ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

あの頃ビア・ハウス:「Auf Wiederseh´n 2」渡米準備

2018-03-28 15:43:10 | あの頃、ビアハウス
2018年3月28日
                     
何が大変といって、アパートの明け渡しほど、ややこしいことはなかった。
アメリカでの暮らしに必要な最小限の身の回り品をだけを残して、後は
全て処分しなければならなかったのである。

家具類は当然ながら、ステレオ、クーラー、冷蔵庫、電話、衣類、書籍etc.,(自慢ではないが、テレビは持っていなかったw)
売れる物はすべて友人知人、その他のつてで二束三文で換金したり引き取ってもらったりした。

その中でもどうしても処分しきれないものに、当時飼っていた「ポチ」というトラネコちゃん、そして、お気に入りの白いギターとLPたちがあった。キャッツ・スティーブン、ジャニス・イアン、スティーリー・ダン、中山ラビ、エディット・ピアフ、MJQ、サイモン&ガーファンクル、ジョン・デンバー、ジョルジュ・ムスタキ・・・どれもわたしの青春時代の心の支えになった音楽である。とても捨てられはしなかった。

ポチといえば、毎朝の出勤に、追い返しても追い返しても駅までついてきて、わたしを見送ってその後は、開けっ放しの台所の窓から
入り込み、日中ひっそりわたしの帰宅を待っているネコだったのである。これをどうして捨てられよか。

ポチも白いギターもLPも、近くに住んでいた「ミチべぇ」こと、会社の後輩であり親友のご両親宅で、いつ帰るともわからないわたしではあったが、預かってもらえることになったのだ。

白いサムソナイトの旅行かばん20キロの荷物がわたしの全財産である。その中にたった一枚、聴けるわけでもないのにわたしは大好きな「ジョルジュ・ムスタキ」のLPを忍び込ませた。

1978年1月19日、母、義弟、親友のミチべぇ、キャセイの我が友Davidに見送られて、当時の東京国際空港「羽田」から飛び立ったのです。

さらばアサヒ、さらば我が仲間たち、さらば我が、苦しくも楽しかりし大阪の青春。と言うわけで、「あの頃、ビア・ハウス」、yuko、アメリカへひとッ飛びと相成り、アサヒのステージ同様、今回を持ちまして取り合えずいったん幕をおろさしていただきます。

アサヒでの歌姫は、これで終わらず再び、アメリカからの帰国、そして、ポルトガルからの一時帰国時にカムバックするのでありますが、それは、またいずれかの折にでも。

このシリーズは、次回のエピローグで一件落着です。
最後に常連さんの一人が撮ってくれたお気に入りの白黒写真をば。