ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

親心

2017-08-29 16:36:53 | 家族の話
2017年8月29日 親心

子供と言うのは小さい時は小さい時の、成長したら成長したなりの親の心配がありますね。
偉そうなことを言っているわたしですが、こんなわたしをあの世で我が母はさぞかし可笑しがっていることでしょう。「お前さんにかけられた心労は、そんなものどころでなかった」と^^;

母は、尋常小学校しか出ませんでしたが、読書、音楽、映画好きでわたしや妹もそのDNAをしっかりと受け継いだと思います。その母の口からわたしは、一度も小言の類を聞いた記憶がありません。

わたしの思春期の父との衝突も、とばっちりを受けてきっと大変だったでしょうが、黙って見ていてくれました。中学時代の2度の家出も、無言無謀だった十代後半のさすらいの旅をした時も何も言わないでくれました。言ってもしたいことをする娘だと思っていたのかもしれません。

もし、我が子が今これと同じ事をしたら・・・と、この身をそこに置いてみると、あの頃の母の気持が手に取るように分かります。

金曜日の夜は、TGIF(Thank Good .It´s Friday!の米語略語で日本語の「花金」にあたる)だと言わんばかりに、都内で英語講師仲間と飲み明かすのだと言う息子、終電車に間に合ってるのか、酔っ払ってホームから落ちたりはしないか、はたまた、端の日本人と喧嘩はしないか」と、自分も心当たりがなきにしもあらずなもので、遠いポルトにいて気が気でならない。

娘が翻訳会社勤務の時は、夜9時10時までの残業がしょっちゅうあったので、「日本は世界一安全な国だ」などと言われたのは昔の話で、若い女性が一人、夜間、駅からアパートまで歩くなんて、いくらなんでも酷いと、帰路が心配で、そんな仕事は早く辞めてしまえ、としつこく言ったものでした。

子をあれやこれやと慮る(おもんばかる)親の気持ちを知るのに、随分長い時間がかかりました。

そして、息子や娘が頑張って時々ポルトガルに帰って来るのを目の前にして、19で故郷を後にして以来ほとんど帰郷しなかった若い時分の親不幸を悔いています。
「子を持って親の気持が初めて分かる」
「孝行したい時に親はなし」
「いつまでもあると思うな親と金」

これら全てをわたしは今実感しているのであります。
親心って切ないもんやなぁ。

 
子ども時代の我が子たち

成長した二人


アリとキリギリス

2017-08-29 01:17:44 | 日記
2017年8月29日 

休暇でポルトに帰省し、帰る間際までネコをからかって遊んでいた息子が再び日本へ行ったわけだが、9月からは講師の仕事をもう一箇所増やして、これでとうとうサラリーマン並みに月曜日から金曜日まで、5日間仕事でふさがった、と言う。

それを聞いて、「サラリーマンは9時から丸一日働くんだよ。お前の大学の講師の仕事は数時間だべ」と笑ったのだが、それでも彼にして見れば大きな変化だと言わなければならない。彼は彼なりに考えた末であろう、ネクタイを締めて「From 9 to 5」の一生に抗っているのである。

せっかく終えた大学のITコースを活かす就職は望まず、大学生時代に音楽を云々と言い始めたときは、趣味として続けるのは大いによしとするが、職業とするのは止めてくれと、夫とは違いわたしは反対したのである。

アーティストとしての道を極められるのは、運と真の才能に恵まれたホンの一握りの人たちである。
趣味で音楽をしながら一生生活できるほどの財産を子どもに残してやれないわたしたち夫婦だ。道は子供達が切り開かなければならないのだ。

どうしても夢を諦め切れない場合はいずれその道を歩き始めるであろう。その時こそ、誰に遠慮なく音楽の道を選べばいい。回り道になってもそれが本物である。と本人に言わなかったがわたしはそう思っていた。

