ソラ〈宇宙〉ネゴト

その日その時に見た夢や ソラからの言葉を
分析して きままにネゴトを言わせてもらいます

排除するとは

2010-05-31 12:33:26 | 日記

このところ 色々な面から探求してました。

天気は 冷え込んだ日が続き
誰の眼にも異常だとわかる

今日仕事場の職員さんが移動になった。
他の人たちからすれば 彼女はきつい性格で
感情の起伏が お婆ちゃん達に影響を及ぼすと考えた理由らしい。

私はいつも中道の構えで 観察者にすぎないけど
人それぞれの性格に合わせ その人が心地よい場を創る事にしている。
傍から見れば その様子は「八方美人」かもしれない。

でも私は思うんです。
場の調整とは 自分本位ではなく 
その人がどれだけ心が安らぐかを考えて
周りが創る・・それを本人が気づくように仕向ける

だれしも 一人の人の感情起伏に影響されて
「その場の雰囲気」が乱れる経験があると思う。

それを感じ取ると 排除または逃げる
人の感情・・性格というものは 出すエネルギー側と
受けるエネルギー側の対立のようなもので
どちらも自分本位な主張だと感じる。

今朝の彼女は最後の時で とても重苦しく 
悔しさも含んだエネルギーを手にとるように感じた。

彼女は 最初は確かにきつい性格をあらわに出してたけど
あえて私は話しかけ そのうち優しく穏やかな彼女を見いだせた。

それでも諸事あれば 乱れる感情の場を
僭越ながら調整させてもらった。

前にも書いたけど 一人のおばあちゃんも
他からつまはじきにされ 職員さんまでもきつい言葉を投げかけてた。
だからこそ私はあえて そのおばあちゃんに話しかけてた。
今では 他のおばあちゃんにお菓子を剥いてやったり
朝の挨拶や 笑顔で答えるようになった。
本人が変わっても 周りが気づかず
過去の記憶をひきづって対応すれば
また元に戻ってしまう

移動していった彼女は ぽつんと悲しげに言った。
「いままで1年ごとに配置換えがあった。
あと2年頑張れば辞められる」と・・・

問題を起こす側も それを監督責任を負う側も
どちらが悪いなどと言わないけど
どちらも 問題を排除するのではなく
「気を使う」ことをして 解決策を探るべきだと思う。

「気を使う」という本当の意味は
自分の本当のエネルギー(気)を
相手にどのように使い よいエネルギーに変換させるか

排除、斬る、攻撃、対立、ではなく
変化、進歩、活力にする努力をしなくては
いつまでも いつまでも 堂々巡りの同じことをしてしまう。

4、5月頃から 私の中では 
みんな持ってる負の部分が 大なり小なり噴出してくると感じてた。
生きてるもの全ての中にある負のモノ

それを教えてくれた存在は  数えるほどしか知らせてこない存在で
それも単語のみの言葉しかなかったけど
その時 運転しながら長い時間話し続けた。

その後日、落ち着かない気持ちを抑える為に
近くの山へ行った時 mixiのつぶやきでも書いたけど
「山が動く」と感じた。

それから程なく山が噴火したとあった。
それでは済まないと感じたら 
最近、別の場所での噴火

その存在の話の内容は 神々の事と人間の事(上と下の仕組み)
これからどうなるのか、今をどう生きるかなど
質疑応答もあれば 逆に問答のような場面や
たとえ話など 運転しているので書き留めることも出来ず
正確ではないけど 理路整然とした答えが返ってきてた。
時には疑い、時には意地悪な質問をし
そんな時間を過ごした。

経済や気候変動 災害や人の心の乱れは
人によっては 負の連鎖が予想されるという人もいる
小さな場では 仕事場や家族内で
人間関係の負が浮上するかもしれないけど
それは ひとつの吹き出物が出たと思えば
そう大変な事ではなく むしろデドックスだと考えて
その後の再生した蘇った若々しい肌を創造したほうがよいと思う。

そのための過程であり
落ち込んだり 怖がる必要もなく
それと同時に 覚悟を決めて対応したらよいですよ。
「私には関係ない、大丈夫」といっても
直接なくても 周りに遭った時を想定して覚悟してますか?

