

「スカッと爽やか コカ・コーラ 」 世界中で、これほど売れた清涼飲料はありません。 果たして、アメリカによる “社会貢献” ・“成長戦略” だったのでしょうか?
コカ(COCA) とは 一体何か? アフリカ・インド・ブラジルなどに自生する樹木の名称です。 コカの葉を磨り潰し乾燥すれば、アルカロイド系の麻薬である コカイン が出来るのは周知の事実です。 コカの毒性は、中枢神経を侵すだけではなく生体のカルシウムを溶かす作用もあり、子供に与えると神経障害や成長を阻害する危険な物質です。 今でも、南米の山岳地帯に住む人達は、高山病の予防を理由にコカの葉を噛んでいる様です。 クスリと言うより、幻覚作用が目的の様です。 勿論、秘密裏です! そんな“コカ”が、どうして清涼飲料として世の中に出回ったのでしょうか?
コカ・コーラの原型を造ったのはアメリカの薬剤師で、田舎の店で“整腸剤”として売ったのが始めの様です。 その製法を薬剤師から買ったのが、現在のコカ・コーラ社だったそうです。 しかし コカの葉を使う事が問題になり、1903年にアメリカの法律でコカの使用が禁止されています。 コカ・コーラ社の 疑惑 は、その後の研究にあります。 コカの葉(法令上使用禁止)を使い、麻薬成分を 100% 取り除く製法を生み出したと言うのです。 そんな都合の良い製法など、聞いた事がありません。 高度な技術は、一体 何処にあるのでしょうか? コカ・コーラ社の 大きな 金庫の中 にあると言うのです?(不可解です) それが アメリカンドリーム なのですかと 問いたい! 法治国家アメリカには、理解の及ばない司法取引なる裏がある様です。
これは、単なる 問題提起 です。 決して、コカ・コーラ社を一方的に非難している訳ではありません。 資本・拝金主義社会には、同じ様な悪しき事例は無数にあるのです。 特筆したいのは、“麻薬”・“毒薬”・“細菌”・“ウイルス”など、本来 人が摂取してはいけない異物を、医療目的として節操もなく利用している事です。「毒を以て毒を制す」それが “医薬”の根幹ならば、“医療”の存在自体が危ぶまれます。
それを考えると “コカ・コーラ”の 毒性 が、嗜好者の健康に 多少は貢献してるのかも知れません?
私も若い頃は、“コカ・コーラ”が 大好きでした。 汗をかいた時などは、500ミリリットルの瓶入りを“一気飲み”でした。「美味かった」多分 昔のコカ・コーラは、今の成分と大きな違があったのでしょう? 1990年頃から「爽やかさ」が、大きく減った。(不味くなった) それに伴い 嗜好者が激減しています! 健康被害が、急増したのかも知れません?
100年以上、コカ(麻薬)の名で 販売して来たアメリカ発の “清涼飲料水” は、永久に世界から愛される価値があるのでしょうか?
2016年3月26日、北海道新幹線 が開通しました。 道民の悲願が、叶ったと思います。 ただし、現在の停車駅は「木古内駅」と「新函館北斗駅」の2か所で、終点:札幌駅まで全線開通するのは 2030年の予定です。 果たして、実現するのでしょうか? “新型コロナウイルス”の影響で、経済が疲弊しているので心配です!
札幌駅までのルートは、殆んどがトンネルで モグラ新幹線 と揶揄されています。 車窓から雄大な北海道の景観が見られなければ、旅の楽しみは半減すると思います。 長い“青函トンネル”を通過し、再びトンネルに突入するのは、流石に興ざめします。 北海道新幹線の先行きは、トンネルが多いだけに 暗い と思います。 何故なら、夏場は良くても冬場の気象は、北海道一厳しい地域だからです。 特に、ニセコを有する倶知安町周辺は、豪雪地帯であり雪の量は半端でありません。 新幹線の前に、除雪用新幹線が必要になるかも知れません? 長万部駅~終点・札幌駅のルートは、高速鉄道:北海道新幹線には向かないと思います!
