2009年も残すところ あとわずかです。
1月1日は 母の誕生日でもあり
満月です。
東京の夜空は 今は雲ひとつない
冷ややかな空気です。
2010年の想いは より開きの年であり
前向きな時代の年でありますよう
心から みなさんの健やかでありますよう お祈りいたします。
おめでとうございます!
2009年も残すところ あとわずかです。
1月1日は 母の誕生日でもあり
満月です。
東京の夜空は 今は雲ひとつない
冷ややかな空気です。
2010年の想いは より開きの年であり
前向きな時代の年でありますよう
心から みなさんの健やかでありますよう お祈りいたします。
おめでとうございます!
冬になると 気温とは裏腹に
水分不足になりやすい
5月頃に「アセンション」のことが気になって
本当に在るのか半信半疑だった
すると、「水を1日2リットル以上飲みなさい」
「水を飲む事で 体内の熱量を上げる」
「それから アルカリ食品を摂る」
「特に適してるのは 果物」
その時は そうかと単純に思ったが
今日 たまたま宇宙大使と「奇跡のりんご」の話題があり
ついさっき なぜ果物が良いのか判った
今、宇宙線が地球に入ってきて
人間の体は 水分が不足してると
電子レンジの中で 細胞が破壊されると同じ状態と
ある人から教わったことがある
その細胞を活性化させるのが 「果物」なんだ!
考えてみると 母はご飯より果物をかかさず食べるので健康体
84になるにもかかわらず頭は冴え
検診でもひっかかったことがない
肌は白く しわもない見るからに化け物のような人だ
確かに足腰は昔から弱いが それは骨が細いのもある
最近やたら果物がおいしく感じるのは
細胞が欲しがってるのかもしれない
ついこの間、ダンナが仕事柄 脱水症状を起こし
熱が出て病院で 点滴を打った
それから チャネリングを思い出し
2リットルとまではいかないが 相当量を
毎日欠かさず飲み出したら
寒がりの人が 体が熱い、シャキッとしてパワーが出たと
休みの時はぐうたらしてるのに
活発に動く事が苦でないらしい
これからアルコールを飲む機会が多いので
脱水症状に よりなり易い
「真水と果物」 これからの時代の必須アイテムですね。
判っているのに ついやってしまう
いつも同じ事で 失敗する
何故 辛い事ばかり起こるんだろう・・・
たまたま今日は ダンナの癖のような
いつも嫌な巡り会わせを 嘆いてた
ダンナの場合 危険なところを好んでいく様な
自分では望んでいないのに 苦しい場面に出会う
若い頃から、なぜか難題な場所へいこうとする
それは いつも無意識に魅かれたり
そういう境遇に遭わせる
ダンナの場合、身の危険や闇の部分の探究心が
無意識に働くようだ
それが ネガティブな一面を創ってしまっている事が判った
人は 特に恐れという虚像を自ら創る人は
自分を知ろうとしない
いや 拒否して 見ない振りをする
もし、同じ繰り返しをしたくなければ
自分を見つめて 知ろうとしてください
必ず癖のようなパターンがあるはずです
そして あえて真逆の事をしてみてください
右に行ってみようかなと想ったら
ためしに 左に行く
試す事の恐れなど 繰り返す事の恐れに比べれば
それほどの事ではないんです
違っていれば また自分を見つめて
戻ればいいだけの事
そして 宣言する事です
「もう わたしは手放します」
「わたしは 同じ繰り返しを やめます」
過去の苦い経験をまた繰り返すのではないか・・
そんなことはありません
それは 自ら創りあげた 妄想という恐怖
なぜ妄想が 出来上がるのか
その時に 何を学んだのか 深く見ないからです
人は 経験しただけで 判ったつもりになってしまう
それは 肉体の単なる刷り込みでしかなく
魂が学んだとも言い切れない
魂と肉体が深く考え、学べば
同じ繰り返し 癖やカルマなど起こらないでしょう
学んだ証拠は 以前と同じ行動をしても
前とは違った 自分を見い出せるでしょう
嫌な事から 逃げたり
見ようとしない行為や誤魔化しは
何の解決にもならない事
眼に見えない恐れなど この世にない事を
忘れないでください!