多くの人は 他人事であったり
創造を拒否し 覚悟をしていないように思う。

周りを善くし 自分を善くするには
排除しないで 堂々と受け入れる!
逃げないで 立ち向かう!

実践では 出来てるんですから
気づきましょうよ!

ゴミは はじめから ゴミではなかった
はじめは 新しく きれいで 
みんなが欲しがるモノだった

だから 
眼に見えるモノ全てを愛しなさい!

この言葉は そのときの存在からの最後の言魂でした



 

 
 



 


つながる意味

2010-05-21 19:46:57 | 日記
人それぞれに 短所長所が必ずある

完璧な人は居ないでしょう

だからと言って しあわせになることは別の話

人は幸福感を得るために 日夜努力している

どんな人にも しあわせを得る権利がある

善い行ない 善い考え ・・・・・
それでも得られない人は 俗に言う「カルマ・業」と云われてしまう

原因はそれだけではないと思った

たとえ自分の前世の「カルマ・業」を気づき
方向を修正しても 一向に得られない人も居る

それは何故なのか?

「陰」と「陽」の世界だから 

前にも書いたけど 人の身体は磁石のようなもので
宇宙のエネルギー、地球磁場、太陽と月、男と女・・・
すべてはその法則に沿って動いてる

簡単に言えば 短所・長所も法則の一つで
短所を直せば善いのだけれど
そう簡単には直せない

DNAに塗りこまれたような「遺伝だから・・」で片付ける事もある

その「遺伝」は 私達が考えるほど短いスパンの話ではないかも知れない

それだけではなく 別の作用が働いてることがある

仕事場のSさんの弟さんは 14歳の時突然精神障害を起こし
当時、ピョンピョン跳ねるしぐさをして
それ以後まともに話せないと言う
この方の場合は 特別な例だけど
日常に 突然怒りたくなったり、
無性に食べ物を食べたり
愚痴ばかり言ったり・・色々あるけど

異常な行動は 短期的も 性格としても
生活の中では 困った事だと思いませんか?
ストッパーの働きをしたり
仕事の邪魔になったりと 厄介なものです

医学的な判断をしていますが
解明はされていませんね
お医者さんに質問しても 明確な答えが返ってこないのは
眼に見えるものではないからでしょう

眼に見えない世界のほうがほとんどで
視覚で判断するものなど わずかな世界

宇宙の未知の世界は 想像を絶するような世界
それを考えたら 卒倒しちゃいますよね・・・

話はずれちゃったけど
はたまたこれから 実験を身近な人で試みたいと思います

何の?

どんな人も短所を変容して 上とつなげて しあわせになる方法です

その人が想うしあわせの形です

ただし あからさまな煩悩は無理です、きっと・・・・


 

庭のかたすみ

2010-05-19 20:56:09 | 日記

写真の花は 以前年老いた母親にセージの苗を送り
大きく育って 風変わりな花を咲かせた
そのセージの一枝を送ってきてくれた。

母は植物を育てるのが上手で いつも話しかけるのだそうだ。
まさか小さな苗が 60cmにも育ち不思議な花が咲くとは・・

我が家の隙間の庭には きゅうり、トマト、ズッキーニ、インゲンなどの
苗や育苗したヒョロヒョロの苗を植え
他の隙間に セージ、ミニバラ、ブラックミント、ラベンダーなど
狭い狭い土に 賑やかにがんばっている。

今年は不思議と仕事場から フユシラズの花、つるキキョウ
高山植物などを次から次へ頂く事が多い。

5年前までは 植物を構う暇もなくて自分から育てることをしていなかった。
今では 母と同じ様に声をかけながら育てている私がいる。

人は変われる・・そう思っていた。

でも変れない人が居るのも事実だと感じた。

昔だったら悲しくなるのが 今は諦めというか
仕方ないと思うことが多い。
そういう感覚ってあまり善くないのだろうか・・・

最近の若い人は気持ちを切り替えるのが早い。
諦めが早いといえば良いかな?
結構私も諦めが早いほうだけど
どこか心の中で 見捨てられないなんて思って・・・
最近は 何かが起これば力になればいいと
楽観的に考える自分の変容振りに
我ながら変わるものだと感心してしまう。

