私は別に彼が好きなわけではない。
彼の著作は「死霊」も含め一冊も読んだことがないし、彼の思想に影響されたとも思わない。
ただ「有名」で、しかも当時近所に住んでいたから名前を知っているだけだ。
ところが先日、福島県南相馬市の図書館を訪れた際、彼のコーナーが室内の一角を
ドーンと占めているのに気付き、驚いた。
ここと彼とどんな関係があるわけ?
あいつ?はたしか台湾生まれだったはずでは。
じつは大有りなのである。
彼の本籍はずっと相馬郡小高町(現南相馬市小高区)にあった。
いわゆる先祖の墳墓の地だ。
「あれ」はペンネームで、本名は般若豊(はんにゃゆたか)という。
般若氏は奥州相馬藩6万石の相馬家の家臣で、150石取りだから、
まあ中士の下といったところか。
維新時は剣道指南役だったとも。
相馬家というのはもともと桓武平氏の千葉常胤の子孫で、頼朝が鎌倉幕府を旗揚げして以来、
ずっと権力にぶら下がっているわけだから、家臣団も系図は800年前にさかのぼれるはずだ。
と思っていたら、相馬市はそれを全部活字にしているというのでたまげた。
犬山藩も同じことをやってほしいよ。
そうすりゃ私のところも系図調べに苦労しなくてすむ。
彼は長いこと吉祥寺の南側に住んでいたが、執筆の気晴らしにパチンコに興ずることがしばしば
あったという。
私の友人は何度もそれを目撃している。
どうも「知の巨人」というイメージとそぐわないが、どこかで気を抜かないと疲れてしまうのでね。
酒は強いし、もっと若かったら今はやりのデイトレーダーもやっていたのでは。
資産運用も含め、なにしろ万能選手なもので。
結局は書かれた文章がすべて。
犯罪でさえなきゃ、何にはまろうとかまわない。
私生活はきっと魅力的だったと思う。
豊かな文壇生活を送られたことと推察いたします。(2014.5.25記)
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