社のために
ビジネス街を通ってた毎日が止まる。
ライフラインを動かす技術者が生活するお金を稼げないライフラインだから
すべて止まる。
医療も福祉もサービス業もすべて止まる。
生産も電力が供給できないから止まる。
そうなるだろうと怖がっている。

確かに始めはそうだろう。
そうなっても、生き残る術を実践している人たちも居る。
ここから空想の物語は始まる。

★   ★   ★
すべて停止したオフィス街。
いつものようにスーツ姿で街に出る。
何もする事がないのに、将来の不安と前と同じ社会が戻る期待を胸に。。
スクランブル交差点の真ん中で、車も行きかう事のない道路の真ん中で
ふと足元に落ちている世界規模経済停止の新聞に目をやる。
彼は歩く事を辞め、うつむきながら涙を流す。
時折風に飛ばされて舞い上がる紙幣たち。
道端で、もしかしたらまたお金の価値が戻った時のために
舞い上がる紙幣をかき集める人。
紙切れになった紙幣を集め、たき火に火をつける人。
お金に翻弄された人生の悔しさのあまり、ビリビリに破り空へ投げ捨てる人。

いつしか彼の背中をやさしく撫でる手を感じる。
彼の傍らには、会社を辞めて自給自足を実践した知人の顔。
おだやかに微笑むその人は、昔自分が軽視し、嘲笑った相手だった。
でもその人は、やさしく声をかける。
「大丈夫だよ。君の家族の分まで生活できる食べ物ぐらいあるからさ。
もうそんな背広は捨てて、これを着て一緒に作ろうよ。」
土で茶色になったTシャツを差出し、もう一度背中を撫でる。
彼は自分の愚かさと、お金を得る為ではない
誰かのために働く人に救われた。
ある所では、老後のために貯め株で設けた数字が消えて
不安が募る主婦や老人。
子供は傍らで母親の不安を感じ泣き叫ぶ。
でも、その傍らにはお金では動かない誰かのために動く人がいる。
小鳥が紙幣をくわえ、巣作りを始めた。
★  ★  ★
それこそが日本人の誇れる神気ではないだろうか。

世界中で止まる電気や水や食料に不安、絶望するけれど
お金を燃やして稼働してるのではない。
自然や技術を動かす資金がライフラインを動かし
その資金をもらう生活者である人がライフラインを動かしている。
経済が破たんしてお金がストップしても
一人一人の技術者たち、気づいた人が
誰かのためや家族のために動かす行動をとれば
ライフラインは稼働する。
自然天変地異ではなく、世界経済破たんは人工的なモノの天変地異であるから
なにも恐れる必要はない。
目の前の恐怖に駆られると見失う。
世界中すべてがストップした後には
必ず動き出す。
本当に必要なモノが生まれ、再稼働する。
日本人て、世界のお手本になる民族性が備わってるからね。
放っておけないいいところだな。

や^~~、長い文章ですいません~。
あの時に浮かんだ物語の空想映像はなんか書きたかったから。(笑)


日本の貧困

2015-07-07 19:11:21 | 日記

久しぶりの投稿なのに、なんか気の重い事を書くけれど

ある友人の話で、貧困の話が出た。

 

で、色々ディスカッションしたけれど
どれだけの貧困家庭もしくは貧困独者が居るのか把握できない。

戦後間もない頃、国民のほとんどが何も無くなってしまった
国民総貧困時代が有ったと思う。
子供たちは飢えに苦しみ物乞い、女性たちは身を売り生計を立てた。
老人は?

 生痕逞しい人は必死に生きる知恵を働かせた。
では弱者は?

何もない総社会からのどん底と
何でもある総社会からのどん底では苦しみも桁が違うのではないだろうか。

「2012年1月27日公表の2008年現在データでは、ひとり親無職の相対的貧困率は52.5%で、有業では54.6%と働いているほうが貧困率が高くなっている[8][9]。このため、ケネディ駐日アメリカ合衆国大使(第29代)からは「日本は、仕事をすることが貧困率を下げることにならない唯一の国」と評されている」

そうなのかどうかは定かではないけれど、そんな文言が有った。

どういう事だろう??
国の問題なのか?
日本人の意識の問題なのか?