日本で非常勤講師をしながらコンピューターを使っての好きな音楽作曲は今も続けているのだが、定職を望まない彼の将来は不安定である。

口さがない人には、「今また人生計画ってspacesisさん、そろそろ墓場にそろ~りと片足くらいは入りそうな歳なのでは?」と言われそうだが、私自身はいい気なもので、人生は分からない、まだこれからかも知れないなどと思ったりすることもある。

イソップの話にある「アリとキリギリス」はあまりにも有名で、今更披露する必要もないのだがちょっと。

夏の季節を歌って遊び暮らすキリギリスとは対照的に、暑い日差しを受けながら汗を流して冬の準備にせっせといそしむアリ。それを見て笑うギリギリスではあるが、やがて冬が到来し、食べ物もなく寒さに凍える日々に、思わずアリの家のドアを叩く。今度はアリが笑う番だ。

この教訓話にはなるほどと思わされるのだが、わたしはもうひとつの「アリとキリギリス」を知っている。もう40年近くも昔に、当時知り合った夫から贈られた英語版のサマーセット・モーム短編集に収められている「アリとキリギリス=The Ant and the Grasshopper」だ。

先のことに思い巡らし定職に就きせっせと働き貯蓄に精出している兄と、それとは全く逆にろくに仕事にも就かずその日その日を遊び暮らしている弟の兄弟がいる。

時々呼び出されては弟に金を無心される兄、その都度将来のことを考えろ、もっとまじめな生活をしろと説教を垂れる。兄はこの弟を心のどこかで見下げている。

ある日、呼び出され「ふん、またか」の気持ちで待ち合わせ場所に出向く。弟の話は金の無心ではなくて、先ごろかなり年上の大金持ちの未亡人と結婚したのだが、彼女が死んで大金、ヨット、ロンドンの家と田舎の別荘全てを相続した、という報告で、聞いた兄は、「It´s not fair!」と、悔し紛れに叫び、人生というものを呪うのである。

「へぇ~。人生って案外こんなどんでん返しがあるのかも知れない。」と納得いったようないかなかったような、そんな読後感をもった。

あれから40年近く、もちろんわたしは遊び暮らしてきたわけではないが、子供達の教育費は分不相応にかけたので、老後を考えて貯めたいにも貯めようがない状態でずっときたのである。

老後、何が一番必要かと言えば、金だ、と言ってはばからない人は周囲に結構いる。夫の年金以外、自分の年金なるものも入ってこようがないわたしは、この言葉を耳にすると、うなだれるばかりだ。

かと言って今更慌てて貯めようにも、定年もとっくの昔に過ぎたのでは貯めようがない(笑)そして、お金は確かに必要だが、「一番」という言葉に、心のどこかで反撥を感じるわたしがいる。

一度、TEFLEコース(英語教師)を取るので英文学の本を少し読むという息子に、「昔パパからもらった記念の本だから返してね」と貸した上述のモームの本、息子も「アリとキリギリス」は読んでいて、
老後は「パパがいるから、少しは大丈夫」と言うわたしの言葉に、
「ボクもそうだけどママもキリギリスタイプだね。」と息子に言われた・・・
そして「パパは典型的なアリタイプだ」と息子は付け加えるのである。

その通りです、息子よ。人生はunfair(アンフェア=不公平)なことの方がfair よりも遙かに多いのだ。
それに、アリとアリの夫婦なんて、しんどいかもよ。キリギリスとキリギリスもこりゃ大変だ。アリとキリギリス、これでなんとか夫婦の帳尻が合うというものよ^^

さいでございます。冬が到来したら夫と言うアリのドアを叩くわたしはキリギリスです~
そして、口さがない人には、「spacesisさん、そろそろ墓場にそろ~り片足くらいは入りそうな歳になるのでは?」と言われそうなこのギリギリス、人生の晩夏をもう少し謳歌しようと目論んでいるのでありますれば。

本日も読んでいただきありがとうございます。
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