これも 自然に耳を傾け 風を感じて視てるおかげだろうか。

心がゆらぐ時 空を見上げ 眼を瞑って木々の姿を思い出し
あの時の風を感じるのが 私の瞑想法でもある。
そうすると 心が穏やかになり 温かくなる

おだやかな生活がままならない都会は
心を落ち着ける場所が少ないけど
見て、経験した自然の感覚を思い出す事をしてみたらどうでしょうか。

あまり記憶になければ 郊外に行って自然を感じてみたらいいですよ。

ジィ~~と風を感じ 木々にしがみつき
草の香りをかいで そぉ~と眼を瞑り 記憶を身体に刷り込んで・・・

とても心地よい記憶は 心のエネルギーになって
身体全体に行き渡り 細胞を活性化してくれると信じてます。

事実、科学的に立証できるんですよ。

さぁ 今晩はUFOを想い描きながら寝ようっと。 




  
 


仕事場で聞いたニュース

2010-05-14 13:45:45 | 日記

昨日UPしたSさんと仕事場で
「昨日一日、庭の木と隣の寺跡の木の周りを綺麗にしたのよ」

夜勤明けで眠っていないのに 家族の事を思いつつ
一生懸命気持ちを表したのでしょう

人の気持ちは 魔を切るお払いをすればいいと言うものではなく
心から 守ってくれる大きな存在に敬意を払う

「お払い」というのはそういう意味なんです

宇宙の存在、地球の存在、自然の存在、先祖の存在・・・
次元や場は違えども そのおこないは
一本の糸と 沢山の結び目で細部まで繋がっていると思うんです。

今日のおやつの時間に読んだ新聞のニュース

「毎年3万人の自殺者がいる」
「その50%が20~30代」
「交通事故による死者は9000人」

恐怖と失意がこのような結果になっている

自ら死ぬ勇気があるなら
死ぬ覚悟で生きてください!

必ず生きる道はあるはず!

厄神を福神に変えるのは 神様でも宇宙人でもなく
私たちだから 私たちの誰でも持っている
マイナス磁場を
バランスよく整え マイナス磁場とプラス磁場の間に発生する
「神」を 自分により良い「神」のエネルギーに造る事

別の次元の存在方は 導く事をしてくれても
手を出し 助けることはしてくれない

私達が何を気付き どう生きるか
そして 何を創造するのか 何を想像するのか・・

誰一人として 自ら命を絶つ目的で生まれたのではないのだから

それでも 生きていけなかったら
私の所に来ればいい

お金がなかったら 歩いて、歩いて、来ればいい

でも私を頼ろうとしても 何もしません
私は話を聞くだけです

死ぬ勇気があるなら 死んだつもりで歩けばいい

あるお友達が言った言葉がある

「先立たれた親の残してくれた遺産は 自分だと気付いた」
「両親のDNAを引き継いだわたしが唯一の宝」

精神世界の方たちは 
「肉体は入れ物にしか過ぎない」という
「自分はこの家の魂ではなく 違和感がある」
私もそんな時がないわけではなかったけど
その家に生まれ、育った事には間違いはない
ウォーク・インなど転生もあるけど
その肉体は 借り物であっても使っているのだから
無視する事はできない

その出所は 両親のDNA細胞
今、生きていられるのは 
両親のおかげ
祖父母のおかげ
ご先祖様のおかげ
地球創生の大地や水や火のおかげ
地球に移り住んだ宇宙人のおかげ
もっと広い宇宙の存在のおかげ
・・・・

きりがないほど 想像がつかないほどのおかげだと思う

そう考えれば 私たちは失礼をしてないだろうか
敬意や愛情を払っているだろうか

自分を滅するなど 失礼も甚だしいと思いますよ




 





 