難しい国になってしまったよなぁ。。

ただ、一つだけ戦後と現代での同じ意識を持たなければならないのは
プライドを持つ事でも
すがる事でもない。

生きるという心のチカラを持つという事ではないだろうか。
生きてこそ何ぼのもん。
生きてればイイ事がある。

声をかけ、来る人はまだいい。
情報もコミュニケーションも何も得られない人が居るのは確かだ。
どれだけ居るの?
混沌とした何でも有る豊かな国ニッポン。


模索中!

2015-04-19 10:51:45 | 日記

年には勝てない事ってあると思うんです。

物忘れがひどくなったり
動きが緩慢だったり
やる気が起きなかったり。。。

それは人それぞれなので、
頑張ろうとしても本人は悔しいでしょう。
周りが頑張れといっても
みんなと同じようにはいかない苦しさもあるでしょう。

現在70歳を過ぎた方が他の方と働いています。
明らかに頑張ってるけど、抜け落ちた行動が目立ってきてます。
でも諸事情なのでしょうが、頑張ってます!

どうしたら、そのような方が無理せず働ける仕事を見つけられるか
また、同じ働く方々がフォローできるか、気持ちが有るかです。
その方は車を運転して通勤するわけなので
危険性が有るのは間違いありません。
先日も通勤途中に溝に落ちて来られませんでした。
ケガもなく大丈夫でしたが、これからは判りません。

たぶんこの事を上に報告すれば、その方は職を失うでしょう。
でも、今後どこまで続けられるか
また無理される諸事情の区切りをご自分でするか。
雇用側もどこまで社会貢献として
受け入れられるのか。

いずれ私たちも同じような問題にぶち当たります。
働きたいけど、働けない。
頑張りたいけど、頑張れない。

資本主義社会が、たとえ豊かになったとしても
理解して助け合う事ができるとは言い切れない日本。

今どのような仕事をしてもらうか
また、本人の危険性を知る上で働いてもらうのがベストなのか
身近に起こった、模索せざるを得ない大切な問題です。







デジブック 『言 霊』

2015-04-11 17:29:24 | 日記

デジブック 『言 霊』


明けましておめでとうございます

2015-01-07 17:08:36 | 日記

なんやかんやで 七草粥の日になってから

新年のご挨拶になってしまいました。m(__)m

 

去年もいろんな事が重なり
たくさんの学びができました。

人は、多くの事に必死になって
乗り越えて成長すると思いますが
苦しみを修行とし、中心に置く方も居ます。
これはあくまで
目的のための過程だと考えたほうがいいかと思います。

なぜなら、人は苦しみを多く記憶に残し
人によっては、素直さが失われかねないからです。
人はさまざまで
強い人もいれば、怖がりな人や臆病な人もいるから。
また記憶の容量が多い人もいます。
それを理解した上で
立ち向かったり、頑張ればいい事で
他の人に合せることもないと思います。

何よりも大切なのは
その人らしく素直に聞く耳や知る事や
自分らしく話せるかだと思うんです。

年を追えば、多くのハードル、考える事が出てきます。
周囲の助言や智慧を素直に聞き入れて
自分の善き記憶として残せるかで
将来役に立つものだと思います。
へたをすると、おへそが曲がったり
素直に受け入れる事ができない理由も
ひょっとしたら
修行の様な我慢や苦しさの記憶が
勝ってるからかもしれません。
また当たり前だと思ってて
癖になることも有ると思います。

人はけっこう柔軟であって
馴れるものです。
ならば、善い記憶である目的達成した事や
今おかれてる解放の悦びや愉しさを
味わってもいい事だと思います。

なによりも、怯えたり
要らぬ想像を膨らませず
今年は 大いに笑いましょう!





面白いビジョンが!

2014-11-06 14:05:23 | 不思議な出来事


タワゴト

2014-11-05 10:59:02 | 日記

身の引き締まる思い

 

生きてる間、一度くらいはそんな時が有ったとおもう。

あまりに幸せでうまくいってる時は、人の言葉をすり抜けてしまうのも仕方のない事ではある。

 

