2-18年5月17日
「グリーンが来るよ。」
三週間ころ経ったある日、シェアハウスの友、ロブが言った。ブルース・グリーンは20歳を少しだけ過ぎた、とても若い友人で、彼は前年まで日本で交換留学生としてホームステイしており、たまたまわたしが通勤に利用していた京阪沿線に住んでいたのである。
ブルースとわたしの出会いは誠に偶然なものであった。当時わたしは留学資金を貯めんがため、梅新のビアハウスで歌姫のバイトをしていたのだが、ビアハウスを9時半で終わり帰宅につくと、よく同じ車両に乗り合わせる外国人がいるである。
午後10時ともなるとさすが電車の乗客は少なく、乗り合わせ客同士は、しようと思えばお互いにいくらでも観察できたw若くやたら背の高い、色が真っ白の典型的なアメリカ青年である。気をつけなくたって目立つと言うものだ。後で知った話だが、あちらもしょっちゅう乗り合わせるわたしの顔だけは知っていたようだ。
それが、ある日偶然アサヒビアハウスへ、ひょこっと本人のバイト先、語学学校の上司マーチンさん、そしてイギリス人の同僚、ロブとで現れたのだ。その時のわたしたち、アリゾナ大学でわたしがザワちゃんんを見つけた時と同じようにお互いを指差しあって「ウォー!」
ブルースが働く語学学校のグループ。右手前が校長のマーチンさん
かつての梅新アサヒビアハウス名物(現在は「アサヒ・スーパードライ梅田」と改名)、5リットルジョッキー廻しのみに挑戦するBruce君。
そんな経緯もあってか初対面からロブとグリーンとわたしはすっかり意気投合、以後週末が来る度に3人でつるんでは、
「タコスとシャングリラが美味しいパブがある」と神戸へ、
「京都にビートルズって名前のビートルズ曲だけ聴ける店がある。すわ!」
「相国寺では観光客に座禅体験させてくれる。行こうよ!」という具合であった。ロブとグリーンのこの二人、背丈の差がありすぎてまるでサイモンとガーファンクルみたいで、それがとても面白かったwそのグリーンがミズーリーから車で数日かけて、ツーソンにやって来ると言うのだ。
そして、来ました来ました(笑) ミズーリーの片田舎の農家の子です、後ろが荷台になっている大きな車を運転してはるばるやってきたのであります。
久しぶりに顔を会わせたずっこけ3人組、早速砂漠へでかけて、前座席に3人腰掛け、アメリカはなんつったって車が運転できなきゃいけない、とわたしの運転練習(笑) 今はどうか知らないが「車を前進させられれば免許がおりる」と言われたくらい、当時のアメリカでは、自動車学校などに行かなくても運転免許がとれたのである。
ソノラ砂漠で。グリーンとロブ。これだけ広かったら、さすがの運転音痴のわたしも何とか運転できそうだと思ったのがまちがいだった。
「ここだと車がほとんど走らないし、突っ込んでも砂漠かサボテンだから、Yuko、心配するな」って、おいおい、みくびっちゃぁいけないよ(笑)とは思ったものの、情けないことにその通りで、何度もサボテンに突っ込みそうになり、横に座るブルースが慌ててわたしのハンドルを奪い取って切るのであった。終いには、「運転能力まったくなし!」と二人に太鼓判を押されたのでした。
(今はこのポルトガルで、わたしが奇跡的にもイッチョ前に運転しているとは、二人とも夢知るまい。笑)
サイモンとガーファンクル、おっと違った、RobとBruceでした。
ソノラ砂漠の巨大なサボテンの前でグリーンと。これに突っ込んだら・・・^^;そしてこの背丈の差。ロブだけでなく、自分も同じくらいチビなのを忘れていたのであった(笑)
夜ともなると、3人でわたしがこれまでに見たこともないデカいアメリカピザをたいらげ、当時上映中の人気抜群、「Saturday Night Feaver」を大学構内の映画館に見に行ったりしたのでした。グリーンはわたしたちの家のリビングのソファので寝、三日目に再びミズーリーのいつもの生活の場へと帰って行った。
三島由紀夫が「午後の曳航」の中で、ミズーリーのトピーカ出身の船乗りのことを書いてるのを教えてくれたのは、このグリーンである。そのミズーリーが彼のご自慢であったのだ^^
「ずっこけ3人組」はあれから35年、再会していない。
【追記】2012年1月に、ズッコケ3人組の一人、ロブと25年ぶりにフェイスブックを通じて連絡があり、わたしたちはネット上での再会を喜んだのでした。なんと、オマーンの大学で英語教授をしていたのでありました。
★一ヶ月ほど日本に帰国しておりましたので、更新が少し滞りました。ポルトに戻り、また更新を続けて参りますので、宜しくお願いいたします。
「グリーンが来るよ。」
三週間ころ経ったある日、シェアハウスの友、ロブが言った。ブルース・グリーンは20歳を少しだけ過ぎた、とても若い友人で、彼は前年まで日本で交換留学生としてホームステイしており、たまたまわたしが通勤に利用していた京阪沿線に住んでいたのである。