50年前「北海道新幹線着工ルート」は、長万部駅~室蘭駅~苫小牧駅~千歳駅~終点:札幌駅で決定していました。(これは事実です) 当時、室蘭本線沿線の大規模な用地買収があったのです。 しかし、用地買収した不動産会社に問題がありました。 売買契約の段階で、値上がりが確実と札幌市の価値のない土地(市街化調整区域)を強く薦めたのです。 結果的に不動産会社は、原野商法と言う詐欺で莫大な土地を騙し取った事になります。 北海道庁は、新幹線の土地買収で多くの詐欺被害者が出た事を把握しています。 国としては、室蘭本線経由 の新幹線ルートは、道義的に使えないのです。
安易に 函館本線経由 を利用した北海道新幹線は、将来 良い結果など生まないと思います。 現に JR北海道は、脱線事故や列車火災などトラブル続きで、経営の存続自体が危ういのです。 また 国鉄民営化以降、人員削減が原因で 保線(保守点検)の業務が手薄になっています。 広い大地が、“足枷”かも知れません。 北海道新幹線は、起死回生の“賭け”でしょうか? 激安料金の“航空機”と張り合っても、勝てる筈がありません!
“新型コロナウイルス”の影響もあります。 日本の景気回復が望めないのは、最大の“ネック”になります。
◎ 黄色が着工区間 赤が未着工区間
既に “青函連絡船” の存在も記憶も薄れていると思います。
・・・ 津軽海峡・冬景色 ・・・ 歌「石川 さゆり」
♪ 上野発の夜行列車おりた時から~ 青森駅は雪の中
北へ帰る人の群れは誰も無口で~ 海鳴りだけを聞いている
私もひとり 連絡船 に乗り~ 凍えそうなカモメ見つめ泣いていました
あああ あ~ 津軽海峡・冬景色 ♪
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東北本線&奥羽本線の下り終点“青森駅”と、函館本線の始発“函館駅”を結ぶ 青函連絡船 は、1988年(32年前)に役目を終えて廃止になっています。 理由は、世界最長の青函トンネル(約 54㎞)が完成したからです。 北海道と本州が線路で繋がるのは人々の悲願でしたので、青函連絡船の廃船は致し方の無い事です。 しかし、便利とは言えない“連絡船”の旅は、ドラマに似た思い出があるものです。「津軽海峡を乗り越えられた」故郷を後にする人・帰る人、それぞれです。 良い事も悪い事も、全てが思い出です!
私は、10回(5往復)ほど“青函連絡船”に乗ったと思います。 最大の問題は、時間が掛かる事です。 本来 本州と北海道は、最短距離で30kmしかありません。 青函連絡船の航路は、両港(青森港~函館港)まで 113kmと長過ぎました。 津軽海峡より、陸奥湾を航行する距離が、遥かに長かったのです。
90年(1908~1988年)青函連絡船は、本州と北海道を繋ぐ“架け橋”でした。 1日十本ほど、青函連絡船を担当する国鉄マン(現・JR職員)は、仕事とはいえ大変だったと思います。 客車や貨車を その都度“連絡船”に乗り換え、乗客を安全に誘導しなければなりません。 乗客名簿を確認し、転落事故は いないか? 相当 苦労されたと思います!
私が“青函連絡船”を最後に利用したのは、1970年代後半だったと思います。 急用で東京へ行ったものの、帰りは年末で列車の予約が困難でした。 止む無く、各駅停車の在来線に乗ったのが、悪夢の始まりです。 SL(蒸気機関車)で遅いのは当然ですが、搭乗客は優に“400%”(今では考えられない)を越えていました。 荷物を抱えた乗客が、客車に押し込まれたのですから、状況は想像できると思います。 上野駅~青森駅まで14時間、何人も具合が悪くなり途中下車しました。 若かった私は、辛うじてピンチを乗り越える事が出来ましたが、地獄の様な経験は二度としたくないと後悔しました。 青森駅に到着し、青函連絡船に乗って 6時間は天国でた。 連絡船のデッキに立って、冷たい潮風を受けた時、身も心も蘇る思いでした。 函館駅へ着き 再びSLに乗って最寄り駅へ 4時間、24時間の旅は終わりました。 以降、“青函連絡船”も“国鉄”(現・JR)も利用していません。
◎ 1988年 廃止された「青函連絡船」
“青函連絡船”で最大の事故は「洞爺丸」の沈没でした。 1954年、台風情報がありながら強行出発した「洞爺丸」は、終点の函館港を目前に横風を受け、沈没しました。 船底に積んだ重い“客車”や“貨車”が、瞬時に荷崩れを起こし大破したのです。 その結果 犠牲者は、死亡者・行方不明者を含め 1,154名と、日本船舶事故最大の“惨事”でした。 また、小さな事故や自殺者は 数え切れない程 あったそうです!