以前に書いたかも知れないが
11月の夢で
「この世を変えるただ一つの方法は稲穂の上と下を亀甲で結べばいい」
<どういう事か、私にやれというのか>
「するもしないも自分の判断」と言った
眼が覚めてから やることになれば何かが腑に落ち
そのような流れになるだろうと考えないようにしてた
数日後から いろいろな物事が起こり、判り始めた頃
11月23日仕事が休みでボーっとしてると
頭が重くなり 1年前のある時の感覚になり
存在を感じた 誰かが居る・・
すると 目の前の座布団の房が一つだけ大きく揺れた
尋ねると 「豊受大君」(私はそう呼んでいる)らしき?まさか・・・
とりあえず、熱いお茶を差し出した
「ありがたや」と頭に声が・・
何か話したげに、急いでるようにも感じた
向かいに座ると
われも この時に言うておくべきことがある」と
不覚にも メモを取りそこねたが 断片的にいうと
その当時 本来の大神を隠すために
天照大神を祀りたてざるを得なかった事
自分はその守護役として使えた事
今 万民を守れるのは 本来の大神を眠りから目覚めさせる事
自分もその役目をしなくてはならない事
自分はその命に忠実に使え、その万民を
こよなく愛し その願いを叶えた
いつの頃からか 背けば災いが起こるなどと
とんでもない恐ろしい神になっている事
そうではなく 万民が参ればそれを叶えようとしてたが
民 自ら頼んだ事を忘れ、心が離れた現象が
災いとなって起こったのであって
自分は 離れた者に叶えた事を与えなかっただけだ
決して祟る事などしてはいない
むしろ 大神を尊ぶ心が失われた民が哀れ
自分は今でも万民の事を想っているのに
恐ろしい神と言われるのが悲しい
ざっとこんな内容だった
半信半疑でいると 「われを信じておらぬな」と
私の心を読まれた
「私には視えないし、わからない」と素っ気なく言うと
少し感情的に「このように話しておるではないか、眼には視えずとも」
「ならば何か証拠の現象をお願いします」挑戦的に言った
暫く相手が話していると、左側に何か影の様な物体が見えた
話し終えると、私は試しにこの頭の重い痛さやだるさを
取って欲しいと言うと
「頭をたむけよ」
言葉通りに10秒ほどして、頭を上げるとスッカリ取れてた
不思議だった
そうこうしてるとおもむろに
「もういかねばならぬ。われの役目を果たせばならぬで。
確かに話したぞよ」らしきことを言って
急ぐようにいなくなった・・・・
私は正直言って 唖然と言うか 本当にそうだったのか
判断つかないけれど、内容を噛締めて
話してた時の悲しみと伝えたい一心の様相は
ただ事ではなかった
特に何をしてくれなどない 判って欲しいとしか感じ取れなかった
お正月を間近に控え
稲荷神社や色々な神社に詣でる方が多いと想います
願望を伝えるだけではなく
私たち日本人のご先祖様でもある神の社に
敬意と感謝を表したいですね。
エネルギーをくれる竜神さんも この時期は
疲れ果てて 隠れるらしいですよ。
昨今どこへ行っても エネルギーの減少や感じない所が
多いのは 私たちの責任で在るかもしれませんね・・・?
このブログを書き始めてから
小さい頃から 最近の事を
そう、自分を思い出してます
年のせいかもしれませんね
私は人の出会いに恵まれてきた
「愛」はタップリもらいました
良い先生に恵まれ
良い友人に支えられ・・・
本当に 魂は感動をどれだけ体験したか数え切れない
小学生の頃、何故か よく障害を持った人に好かれて
ある時、登校路に 障害の人が母親といつも居て
私の登校するのを 喜んでた
私は何も判らず怖がってた
そのお母さんが声をかけ、私に詫びた
それから勇気を出して 笑顔を見せて挨拶する事にした
おかあさんはそれ以来 いつも小学生の私に会釈する
嬉しかった
父を亡くした後 暫く祖父の家に住んでた
学校から帰ると 毎日金魚屋に行くのが日課だった
そこには ヒレがボロボロのや眼が潰れてるのが売れ残っていた
それを一匹づつ祖父から貰うお駄賃で買ってた
同じ生まれてきてるのに 汚いから売れない
納得いかなかったからだ
祖父は何も言わず ニコニコして見ていてくれた
金魚たちは大きくなるにつれ見事に変身して
子どもを沢山生んだ
感動した
20才のある日、電話が鳴った
相手は聴いたことのない男性の声
話を聞くと 地方の小学校の同級生・・思い出した
彼の家は貧しく いつも皆からいじめられてた
だから席が隣に来ると 皆嫌がった
先生は私に席の隣になる様頼んだ
私は抵抗なく受けた
普通に接し 話した記憶があった
彼は大人になっても それを覚えていてくれて
わざわざ感謝を言う為に 知るはずのない電話を探し当てた
次の日 家に来てくれた
彼は着実に自分の道を歩んでる事を伝えた
当時は 彼と話すことを友達からひどく責められた
辛かったけど 勇気を振り絞った事を覚えてる
間違ってなかった事が嬉しくて母と泣いたな
2年前、今までの集大成として始めた店をたたんだ
その店はリゾート施設の中に構えてた