ブルースとわたしの出会いは誠に偶然なものであった。当時わたしは留学資金を貯めんがため、梅新のビアハウスで歌姫のバイトをしていたのだが、ビアハウスを9時半で終わり帰宅につくと、よく同じ車両に乗り合わせる外国人がいるである。
午後10時ともなるとさすが電車の乗客は少なく、乗り合わせ客同士は、しようと思えばお互いにいくらでも観察できたw若くやたら背の高い、色が真っ白の典型的なアメリカ青年である。気をつけなくたって目立つと言うものだ。後で知った話だが、あちらもしょっちゅう乗り合わせるわたしの顔だけは知っていたようだ。
それが、ある日偶然アサヒビアハウスへ、ひょこっと本人のバイト先、語学学校の上司マーチンさん、そしてイギリス人の同僚、ロブとで現れたのだ。その時のわたしたち、アリゾナ大学でわたしがザワちゃんんを見つけた時と同じようにお互いを指差しあって「ウォー!」
ブルースが働く語学学校のグループ。右手前が校長のマーチンさん
かつての梅新アサヒビアハウス名物(現在は「アサヒ・スーパードライ梅田」と改名)、5リットルジョッキー廻しのみに挑戦するBruce君。
そんな経緯もあってか初対面からロブとグリーンとわたしはすっかり意気投合、以後週末が来る度に3人でつるんでは、
「タコスとシャングリラが美味しいパブがある」と神戸へ、
「京都にビートルズって名前のビートルズ曲だけ聴ける店がある。すわ!」
「相国寺では観光客に座禅体験させてくれる。行こうよ!」という具合であった。ロブとグリーンのこの二人、背丈の差がありすぎてまるでサイモンとガーファンクルみたいで、それがとても面白かったwそのグリーンがミズーリーから車で数日かけて、ツーソンにやって来ると言うのだ。
そして、来ました来ました(笑) ミズーリーの片田舎の農家の子です、後ろが荷台になっている大きな車を運転してはるばるやってきたのであります。
久しぶりに顔を会わせたずっこけ3人組、早速砂漠へでかけて、前座席に3人腰掛け、アメリカはなんつったって車が運転できなきゃいけない、とわたしの運転練習(笑) 今はどうか知らないが「車を前進させられれば免許がおりる」と言われたくらい、当時のアメリカでは、自動車学校などに行かなくても運転免許がとれたのである。
ソノラ砂漠で。グリーンとロブ。これだけ広かったら、さすがの運転音痴のわたしも何とか運転できそうだと思ったのがまちがいだった。
「ここだと車がほとんど走らないし、突っ込んでも砂漠かサボテンだから、Yuko、心配するな」って、おいおい、みくびっちゃぁいけないよ(笑)とは思ったものの、情けないことにその通りで、何度もサボテンに突っ込みそうになり、横に座るブルースが慌ててわたしのハンドルを奪い取って切るのであった。終いには、「運転能力まったくなし!」と二人に太鼓判を押されたのでした。
(今はこのポルトガルで、わたしが奇跡的にもイッチョ前に運転しているとは、二人とも夢知るまい。笑)
サイモンとガーファンクル、おっと違った、RobとBruceでした。
ソノラ砂漠の巨大なサボテンの前でグリーンと。これに突っ込んだら・・・^^;そしてこの背丈の差。ロブだけでなく、自分も同じくらいチビなのを忘れていたのであった(笑)
夜ともなると、3人でわたしがこれまでに見たこともないデカいアメリカピザをたいらげ、当時上映中の人気抜群、「Saturday Night Feaver」を大学構内の映画館に見に行ったりしたのでした。グリーンはわたしたちの家のリビングのソファので寝、三日目に再びミズーリーのいつもの生活の場へと帰って行った。
三島由紀夫が「午後の曳航」の中で、ミズーリーのトピーカ出身の船乗りのことを書いてるのを教えてくれたのは、このグリーンである。そのミズーリーが彼のご自慢であったのだ^^
「ずっこけ3人組」はあれから35年、再会していない。
【追記】2012年1月に、ズッコケ3人組の一人、ロブと25年ぶりにフェイスブックを通じて連絡があり、わたしたちはネット上での再会を喜んだのでした。なんと、オマーンの大学で英語教授をしていたのでありました。
★一ヶ月ほど日本に帰国しておりましたので、更新が少し滞りました。ポルトに戻り、また更新を続けて参りますので、宜しくお願いいたします。
グリーン君、大きい!
おまけに後ろのサボテンの大きいこと!
さすが なんでも大きいアメリカだな、なんて感心してしまいます。1214
ツーソンは砂漠にある町ですから、気候も日本では考えられないものでした。
ソノラ砂漠の巨大な岩に座って眺めた夕日は素晴らしかったです。広大なアメリカの魅力は大自然だけではなかったのです、1970年代の終わり頃は、アメリカンドリームが抱ける最後の時期かな?と今にして思います。