“サッチョン”は、ある時期限定の北海道弁だと思います。 戦後、朝鮮戦争の特需で日本が経済成長する中、立ち遅れた北海道に中央から官庁や企業の精鋭が出向し、国家レベルの地域興しが行われた時期があった様です。 多くの要人は、期間限定の“単身赴任”が多かった。 彼等を 敬意をこめ、道民は“サッチョン”と呼んでいたそうです。 大都会から、開発の遅れた“北海道”に出向するのですから、いわゆる左遷されたと泣き泣き来道したのは理解できます。(僻地に飛ばされたと) そんな彼等が、北海道(主に札幌)の環境に慣れ親しみ、やがて中央からお呼びが掛かると“サッチョン”は、再び泣いたと言われます。 「今度は、帰りたくない」
それを“サッチョンは二度泣く”と、言った様です!
確か、昭和30年~50年の事だと思います。 その頃は、札幌・特に“薄野(すすきの)”の夜は楽しかった筈です。 酒も肴も、美味い。 家族からの束縛もなく、交際費で飲み・食べ放題なら、“サッチョン族”の天国だったと思います?(役得) それから半世紀、札幌市は“200万”都市に近付きました! しかし 北海道経済は、現在 50年前に戻りつつ疲弊の道を辿っています。 思えば 日本全体の経済成長が、右肩上がりを忘れてしまっている様です。 何等かの“カンフル剤”が必要です? ただし、医者が処方する“お薬”では埒が明きません! “企業戦士”すなわち“旧・サッチョン族”を、再び地方に派遣し活力を与えて欲しい!
現在 北海道の“食料自給率”は、カロリー換算で“約180%”の様です。 この状況は、20年前と大きく変わっていません。 思うに 国政が、北海道の農水産物の増産に見切りをつけたと思います。 ある意味で、儲かる自動車の輸出を重要視し、黒字緩和の為に、海外から農産物を買い国内生産を規制した? その結果、北海道の農業も水産業も衰退の一途を辿っています。 特に 農業は深刻で、労力に相当する収入は、公務員の年収に遠く及ばないのです。 その為、将来を担う後継者は少なく、明日の北海道農業に希望はありません!
“新型コロナウイルス”の情報を知って驚きました。 東京の“ラーメン店”や“居酒屋”は 野菜も肉も調味料も、食材の多くが“中国産”だと言う現実です。 「安くて美味い」 それで、満足できるのでしょうか? 「国産(北海道産)の食材は高い」 そんな認識では、この世は闇です!
アメリカでは収穫作業が労働者不足で思うように進まなかったり、国によっては輸出規制に乗り出しており、来年あたりは食料問題が少なからず出てくるのではないかと思います。
かつて人類の増加に伴う肥料の枯渇が心配されたときにハーバー・ボッシュ法が開発されて人類は飢餓を免れましたが、こうしたコロナウィルスの影響が長引くとチリ硝石を巡って戦争が起きたように、食料をめぐる戦争が起きるかもしれません。
このようなリスクが顕在化したことからも、いまの日本は食料自給政策の転換点を迎えたのではないかと思います。
外国産の野菜などで何か問題が生じた時、「外国産は安心できない」といわれます。でも、「のど元過ぎれば…」で、消費者は価格の安いものを求めてしまう。
「地産地消」とは、その根底に相合互助の考え方があります。「地域の物は地域で支え合いましょう」と。わたしは国産を求めるようにしています。商品があれば、出身県の物を、特に納豆、卵、レンコン、豆腐など日常食するものはそのようにしています。
地域産業は地域で支える努力が必要と思っています。
サッチョンという言葉は知らなかった。
初めて知り勉強になりました。
偏見かもしれないが、
中国の野菜は大丈夫なのか?
農薬がたっぷり散布されてないのか?
日本人が食べるから、と。
国民の命である食料
国内での自給自足率をjaの役割も大きいのだが、
昔の農協、助け合うという理念は埋没し
農民は
Jaの商品を売る対象でしかない。
Jaの理事役員の報酬は高額である。
話はずれたが、自給自足の国にしていきたいものです。