夜遅くまで皆が手伝ってくれ、最後に出て行くときに
外には 次から次へと他店の若い人たちが「おかあさん」と来てくれた
涙が止まらなかった 頑張ってよかった
他の店が退店する時は素っ気なく出るのを知ってるからだ
予想もしてなかった
至福の時だった
今年のある日、なんとなく自宅で緩んでたら 来客
その人は この地で店を始めた頃のお客さんだった
その人は いつもお爺ちゃんと家族で来てくれた人
懐かしくて わが店を気に入ってくれてた息子さんの話題
その人は辛そうに 半年前他界した事を話した
この辺りでの事故だそう まだ25歳だった
お父さんは このあたりに来るのが辛くて来なかったそうだ
暫く振りに仕事の都合もあって 立ち寄った、
息子さんは亡くなる前日に家の店に暫く振りに行こうかなと
話してた事、あの味を息子に食べさせたいから再開して欲しい
お父さんのほうが辛いのに また泣いてしまった
16年間守り続けた味が 今はいない息子さんの記憶に
最期まで残ったんだ
嬉しくもあり 辛かった
感動の裏には 様々な事が見え隠れする
私の脳裏にある 勇気や忍耐 苦しみ 悲しみは
いつしか感動という心の喜びに変容し
人間が 人になる 成長のプロセスになっていた
人の間ではなく 魂と肉体が繋がってる「人」になるため
自分でつかむ感動を創って欲しい
心の感動は どんな快楽よりも 素晴らしい
今日 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が頭から離れない
とても好きな詩である
そして今 自分を喜ばせようと決めている
何をしたいのか・・・特別したいことはない
そう言うと 人は妄想でやる気がないんだなどと
勝手に判断する
4年前までは がむしゃらに働き、店を殆ど休まず営んできた
欲に駆られて働いたわけではない
もう充分この世の仕組みが判ったと思った時に
いつの間にか開放された
でも人の妄想は 計り知れなく続く
だから 店の名前で呼ばれると抵抗がある
わたしは生きる事に厳しい面がある
というより 人の未来の予想がつくのです
このままじゃ こうなるだろう
こうすれば もっと良くなるだろうに
などと、実際そうなるケースを
年の功なのか 経験値なのかたくさん見て来た
特に若い人は ああ もったいないなと思うんです
だから 厳しい面をみせてしまって
そうすると人は 支配してる、怖いと妄想を抱く
ダンナの事を取り上げると叱られそうだが
若い時からネガティブな思考で
自分勝手なところがあった
勿論今は 違います
物質欲と固定概念の塊で 最終的にはダンナが苦しんでた
幾度も繰り返し理解してもらえず、私が病気になった事もあった
当時は 若かったので夜中じゅう話し
いつも最後は 私の体当たりで締めくくったものだ
ダンナは少しずつ理解し それでも時折 記憶と妄想が
顔を出すと わたしが厳しい面を出す
それを傍で見ている傍観者は
厳しい私としか見ないだろう
私にとっての最期の難関は ダンナだったが
最近 自分の事が判ったようです
良く考えて欲しいのです
そんなに 人生の耐えられない厳しい事は
一言も言った事はないんですよ
だれでもやれば出来る事
人によっては それが辛いかもしれません
でもね その経験がないと何を理解したというのですか
経験もどういう事を学んでるのか考える
人の気持ちを理解する事は
同じくらいの経験や忍耐がないと 想像や妄想の世界になる
いまだに私は学んでいます、再確認してます
息子や若い子に言ってる事は
たとえ嫌な事でも 困難な事でも 絶えられるまで
怖がらず 失敗を恐れず まずやってみるべき
そうすれば 見えてくる
人はそんなに弱いものではない事
今、息子は20の頃の家業の厳しさを体験し
絶えてきた事が無駄ではなく
むしろ あの頃を乗り越えたから良かったと言ってくれた
それも もう必要がない時代なのかも知れないが
本当の感動を味わいたければ 自ら創ること
それには 奥深く理解し 乗り越えれば得られる
その感動は 自ら創ったものか
他人の創ったものに 快楽として感動してるのか
だれでもできるんですよ
私は わたしの喜ぶことを これからもします
生まれてから 死ぬまで そしてまた 生まれるために
前記事に書いたように
我が家の老犬に話しかけた
「ありがとうね、ゆっくりやすみなさい、怖くないからね」
それまで時折 手足を突っ張り、抵抗してたが
それからは ゆっくりと 穏やかな寝息のような
安心した様子でいた
夜中に 一番元気な時の声で眼が覚めた
見に行くと 本当に眠っているように旅立った
たぶん30分位前だろう 少し死後硬直が始まっている
最期の挨拶だったのか 知らせてくれた
死という旅立ちは 悲しいものではないのだが
やはり人間の肉体は 記憶と共に涙が出てしまう
それを無理に抑える必要はなく 愛しむ心の特権だ
ただ 継続しない事
いつまでも留めれば 逝くにも逝けない
我が家の老犬は 覚悟を決めて旅立った
この時期に 生と死の学びを確信できた
感謝を込めて ありがとう!
