こんにちは!
スペースワールドの佐藤(佑)です
10月中旬、弊社のもう一人の佐藤さんと
W佐藤でチュニジアへ視察へ行って参りました。
現地の様子をレポートしたいと思います
視察という事で気合を入れてチュニジアをぐるっと周遊したので、
ルートはこのような感じです。
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1)チュニジア到着~カルタゴ観光~シディ・ブ・サイド泊
2)シディ・ブ・サイド~ブラレジア遺跡~ドゥッガ遺跡~ケロアン泊
3)ケロアン観光~ミデス~タメルザ(グランドカスカド)~シェビカ~トズール泊
4)トズール~オング・エル・ジュメル~ショット・エル・ジェリド~ドゥーズ~クサール・ギレン泊
5)クサール・ギレン~クサール・ハダダ~シェニニ~タタウィン~メドニン~マトマタ泊
6)マトマタ~エル・ジェム~スース~チュニス泊
7)チュニス観光~帰国
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今回はカタール航空利用です。
夜便で上記の日程に2回機中泊がありますので、
実際は6泊9日という日程でした。
上記のようにずら~っと地名が書いてあっても
意味不明な呪文みたいに見えますよね
さてさて、チュニジアってどんな国?という方も多くいらっしゃると思いますので、少し導入編から。。
アフリカ大陸の北部中央に位置し、地中海を囲む国の一つです。
意外とイタリアと近く、特にシチリア島なんて目と鼻の先です!
(上の地図で右上の端にあるのがシチリア島です)
地中海といえば!オリーブオイル!!
チュニジアは、高品質なオリーブオイルの産地なんです
あまり知られていませんが、生産量もとても多いんですよ~!
チュニジアのほとんどのお料理にオリーブオイルが使われています。
お土産にもピッタリですね。
宗教は、イスラム教の国です。
チュニジアの歴史は、地中海地域の権力争いの舞台でもあったためとても複雑です。
先住民のベルベル人から始まり、フェニキア人による都市国家カルタゴ、
ローマ帝国、ビザンチン帝国支配下時代などを経て、
アラブ人(イスラム)による支配時代が長く続きます。
その後もいろいろありますが、オスマン帝国支配下時代の後
フランス保護領となり、植民地化されました。
独立したのは第二次世界大戦後の1956年のことです。
波乱万丈の歴史ですが、おかげ(?)で見所の多い国です!
イスラムの街並み、ローマ遺跡や砂漠、リゾートも。
フランス領地時代の影響か、首都のチュニスは驚くほど都会で、
新市街の中心部はヨーロッパのような街並みで洗練されています。
公用語はアラビア語ですが、フランス語が通じます。
いろんな場面で、フランス語で挨拶を受けました
ホテルや観光スポットでは、簡単な英語も通じます♪
アラブの春(ジャスミン革命)や、2015年のバルドー博物館の事件があり、
しばらくは外務省の危険レベルが上げられていたのですが、
今年多くの地域が『1』に下げられ、観光客も戻ってきているような状況です。
実際に各国から沢山の観光客が来ており、日本人の観光客の方もいらっしゃいました。
ホテルやチュニス発着の飛行機で、日本からの団体ツアーの方にも何度か遭遇しました
今回私たちは、まだレベル『2』となっている南部の方も行ってきました。
追記: 2019/3/29 ネフタ、ドゥーズ、クサール・ギレン、タタウィン、メドニンなど弊社ツアーでも訪れる南部の町がさらにレベル1に引き下げになりました。
そして忘れてはいけないのが、有名な映画のロケ地であること!!
『スター・ウォーズ』エピソード4での主人公ルークの故郷や、
エピソード1でアナキンがいた奴隷居住区などの場面で登場します。
また、1996年公開の映画「イングリッシュ・ペイシェント」は、
その年のアカデミー賞の9部門を独占した作品ですが、
チュニジアの南部の美しい風景が物語の舞台として使われています。
私たちが見てきた現地の様子を詳しく書いていくので、
是非最後までお付き合いくださいませ
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