昨夕と今日の事

2010-05-13 20:46:24 | 日記

やっとUPしたこの花は いつも導いてもらう天神の木の下に
可愛らしく咲いていた花です
名前はわかりませんが なんとも鮮やかで 優しく咲いていた

この場所を通るたび 「ありがとうございます」とつぶやき
疑問にぶつかると 必ず答えを出してくれるんです

その天神の木のイワレがいつも判らないでいたんですが
2日前に あるひょんな会話から導かれた気がします

仕事場の職員の方Sさん・・4月から移動で私のいる場所にきました
あまり話すことをしませんでしたが
突然Sさんが 「家の蕗を取ってきてあげますね」と言ってくれました。
それだけじゃなく、使ってない畑を無償で貸してくれると云う。

「へぇ~、ありがとうございます。ところでお家はどこですか?」
よくよく聞くと 家から直線で下の集落だった。
お互いの家の確認をしたら Sさんは
「良かったら取りに来ない?12日午後6時ごろね」と
ドンドン決めていった。
それから Sさんは止めどもなく話し
不思議なことを話したんです。

Sさんのうちの側には鳥居があって
Sさんの隣の家が 鳥居の入口に畑を作り始めてから
一家がひどいことになって・・・

自分のうちも その場所に移転してから色々あって・・・

鳥居の奥の山は「天の山」と言う事

小さい時 その山によく登り遊んでいると白装束の昔の人が
空中を飛んで歩いているのを自分だけ見た事
などなど 何故か私に話すんです。

云いたくもないのに つい口を滑らし
「私、視えないけど感じたりする事できるんです」・・ヤバイ!勝手にぃ・・
するとSさんは 腑に落ちるような言い方で
「やっぱり~、呼ばれてるんだぁ」と云うんですよ。

それはどういう事かと思いながら
まあ、行くだけは別にいいと思い 昨夕でかけた。
行ってみて これはひどい状態は一目で判った。
そりゃあ 失礼でしょうし 神も仏もあったモンじゃないとはこの事か?

とりあえず蕗取りをしながら話し
ふと横を見ると 端っこの汲み取り口の近くに
おじいさんが供えたお地蔵様が2体・・草茫々
私は直ぐその前に行き
草をむしり 「気持ち」の話しをして 代わりに手を合わせた。
万が一のために塩と五穀米を持参したので よかったです。

私は心の中で たとえ已むに已まれずの現代とはいえ
「ごめんなさい」のひと言は供えたからには唱えるべきと思った。

そうしてたら おばあちゃん(お母さん)が出て来られ
「ありがとうございます、これ持っていって下さい」と蕗煮とみかんを頂いた。

それからSさんは あちこちの敷地を案内し
色々あった話をしたんです。
話を聞けば聞くほど 凄い事が判明し
うわぁーと思い とにかくSさんに
どのような気持ちで どう対処し 過ごせばよいかを詳しく話した。

とりあえずは 敷地の木々や隣の寺跡の木にお願いし
「難」を「福」に変えていただく様御礼をしたんです。

薄暗くなってきたので こういう時間は気をつけなくちゃ
ご家族に御礼を云うと Sさんは気を使い
別ルートを教えてくれたけど 何故かまたもや私は
「鳥居にご挨拶して行くから」と・・あ~まただ。

鳥居の前に降りて見ると 「八雲神社」と書いてあるんです。
うわぁ~・・・です。
なぜなら Sさんの話を2日前にいただいた時から
私の中では「牛頭天皇」が巡ってたんです。ひょっとしたらと思ってたんで・・

昨夕の話の中で この集落は
源氏の落人が居たらしいとの事、
この山の上では「祇園祭」をするという事、
中腹の所有地から 剣や石塔がいっぱい出てきたという事

牛頭天皇は敵無しの厳しい龍王で 八代龍王の筆頭地位とか
スサノオ(出雲系)とか・・

帰る車の中では 凄いところだったのに
何故か身体が軽く 重い気持ちではなかった。
むしろ肩の荷が下りたような気もするんですよ。ヘンなの・・

そして今日 仕事が昼でいったん終わるので
やっぱり行きたくなって 天の山へ登ったんです。
階段は50段ほど 鬱蒼として手入れが施されてるとは思えなく
とにかく上ると 屋根は吹きかえしているけど
古いお堂と祠がいくつかあり 寄せ付けない気がある。