幸せでうまくいってる時こそ、身を引き締めて大切な事を大切にしているか

自分の足跡を振り返るのが「愛」という漢字 だと知った。


「愛」は
ゆっくり歩いて振り返る姿・・・これが本来象形文字から成り立っている。
感謝や悦びや慈しむ心の表れを表現するのが言葉の「愛拶」


忘れがちな現代の文化でも
簡素に表現できるのに、一方通行の表現では
単なる自己満足でしかない。

人と人が必ず関わる。
家族、友人、グループ、仕事。
人を介さない環境は存在していない。
たとえ、相手の顔を見る事がなくても。

見える人、見えるモノ、見える幸せだけに囚われてはいないだろうか。
眼を閉じて、見えない人、見えない環境やモノ、
そして、見えない自分を振り返り
ゆっくりと歩み、見えない「愛」の言葉に
怖がらず、身を引き締めて進めたら
見える世界も見えてくるんじゃないだろうか。

ある映画で盲目の母親が周りの反対を押し切って子供を宇産んで育てた。
小学校の入学前に「目の見えないお母さんは嫌いだ!」という場面。
同じ盲目のお父さんに
「お母さんは心の眼でお前の事は何でも見えてるんだよ」と云った。
「眼を閉じてごらん。お前のために今ご飯を作ってる匂いがする。何を作ってるか判るかい?
そこは台所だね。目を瞑っても見えるだろ?」
入学式、子供は盲導犬を引いた母の事を話す。
「僕のお母さんは目が見えません。盲導犬はお母さんの眼です。
僕は、お母さんに心の眼で育ててもらいました」

わかるだろうか?(笑)
 

 

 


デジブック 『My Life』

2014-10-01 10:12:03 | まこも健康倶楽部

デジブック 『My Life』


御嶽山の噴火

2014-09-27 14:50:56 | 不思議な出来事

昨年8月20日、御嶽山に行った。
いつかは行くべきところとおもっていた。
雲が立ち込めてたけれど、
下山間際なかなかお目にかかれないという 山間の幻の滝を見る事ができて
とても嬉しくなった記憶がある。
想いを馳せ、手を合わせた。 
忘れ去られた犬神。
恐れられた犬神。
でも本来は違うのに。

人々にとっては嘘がつけない神の化身。
害を及ぼす物の怪や人々を導き守る神でもある。
それを知っての封印された化身の黄泉がえりを願 ったな。
お詫びと感謝の念だった。 

今は犬神信仰など、程遠い観光地になり
多くの人が訪れる。

一年経った9月27日午後、噴火した。。
レベル3
けが人も出たようだ。
秋晴れの気持ちの良い土曜日だったので
人が多く訪れたに違いない。
大きな災害にならない事を祈ります。


 


あららら~~!

2014-09-26 16:43:03 | 日記

ブランクがずいぶん空いちゃいました~。

人生の中で節目と云うか、そんな出来事が有ったので
また再開してみようかと。。。
まぁ、こんな調子のイイ加減

を楽しむところが有りますが
書く事は少々真面目な事も、本音もここだから言えるとおもってます。

まずは再開一発目として
「生」と「死」について、こんなんなっちゃった頃から・・
いえいえ、もっと前からかもしれません・・・
人生は生と死の最初と最後という考えに
人がいかに向かい合うかで、
自分にとって最善な人生が送れるかが決まると
思ってるんです。

心が喜べば、苦しい事も悲しい事も立ち向かえるんじゃないかと。
心が喜ぶって何だろう。

本音と建て前みたいに、心で思っても
世の中に置かれてる体の一部の思考は
こう有るべきだの、常識だのと今まで学んできた知識に則って
行動しなければならないと不安や恐怖、勇気が出ない。

それは最も楽で、波風を立てないでいられる。
でも、心の中ではこうしたい、ああすべきと思っている。
目の前に突き付けられた物事に
自分がどれを選び、何が最善か。
どちらを選ぼうと、後悔をしない事。
選んだ物事をあとで周りに何を云われようと
自分に自信を持つ。

どれをとっても自分にとって正解だと思う事。
確実性だの、不確実性だの計り知れない事でもある。
ようは、自分が納得し自分なりの最善を尽くしたことに
堂々と胸を張って生きる事だと思う。

もっと言い足せば、相手の思いも理解しながら
自分の本音を表に出すといいとおもう。
自分の置かれてる立場も考慮しなければならない。

もし、トップで有ったりリーダーで有ったり
決めなければならない立場であるなら
自分なりの道をしっかり決める。
どうしたいのか
どうありたいのか
本音は?