昨夕から我が家の老犬が危篤状態でいる
一生懸命魂に呼びかけても なにも返ってこない
数年前 ある人の危篤の知らせに行った事がある
その方は 長年果物農家を専業して 病に臥せた
その時は 延命治療で命を摂りとめ 意識がなかった
痩せた顔をなでて「ご苦労様でした、ありがとうございました」と
魂に話しかけた
病院を出てすぐに 息をひきとられたと連絡が入った
ああ、私達が来るのを待っててくれたんだ・・・
これで楽になれたなと 不謹慎だがおもった事を思い出す
今朝ダンナが 動物と人間はどこがどう違うんだろうと言う
確かに 同じ感情を持ち生きてるのに違いはない
なぜ 今の状態になった犬の魂は聴こえないんだろう
そんな疑問も 仕事に出かける支度で頭から離れてた
車を走らせ その道すがら 突然頭の中に声がした
「動物が 人間と違うのは 魂と肉体がひとつになっているから」
肉体の意識がなければ 魂も同じ状態という事らしい
動物は 決してむやみに殺してはいけない
生きたいのに 人の手で欲を満たす為に いのちを絶つ
それは この場に不浄仏の意識を残すから
大昔は 儀式をして いのちを尊び頂戴したに違いない
それで 動物の魂も納得したんだろう
今 生と死の意識を 再確認した気がする
これから旅立つであろう老犬のいのちに
「ありがとう、もう帰っていいよ、泣かないからね」と
伝える事にした
これから書くチャネリングは日付を
書き忘れましたが、多分6月頃だと思います。
それぞれ別の日にボーとしてたら入った事柄です。
<その1>
待っておれ
ミムロのスエに 降り立つ者あり
十(トオ)のエニシ 呼び起こし
早馬のごとき 駆けめぐらん
ツワモノ逃げまどい 喜び勇む者あり
これ 神のはからい事なり
(いつ?)
みじかにて きまりし事
われもて はかり事知らぬ
みておれ みるがよい
かならずや 起こることなり
遠くは この世のものではなく うらおもて
いつぞと聞きしこと 三つ四つ五つ 十じゃ
<その2>
あららぎの暦(こよみ)にて
つかさどる者あらば
天のマクヤワに いでたちぬ
つゆぞ申さじ 伝来のいしずえに
<その3>
今世のはばかり事 いまだ聞きしおよばず
トウカラのほとりにて 悪しきもの来たりて
はかり事あり
秩序みだれて イクサとならん
ツワモノ セイバイせしめん
つゆぞ ことごとく はりつけなるも
皆 はしける
1億5千万の世の民こそ
あわれ なきつらん
「1・1・3・5・7・9・1」
・ ・ ・ ・ ・
最後の数字は 今みると「1」と「1」の間に
奇数が並んでいます。
「1」という数字の意味は
数秘や占星術などの知識がないので判りません。
<新月について>
新月の仕組みは 宇宙空間の ある一定の速度で
加速する重力磁場が作用するため
とてつもないエネルギーが放出される
これは眼に見えない電子回路のような
働きをするので波動にゾウチョウするから
全ての波動を持つモノに振動する
だから感じる波動、すなわち波動を増幅すれば
反応し 引き寄せられる
人によってネガティブな波動を起こせば、それが増幅し
前向きな波動を保てれば、それに反応する
<では満月と新月の違いは?>
満月は反作用の法則 つまり
収縮→膨張の作用により
直接的なエネルギー
新月は月という回路を通して
短い周波数の増幅の繰り返しが
地球の個々の波動に作用する
だから 新月は個々の波動幅に反応するので
感じる人 そうでない人の差がある
しかし 満月のエネルギーは
地球やその状態になった惑星全体に
直接 エネルギーを注ぎ込むような
全ての生命に 影響を及ぼす
<この影響・・>
ちょっと待って!まだ大事な事を伝えていない
これから月と地球と太陽の位置関係に
重大なズレが起こる可能性がある
このズレは 周波数に乱れを生じ
大きな波のようなエネルギーが
回転速度や磁場の乱れになる
周波数の乱れは 電子
つまりパルスの異なる位置関係による
生命の分子構造、大地のエネルギー発生の要因だ
周波数の乱れはどこから来てるか不明だが
予測として 銀河そのものの回転変動によると思う