まあまあ、それを無視して
「どうぞこの集落をお守りください」と 手を合わせて下ろうとした。
少し降りたら 突然突風が吹き
その時感じたのは この山には竜神が住処にして
出てきたと感じた。なぜなら背中がゾクッとしたんです。
怖いっていう感じじゃなく 竜神がお出ましになったって感じかな。

それから弱くなった風に吹かれながら
「なに者ぞ!」って入ったので 「やちよです」と云ったら
また突風が吹いたんです。
かなり古い龍神さんのような気がしました。

とにかく下まで来て 事無く家に帰る道すがら思い出したのは
このラインで昔、かなり大きなUFO球が落ちるのを見たことがあるんですよ。
それからそのラインの天神の木に寄った時
ふと感じた事は これは天神の木が仕掛けた「糸」を繋げたという事。

帰ってきて苗に水をやろうとした時
ふと入った言葉「ワチガミ」
えっ、ワチガミ?と独り言を言った途端
額の中央の所に もの凄い光の玉がハレーションを起こして見えた。
私は偏頭痛を持ってるので そうかと思ったけど
暗がりに入ると見えなくなって 
外の光を見ると 見るもの全てが光り輝いて
その中央がより光る玉をなしていたんです。
あれは白というのか・・・ 説明出来ません。

それからは 身体の芯がゆらがない強さみたいな・・
でも 自分という意識と真は変らない・・なんかどっしりした気分になりました。
上半身は軽いです。でも他は何も変らずの私ですけど。

天神の木の傍らで 2年前ダンナと見たサーチライトをコウコウと付け
音もなく低空したUFOや無数の飛行物体

大きな球体の落下目撃場所といい
昔からイワレのある場所は なにか次元と関係あるのかもしれない

望んでないのに なぜこういう事に成るのか
やっぱり上から操作されてるとしか言いようがない今日この頃でした。

 

  



むやみに怖がると・・

2010-05-09 11:41:20 | 日記

小さい時から数年前まで嫌だなと思ってたものが「幽霊」
異様な怖がりかただった。
その私が 視えない世界を知るとまったく怖くない。

先日 「たった一人の見えないお客様」をUPして
むやみに怖がる人が居ると思ったので
その話をしようと思う。

その前に もし貴方の大切な友人や恋人、お父さんお母さん
子供が逝ってしまわれて 悲しみのどん底に陥り
夢でも 幽霊でもいいから現れて 何かを云って欲しいと願った事や
思ったことがありますか?

その現象が 視覚で本人が現れたり モノで現されたり 
イメージや感覚で感じたら 貴方は怖くなり 拒否しますか?

数年前から江原さんや三輪さんなどがTV、本で
大切な人からのメッセージを伝えてるおかげで
視えない世界を少しずつ理解する人が多くなった。

それでもこれはこれ 「幽霊」は別と思ってるのだろうか。

人の後ろには ご先祖様の守護霊が私たちをサポートしてると言う。
その守護霊は 太古のご先祖様だったり 他人である友人だったり
宇宙人である時もあるけど 
それは 別の世界 視えない世界の住人で
みんなが言うところの「幽霊」「霊界」でしょう。

多分みなさんがむやみに怖がってしまう要因の一つは
面白おかしく おどろおどろしく メディアの創りあげたせいで
また それに踊らされた霊能者たち。

そしてもう一つは 実際に幽霊を視える人が
その状況を視て・・例えば首がないサムライだったり
怖いと思うのは 当然だと思う。
でも よく理解してください。

この地上には 無残な死に方をした記憶や想念が
今でもいっぱい落ちているだけなんです。

それが判ったのは ある人からおもしろい話を聞いたからだ。
観光事業関係の視察に 案内役のある彼が
視察相手の彼女を連れて歩いてると
突然彼女が顔色を変えたそうだ。
思い切って聞くと 彼女は幽霊が視えるそうで
道の先に 腹を切っている落ち武者のような人が
まるで壊れた映像が幾度もリピートしてると言ったそうだ。
その人は いつものように はね返したそうだ。
きっと彼女は 腹切り武者がそこにいると思っているのだろう。

