2018年6月7日
わたしがポルトガルに来た1979年の頃は、テレビが白黒だったのに、えっ!と驚いたものである。
日本では5年間ほど「テレビを持たない主義」を通したわたしではあるが、それでも白黒テレビが日本では既になくなって、カラーテレビが当たり前の時代に入っていたくらいは、いくらなんでも知っていた。ポルトガルでカラーテレビがお目見えしたのは、それから数年たってからである。
テレビチャンネルも当時は国営放送の2局のみだった。放送開始は午後からで、夜11時ころには終了である。そのときは必ず、はためくポルトガル国旗をバックに、ポルトガル国歌が流された。だから、わたしはポルトガル国歌を自然に覚えてしまったといういきさつがある。
それはさて置きまして、タイトルの「大草原の小さな家」だが、これはアメリカの作家ローラ・インガルズ・ワイルダーが、自分の子供の頃に住んでいたミネソタ州の小さな村、ウォールナット・グローブでの様々な出来事を綴った本で、アメリカの子供なら必読と言える名作である。
これを原作にして作られた、マイケル・ランドンのTVドラマは我が家の永久保存版になっている。
わたしたち4人家族は夕食卓を囲みながら、何度このドラマを繰り返して見たことだろう。特に娘などはセリフを殆ど暗記するほどの執心ぶりであった。夫にいたっては、「また見るの?」と言いながらも、わたしたちと同じように、次がどんな展開をするのか全て知っていながら、いつの間にか各々のエピソードから目を放せなくなっているのであった。
ドラマは素晴らしい。
しかし、わたしが子供達にこのドラマを見せだしたのには、もうひとつ理由があった。ポルトガルでは海外ドラマや海外映画は吹き替えをせず、そのまま原語で放映される。これはある意味、とても素晴らしいことだと思う。吹き替えをすると、本当のドラマや映画の味がどうしても損なわれてしまうとわたしは思う。
だから、この「大草原の小さな家」を通して、子供達には英語のセリフをそのまま、学んで欲しいと思ったのである。
子供たちをポルトガルの学校ではなく、英国式教育のBritish Schoolに通わせることをわたしたち夫婦は話し合って決めたいきさつがある。できれば、自然な言い回しの言葉をこのドラマを通して学んでくれたらそれに越したことはあるまい。もちろん、アメリカ英語とブリティッシュ英語との違いは多少あるが、それがわたしの作戦であった。そして、この作戦はみごと功を奏したと言える。
ドラマは、ローラとその父親チャールズと家族を中心に、その他、様々なキャラクターをもった多くの子供が登場してくる。同時に、世間によくいがちな自己中心的なタイプの大人たちも多く描かれている。
「大草原の小さな家」では、言葉だけでなく、そのドラマを通して感動したり、意地悪で計算高く、わが子となると見境なく溺愛してしまうミセス・オールソンや、嘘つきでわがままなその娘ネリーに憤慨したりと、世間の一窓を垣間見ることができる。
ドラマのローラの両親のように子供と真剣に向き合う親になりたいと願い、子供を育てる上で多くのヒントと教訓を「大草原の小さな家」から得たと思う。自分の損得を考えずに、公平に物事を受け止め実行するということは美徳のひとつであろう。
インガルズ一家にはそういう姿勢が見られ、非常に魅力的なエピソードがたくさん散りばめられている。チャールズとキャロラインのインガルズ夫妻の忍耐強い、ウイットに富んだ子育てにはわたしも学ぶところが山ほどあり、こんな親に、いや、こんな人間になれたらなりたいものだと思ったものだ。
人間として、親としての基本的な姿勢がそこにあり、親子も含め人間関係が希薄になりつつある今こそこういうドラマが再放送されたらいいのにな、と思ったりしている。現代映画もきらいではないけれど、昨今の暴力的な映画、ドラマには辟易しているわたしである。
我が家にある録画ビデオ本数、一本が6時間撮りで20本以上はあろう。ビデオを通しての疑似体験が、あたかも私達家族の思い出であるかのように記録されている1セットである。
参考:原題 Little House on the Prairie
原作 Laura Ingalls Wilder