建て前で物事を決めたとしても
それも自分の責任なんだから。
他は何も責任を負ってはくれない。

人生の生きてる間
後悔だけはしない生き方を。
死ぬ間際、幸せだったといえる生き方を。

周りの生き方ではなく
自分の生き方が人生なんじゃないかな。



 


あの時の事を思い出した・・・

2013-09-01 21:04:30 | 日記

昨日のつぶやきのような事を書いて
今朝、道が開かれた。

おもしろいんだな、このブログ書くと
そのあと必ず答えが導かれる。

ソラネゴトを書いてかなり経つけど
こういうことが起きるから ついつい変な話をしてしまう。

という事で、2010年4月13日(おっ!私の誕生日の次の日だ)
におもむろに書いた日記を。。。笑

 

昨日は一日中雨だった
兄からの電話で明日の予定は一週間延びた
・・なので 明日晴れたら「穂高神社」に行こうと思った

今日はお天気が良い
それでは長野に行くかと お弁当を作り花見気分で出かけた

久し振りの晴天は 予想以上に暑い日だ
白樺湖付近から 上田方面を通り
途中寄り道しながら 穂高へ向かう

穂高神社は 駅のそばだった
境内には 樹齢500年ほどの木々があった
本堂は新しく ヒノキか杉の香りを漂わせてた

本堂に手を合わせようとしたら 
後ろで 真っ白なニワトリが本堂真正面にあった
神楽舞台の上で コケコッコー!と2度鳴いた
突然なのでこちらはビックリ!
また鳥だね(笑)と 有難く本堂に2人手を合わせ終わり
後ろを振り向くと 姿形もない状態
眼で探したが どこに隠れてるのか解らない
少し散策しながら車へ戻ると
駐車場にある工事トラックの荷台に
お出迎えしてくれた雄鶏と雌鶏がなにくわぬ顔で
こちらを見てた
おもわず「ありがとう」と礼を言って 帰ろうとしたら
コケコッコーと鳴いてくれた

穂高を後にし 別ルートで帰ることにした

塩尻方面に向かい りんご畑の間を通り
道に迷いながら ふと見た場所に目が留まった

車を降りて停めた場所は 「本宮 熱田神社」と書いてあった
なんとも静かで おごそかで 空気が違うのを感じた
それもそのはず、鳥居の脇の「樅の木」だ

樹齢1000年以上の日本一の樅の古木とある
圧倒されるが 境内も含めとてもいい気持ちの場所だった
デジカメで撮ったが 画像をUPできないので残念だ
ここのご祭神は「梓水大神」様だそうで
梓川の守護神という
樅の木の古木に巡りあえただけで嬉しい日だった

我が家へ着いて 夜空を見ると
満天の星空・・・少し疲れたけど気持ちの良い夜風に星

食事を済ませて 何故かふと思い出したあの日の事
つい最近 夜コンビニへ行く途中の
あの物体は何だったのか・・
思い出しても不思議な物体の様子は
地球上の生き物ではない気がする
さまよえる霊でもない

道路直ぐ脇の林に入ろうとする所を目撃した
横から背中にかけてを見たのだけれど
背中は真ん丸く 全身ねずみ色で首辺りと背中ラインが黒い
2足歩行をして 林に入っていった
当初 15mほど離れた道でライトに浮かんだ姿を発見した時は
人かと思ったが やけに不恰好だなと感じた

だんだん近づき 動く姿が妙で
背丈は1m30位と思う
大人じゃないと思い 動物かなと考えたがシッポがないし
2本足でゆっくり歩いていた

直ぐ脇を通ると まったく姿がない
その間の時間は数分だろうか

通り過ぎて 「何を見たのか」見当もつかず
初めて遭遇した 得体の知れない生き物だった

それから2~30m行った電柱そばの林に
大きさは 思い出すと縦50cm、横30cm位の
白光を放つ まるで次元の扉のようなモノ
それは不規則にパッシングするような状況だった
わたしはとっさに 木にぶら下がってる金属が
ライトに反射して 風にゆられているんだろうと思った

そこをゆっくり走り確かめたけど そんな物は無く
単なる木々の林しかなかった
地面から人の胸辺りぐらいの高さにあったはずの光の物体は
今から思うと何だったのか
いまだに解らない・・・

なぜこんな事をふと思い出したんだろうか

 



 
 




 


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2013-08-31 22:12:51 | 不思議な出来事

 