確かに映像として そのときの想念が転写されてるけど
武者の魂がそこに居る訳ではない。
彼女が徐霊した事で彼女の前では一時的に消えたに過ぎず
武者の魂は その時の気持ちを伝えたくウロウロしてるかも知れないし
すでに理解して導かれてると思う。
もし、まだ昇霊していなかったらあらゆる人に現象として出ると思う。

前から云うように 私たちは生きてる間たくさんの
その瞬時の想念をポタポタと垂れ流してるようなものだ。
それが記憶となり 地や木々や雨、風が吸い込んでいる。
その時の想念の記憶は 厄介な事に一人歩きする。
でも記憶は 所詮記憶のエネルギーであり
むやみに恐れるエネルギーを持つと
エネルギー磁場に反応して 現象を見せる。

根本の想念エネルギーを説得させ
別の次元に移行してもらうのが 神事であり、供養である。

記憶想念掃除は 自然の力が担うところだけど
地は掘り起こされ 木々は植林・伐採で若すぎる。
水は堰き止められ 枯れてる。
風は地球を龍の様に動いてるから どこかの国が汚染されてれば・・・
それが「自然神」というエネルギー場だと思う。
その自然全体はつながってる仕組みで
地球そのものの意識でもある。

地球意識の磁場が宇宙磁場につながっている。

だから霊界だの 宇宙だのと区別して 
これなら受け入れると バランスの悪い知識は持たないほうがよいと思う。
知識を持った上で 「わたしは未来を創造したい」と考えれば
波動や次元レベルを上げた方向へ進歩すると思う。

そうすれば「幽霊」だの 「記憶想念エネルギー」「憑依」は
通り過ぎる事ができる。怖いなどと思う事もなくなる。

憑依、祟り神、厄神、貧乏神などを 福神、サポートなどに
変えるのは 私たち自身の考え方次第だ。

ちなみに 「七福神」は本来の出どころは祟り神である。
時代と共に 神様は交代している。

「お化け」「幽霊」の気持ちを逆撫でするような行動
相手は判って貰いたいからだったり
人の身体を利用しようとしてるから
あなたが理解しないで 面白半分に行ったり
怖がったり 嫌ったり、一刀両断に打ち砕く行為は
向こうからすれば 喧嘩をうってるとしか思わず
嫌がらせや 憑依して苦しめたり しつこく出てくるでしょう。
人と人が接するのと同じだと思う。

だからと言って 受け入れるのではなく
知っておくこと 知識を持つことが重要だ。

私は好んでいるわけではない、拒否もしない。

チャネリングの相手は 次元の違う相手との対話であって
時には 死んで間もない人もいるだろうし
ご先祖様もいるだろうし、関わりのない人もいるだろうし
人の守護霊も 宇宙人もいるだろうし・・・・

相手によっては 頼ろうとする者もいるし
利用しようとする者、説得できない者もいるので
その時は かなり厳しい口調(?)で追い返すけど・・・
その判断ができれば そうそう出てくる事は無い。
恐れたり むやみに拒否すると 相手はこれ幸いと執拗にくると思う。

だから 記憶の想念エネルギーを説得させるつもりで向き合い
記憶を消す行動をして 福神に変貌させる事が出来たらよい。

生きてる間 わたしたちは過去の人たちのように
ネガティブエネルギーをポタポタ落とさずいたいけど
落ちてしまったと顧みれたら
すかさず お掃除してください。
あなたの辿った後ろを お掃除しましょう。

そして 知らない人たちの落とした想念エネルギーを
吸い取ってもらう為に

木々をせめて100年以上は大事にして欲しい。
水は枯れないように 水脈を大事にして欲しい。
地は息ができるよう 大事にして欲しい。
そうすれば 風は動く 龍は戻ってくる。

上につながる・・・








 
  
 