この回転は不定期ではあるが
早まるとその接触作用で摩擦が起き
宇宙間の歪みが それぞれの惑星に到達する
その際に 生命に起こる状況は
定かでないが 多分一瞬にして眼もくらむ発光が
起こると同時に 意識を失い
その間に 分子構造に異変が起こる
分子構造が分裂し増幅、その増幅が散らばって
離れ、また分子同士が付くと同時に
分裂を繰り返す
そのうち だんだん膨れ上がり
体そのものの膨張のような見えない膜に覆われた
半透明の風船に 分子の細かな分裂運動体が
入っているとでもいうか・・判るかな
<なぜそれが判るのか、と言うか・・>
はるか彼方の次元空間で
同じプロセスを繰り返し
そのたびに記録し
また起こるだろうプロセスの研究と
それにかかる生命の変化を調査し
最終的に生命の進化の変容を知るためだ
われわれにも起こることだから知る必要がある
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後半は話がずれてしまい
ただ、すごい勢いで一気に書きました。
読み返すと何を教えたいのか
また、どう理解するのか
難しい内容のチャネリングでした。
私の不得手と言うか、知識の無いところです。
ここのところ、頭がすっきりしなくて
書き込みが一日お休みしましたが
一昨日新月?だったようで
昨晩聞いてみました。
日中 まきばで癒され頭をリセット!
昨晩のチャネリングは
即座に流れ込むような勢いで
脇でダンナが 呆気にとられてました。
チャネリングの入り方ですが
まず、質問を端的にします。
すると、言葉・・つまり話しかけられる様に
男性か女性か、若いか年配か頭に声が聞こえる感じかな。
今回は、質問を書いてる時に
先行して言葉が入りました。
後を追うようにペンを走らせ
一気に2ページ(乱暴で大きな字ですが)を書きました。
年のせいか、眼がついていかないので
すみませんが明日内容を書きます。
ごめんなさい!
昨日から地震やら火山噴火のニュースがあります。
チョット気になる5ヶ月前のチャネリングがあるので
書きますが、不安に陥れるつもりはありませんので
頭の片隅に 触れてください。
7月28日付に文章になっていませんが
そのまま書きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
太陽活動が活発になった時 危険
↓ <12/17 太陽風が吹いたようです>
観測データによる ユーラシアプレート・ウラジオストク
に一輪の金色の花
↓ <12/18 カムチャツカ・ウラジオストクで火山噴火>
地殻変動を起こす
↓ <12/17 伊豆群発地震 マグマの活動による>
歪みを起こして 北米プレートはね上がる
・・・・・・・・・・・・・・・・
こんな感じの簡単なチャネリングは
こちらからのアクセスではなく、突然入るのですが
幾度か その通りになった時があるので
用心に越した事がないので書きました。
書くことに抵抗はありましたが
心構えはどんな時も大事だと思います。
不安や恐怖に打ち勝つ精神を鍛える・・
決して、あおっているのではない事を
理解してください。
全て、そうであるように
恐れから 眼を背ければ
知る・見る・学ぶ事は できません。
精神は<誠芯>を鍛えて、持つという事に他ならないのですから。
12月13日<夕方>
結ばれし 御魂の
はるか彼方より 永遠のつぐみ
いづこへか 参らん
十(とう)の誓い くるべきものは 悟られん
ここは 魔物の住むなれど
勇ましく
ほどこし
つつしみ
いたわり
あがなうものよ
さあ 結ばれよ <ビンブンフリ>
・・・・・・・・・・・・・・
荒れた野原を追うように
そこは 別世界の局地であり
また 宇宙にまたたく
われわれの道しるべに
遠くても 遠くても そこにある
われわれが在るということは
あなたたちも在るということ
気づき始める前より
あなたたちを見守り
いつか いつか いつか
その時がいま
そして 未来へと ひきつがれるであろう
無駄は無い 道を行けばいい <サーシア>