少女時代の研究

KPOPの代表的女性グループ、少女時代のご紹介。少しでもその魅力を知っていただきたいので!(あまり詳しくない方向けです)

本日は少女時代が日本に初上陸した記念日です。10年前の2010年8月25日東京有明コロシアムで少女時代の日本初のショウケースライブが開催されました

2020-08-25 00:10:41 | 日記


1曲目はGINIE
2曲目はOh!


ここでメンバー一人ひとりが日本語で簡単な自己紹介。










この後、テヨンとサニーが韓国語であいさつ。
テヨン:韓国語(通訳)
「日本での初めてのステージですので、メンバー全員緊張していますけれども、一生懸命準備をしました。とても楽しみにしていましたし、みなさんどうぞ楽しい時間をすごして下さいね」
サニー:韓国語(通訳)
「今日は日本のファンのみなさんに初めて会うということで、とても大きな意味があると思います。これからも一生懸命やっていきたいと思いますので、みなさん期待してくださいね」
その後、スヨンは流暢な日本語であいさつ。
スヨン:日本語
「日本での初めてのライブなんですけど、こ~んなに沢山のみなさんが来て下さって…と~ってもうれしいで~す。ありがとうございま~す」
全員:日本語
「ありがとうございま~す」

3曲目Run Devil Run
4曲目Into the new world
5曲目GEE


当初は1回公演の予定でしたが、申込が殺到したため3回公演を実施。

2020年8月5日は少女時代デビュー13周年記念日です

2020-08-05 00:20:58 | 日記


後に少女時代となるメンバーがSMの練習生となるまでの経緯(概略):
2000年まずジェシカが練習生としてSMに入ります。同年にはヒョヨン、その後スヨンの3人が練習生となります。
スヨンは日本でのASAYAN番組などで日本と韓国を行き来し、ヒョヨンは日本の次の市場とみなしていた中国に留学します。
この結果、ジェシカだけがSMで一番長く練習生として過ごし、アンチが出るほどある意味練習生のスターでした。
ジェシカはヒョヨンとスヨンのほかは男性アイドル達が話し相手だったため、先輩の男性アイドルの女性ファンからは睨まれる存在でした。
SMの練習場の入り口には東方神起とスーパージュニアの女性ファンが大勢待っていて、ジェシカは怖くてすぐには入れないことが多かったそうです。

2001年にはオーディションのダンス部門で優勝しダンスチャンピオンとなったユリが練習生として入ってきます。
2002年のオーディションには当時小学校6年生のユナが通過して練習生となります。
2003年のオーディションでは小学校5年生のソヒョンが童謡を歌って練習生に合格。
2004年にはオーディション歌部門でテヨンが歌チャンピオンとなって練習生となります。
同年アメリカカリフォルニア州からティファニーが太平洋を渡りオーディションを受け合格し練習生となります。
2006年サニーは父親が経営の音楽事務所の練習生として2人組でデビュー直前でしたが、会社の経営状況が悪化して、ほとんどの練習生はばらばらになります。
この時ICONIQと有力な練習生の数人がSMに移籍され、この中にサニーがいました。

少女時代デビューまでの経緯:
2005-2006年頃からSMは練習生デビュー班(いつデビューしてもおかしくない程の実力者)の予備候補を対象に、後に「少女時代」としてデビューすることになる別名「女子団体チーム」の構成を開始します。

予備候補19人が登場し、結果的には4回の変動があり9名の正式メンバーが確定します。
(最初からずっと選ばれ続けていたメンバーはジェシカ、ヒョヨン、スヨン、ユリ、ユナ、ソヒョンでした)
詳細は避けますが、4回のショウケースによって惜しくも選ばれなかった予備候補生も、相当な実力者であり、そのほとんどが現在でも各芸能界で活躍しています。

2007年8月5日、満を持して少女時代デビュー


デビュー曲 Into the new world のミュージックビデオより テヨン


おことわり:
少女時代デビューの経緯については、韓国の古くからの少女時代ファンがブログなどに寄稿したものを編集・翻訳されたものを参考にしています。

少女時代ティファニーさん、お誕生日おめでとうございます。少女時代ファンはティファニーの笑顔に飢えています

2020-08-01 00:12:08 | 日記

文化の違いでしょうか、欧米の歌手はめったに笑顔を見せません。
このためアメリカでソロ活動しているティファニーも真顔での表情がほとんどです。


世界のSONEはティファニーの笑顔満載の少女時代の音楽活動を待ち望んでいます。



ティファニーのデビューの経緯:
LA少女ティファニー(本名:ステファニー)は2004年LA韓国人祭りで行われた歌のコンクールで優勝はできませんでしたが伸びのある歌唱力と可愛い笑顔のために、海外で才能のある練習生を探していたSMからオーディション受験のオファーを受けます。

当時15歳のティファニーはその数年前に母を亡くし、苦しく迷っている時期でありました。このため誰が考えても無謀と思われる単身韓国行きの飛行機に乗ります。

幸いオーディションを通過しSM練習生になります。
イ・スマン会長回顧「その微笑には、採用せざるを得なかった(笑)」とのことです。
SM寮のルームメイトはテヨン、そして学校はソウル所在の外国人高等学校であるケント高校にジェシカと共に修学します。

実力のある練習生がいっぱいのSMでデビューすることは非常に困難なことでしたが、単身で太平洋を渡ったティファニーにとってこの競争はすでに覚悟したものであり、誰よりも積極的で激しい練習生でした。
しかし、そんな熾烈さに人々が気づくことはありませんでした。なぜならティファニーはカリフォルニアの少女として、身についている好意と親切さ、そしてキラースマイルを持った少女だったからです。

それでもティファニーの笑みにはなぜかしらおぼろげな悲しみのようなものが感じられると言うファンは少なくありません。



おことわり:
少女時代デビューの経緯については、韓国の古くからの少女時代ファンがブログなどに寄稿したものを編集・翻訳されたものを参考にしています。