想念




たった一人の見えないお客様

2010-05-04 20:55:13 | 日記

ゴールデンウィークは 連日晴天が続き
行きかう車の数が多くて どこもかしこも賑やかだ。

昨日 僅かな庭のスペースを整理して 
ようやく苗を植えつけた。
重い腰を上げて店を午後から再開しながらの苗植えだった。

そこへ予告なしに息子が現れた。
やっぱりあの子は 何かを察する力があるようだ。

色々とお互いの近況を話しながら 息子はデッキの修理(?)をしてくれて
帰る時に 大学いもを買っていった。
「気を使わなくていいのに・・お金はいいよ」

「少しは売上に貢献するよ。久し振りに食べたいし・・」

遠慮なく好意を受け取った。お金の価値ではなく 
その気持ちが嬉しかった。

その日はうちの看板を見て 「やっと再開してくれたんですね!」
そう云って 90歳のお母上を連れて 歩きづらい階段を登り
わざわざ買ってくださった。
これから楽しみが増えましたと 云ってくださった!
嬉しかった。

わたしがこの店を再開する決心をした理由は
この二年間 当初からのお客様が わざわざ階段を上り
声をかけてくださる方が多いのに 改めて知った事がその理由でもある。
再開を待ち望んでいる人が居るにもかかわらず
二年前削ぎ落とした時に 全てを封印しようとした。

でも もう一つの大きな理由は
眼に見えない大切なお客様のために再開しようと思ったのだ。

それは去年の6月頃の事だった。

店を始めて16年来のお客様・・
甲府の方で いつもご家族でお芋を食べに来てくださってた。
特に 当時中学生ぐらいの息子さんがうちのお芋の大ファンだった。

その息子さんが うちからそう遠くない所で事故死された事を聞いたのだった。
事故前日まで うちのお芋を食べたいと話してたという。
だから是非、再開を楽しみにしてますと云われた。
 
それからお父様がお仕事で道を通ると
うちに立ち寄られ 激励をいただいた。
不思議に そんな時のわたしは 再開するのをためらっている時だった。

その度に 亡くなられた息子さんの為にも頑張ってみようかと思いながら
1年が過ぎてしまった。

そして昨日 無理のないペースで始めたのだった。
たった一人の 見えないお客様のために始めようと決心した。

たとえ一人も来なくても その息子さんだけは
喜んでるに違いないと思いながら・・・

彼の24歳の姿は判らないけど 
今でも別の次元に居る彼との会話を通して知ったから・・
幾度かお父さんが来られた時に
息子さんは何かを伝えようとしてた。
その時 息子さんに名前を聞いていた。
半信半疑だった。

そして今日 お父さんに再開を知らせたいなと
デッキで思っていたら いらっしゃった。

お父さんは嬉しそうに上がって来られ
わたしは お芋をご仏前に差し上げる為に造りながら
もう一度名前を確認した。

わたしは手渡しながら お名前を聞いてみた。
間違いなかった・・・
息子さんの話をお父さんは話した。
息子さんが高校生の時 
電車に乗ってうちの店に行きたいけど駅はどこで降りればよいか、
駅から歩けば小一時間かかるのに 来たかも知れないと言う。

そこまでしても うちに来たがってた事を聞いて
胸が熱くなった。

お父さんは「あきらめるしかないんです・・」そうつぶやいた。

わたしは
「息子さんが わたしのやる勇気を繋げてくれたんですよ」
そう伝え 
たった一人の見えない彼のために 
再開の決心をして良かったと思った。

わたしは お父さんに簡単に息子さんの意思を伝えた。
彼は とてもお父さんのことを心配してると・・・

お父さんは下を向いて 黙ってうなずいてた。
彼のご仏壇には うちの店やこの通りの写真を供えていると言ってた。
今日は一緒にお芋を供えますとお礼を云われた。

わたしこそ 感謝をしたい気持ちだ。

彼の命日は 5月28日 ちょうど一年前の事だ。


この世の事とはかけ離れてるかも知れないけど
誰もが通る死の道は 
この世で何をしてきたか
どう生きたか 心に留める行ないをしたか

見えない世界の導きは 無関係でも
良くも悪くも 今を生きてる人の行いに反映すると思った。

むやみに霊の世界を恐れず
まずは 自分の今の生き方を 
胸を張って 云えますか?

導きは 色々な所から色々な形で訪れると思います。

これは まぎれもない本当の出来事なんです。 

わたしが店を再開する理由・・ありがとうございます!