わたしがポルトガルに来た1979年の頃は、テレビが白黒だったのに、えっ!と驚いたものである。
日本では5年間ほど「テレビを持たない主義」を通したわたしではあるが、それでも白黒テレビが日本では既になくなって、カラーテレビが当たり前の時代に入っていたくらいは、いくらなんでも知っていた。ポルトガルでカラーテレビがお目見えしたのは、それから数年たってからである。
テレビチャンネルも当時は国営放送の2局のみだった。放送開始は午後からで、夜11時ころには終了である。そのときは必ず、はためくポルトガル国旗をバックに、ポルトガル国歌が流された。だから、わたしはポルトガル国歌を自然に覚えてしまったといういきさつがある。
それはさて置きまして、タイトルの「大草原の小さな家」だが、これはアメリカの作家ローラ・インガルズ・ワイルダーが、自分の子供の頃に住んでいたミネソタ州の小さな村、ウォールナット・グローブでの様々な出来事を綴った本で、アメリカの子供なら必読と言える名作である。
これを原作にして作られた、マイケル・ランドンのTVドラマは我が家の永久保存版になっている。
わたしたち4人家族は夕食卓を囲みながら、何度このドラマを繰り返して見たことだろう。特に娘などはセリフを殆ど暗記するほどの執心ぶりであった。夫にいたっては、「また見るの?」と言いながらも、わたしたちと同じように、次がどんな展開をするのか全て知っていながら、いつの間にか各々のエピソードから目を放せなくなっているのであった。
ドラマは素晴らしい。
しかし、わたしが子供達にこのドラマを見せだしたのには、もうひとつ理由があった。ポルトガルでは海外ドラマや海外映画は吹き替えをせず、そのまま原語で放映される。これはある意味、とても素晴らしいことだと思う。吹き替えをすると、本当のドラマや映画の味がどうしても損なわれてしまうとわたしは思う。
だから、この「大草原の小さな家」を通して、子供達には英語のセリフをそのまま、学んで欲しいと思ったのである。
子供たちをポルトガルの学校ではなく、英国式教育のBritish Schoolに通わせることをわたしたち夫婦は話し合って決めたいきさつがある。できれば、自然な言い回しの言葉をこのドラマを通して学んでくれたらそれに越したことはあるまい。もちろん、アメリカ英語とブリティッシュ英語との違いは多少あるが、それがわたしの作戦であった。そして、この作戦はみごと功を奏したと言える。
ドラマは、ローラとその父親チャールズと家族を中心に、その他、様々なキャラクターをもった多くの子供が登場してくる。同時に、世間によくいがちな自己中心的なタイプの大人たちも多く描かれている。
「大草原の小さな家」では、言葉だけでなく、そのドラマを通して感動したり、意地悪で計算高く、わが子となると見境なく溺愛してしまうミセス・オールソンや、嘘つきでわがままなその娘ネリーに憤慨したりと、世間の一窓を垣間見ることができる。
ドラマのローラの両親のように子供と真剣に向き合う親になりたいと願い、子供を育てる上で多くのヒントと教訓を「大草原の小さな家」から得たと思う。自分の損得を考えずに、公平に物事を受け止め実行するということは美徳のひとつであろう。
インガルズ一家にはそういう姿勢が見られ、非常に魅力的なエピソードがたくさん散りばめられている。チャールズとキャロラインのインガルズ夫妻の忍耐強い、ウイットに富んだ子育てにはわたしも学ぶところが山ほどあり、こんな親に、いや、こんな人間になれたらなりたいものだと思ったものだ。
人間として、親としての基本的な姿勢がそこにあり、親子も含め人間関係が希薄になりつつある今こそこういうドラマが再放送されたらいいのにな、と思ったりしている。現代映画もきらいではないけれど、昨今の暴力的な映画、ドラマには辟易しているわたしである。
我が家にある録画ビデオ本数、一本が6時間撮りで20本以上はあろう。ビデオを通しての疑似体験が、あたかも私達家族の思い出であるかのように記録されている1セットである。
参考:原題 Little House on the Prairie
原作 Laura Ingalls Wilder
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