色々な出来事に いま道に迷っている。

共通性はあるものの どこから手をつけてよいのか。

まさに封じ込めといった状況だな。

そんな時は別の方向で 別の目で 別の事をする。
先に進むと どこに行きつくのか判らないが
ただ先に進む。

まわりの出来事に 一呼吸おくと見えてくるはずだが
何かが違う。。
何が起こっているのか
何が起ころうとしているのか。。。

 


なぜ恐れる⁉

2013-08-27 11:45:22 | 日記

人は未来に恐れる。。。

まだ見えぬ事柄や 先の見えぬ未来に。

自分自身で想像を膨らまし 自分で恐れる。

もしかしたら・・・
きっと・・・
そうかもしれない・・・

いつまで自分の想像の世界に浸り
恐れをなすのか・・・

なぜ・・・
こう在りたい!
そうしたい!
きっとそうだ!
・・・と 自分自身で善い創造をしないのか。

過去に振り回され 未来を見ず
ただ恐れおののいて 闇雲にしがみつき
狭い 暗い穴の中に隠れてる自分すら見失い
自分を肯定し 他を否定し 自らの運命を
恐れの中に 閉じ込め 
身動きの取れない自分を責め

そこに何が生まれてるのかも見えない盲目の人よ!

恐れるモノは自分で作り 自分を追いつめてるだけにすぎない事を知りなさい!

だれも創造を拒む者などいないのだから
すべてを自分に任せ 愛する者に任せ
まわりを見なさい!

恐れる自分から変わろうと目覚める事ができるなら 
いつでも導火線に火をつけよう!
人にとって 嫌な者になろう!

自分を鏡に映しなさい!
逆に映ってる自分を 見つめなさい!

自分をさらけ出す事の出来る人ほど
美しいものはないのだから。

そう信じて 恐れないで!

私はいつも愛してるのだから!
たとえあなたを愛する者が たった一人でも 
愛される重さは変わらないのだから!

 

 

 


もうひとつの詩

2013-08-26 22:09:30 | 日記

さっき書いた詩と同時に書いた詩があります

翼を持ってるのに 飛べない天使たち

光指す道は 目の前にあるというのに

飛べない天使たちは なにをためらうのか

きらきらと舞い降りる 雨の雫さえ 愛せないのか

闇に光る稲妻さえ いとおしくないのか

目の前にある 光指す道は

天使たちの翼に 潤いを与え

風と共に 飛びたつことができるというのに

天使たちよ あなたの翼をみてごらん

水鏡に映る あなたの翼は

光よりも 崇高であるのだから

すべてを受けいれ

ソラへと飛びたて!



2つの詩には なんの意味も含まれていません
読んだ人が それぞれ感じればいいので
人のとらえ方は 人の数だけあると思います

ただ窓越しに 小鳥たちのやりとりに耳を傾けて
浮かんだ詩です。

むし暑さの中だからこそ 一時でも心地よい空間を
自分で作る努力は 心を穏やかにしてくれます。

 


つれづれの詩

2013-08-26 22:07:46 | 詩・物語

この詩と「もうひとつの詩」は前に書いたものですが
もういちどUPしました。



夕方 少し涼しくなったので
風に当たりながら 詩を書きました

ただ思うままに書いたので 
文面はメチャクチャです

 

目に見える ひとかけらも
わたしは 何を知っているというのだろう

夕暮れにさえずる鳥たちの会話

風が吹くたび 木の葉の一枚一枚がゆれる

水面にそそぐ 岩清水

青い空にたなびく雲

木陰からさす陽の光が 露のかけらに反射して

虹色の宝石をつくりだす

虹色の宝石は わたしに云った

あなたは わたしのことを
どれだけ知っているというの?

わたしは 目に見える ひとかけらも知らなかった

きっと みるだけで精一杯だったんだろう

目をさませば 世界がかわる

あなたの目にうつる世界を 見てごらんなさい

知ろうとしてごらんなさい

感じてごらんなさい

わたしたち人間が 傲慢であったか

きっと気づく時がくるから・・・

この世に 過ちなどない

この世に 正解などない

ひとつひとつが過ちで

ひとつひとつが正解なんだから・・・

それでも わたしたちは

この地球で生かしてもらってる

小鳥や 木や 水や 風たちと共に・・・・・

 

人やモノにやさしく生きられたら いいですね