私が初めて死体を見たのは、小学校1年生の時でした。 学校から帰って間もなく、SL(蒸気機関車)の激しい警笛とブレーキ音が聞こえました。 「事故だ」 、急いで50メートル程離れた踏切に向かって走りました。 到着した時は、まだ SL は完全に止まっていませんでした。 多分 私は、2番目に現場に到着したと思います。 最初に見かけたのは、ランドセルを背負った年上の小学生でした。 青い顔をして、線路脇の立ち木の方を見ていました。 そこには、列車に撥ねられた小学生が「頭蓋骨の半分を失い“脳ミソ”がむき出し」になって死んでいました。 見た瞬間、思わず貧血を起こしそうな大きな衝撃を受けました。 7歳にして、トラウマ(精神的外傷)を経験したのです。 しかし あれほどの“ショック”でも、私の中で消すに消せないトラウマにはなりませんでした。 ただ 覚えている程度で、大きな心の傷にはなっていないのです。 個人差はあると思いますが、幼い頃の忘れたい記憶は 本能で消し去る事が出来ると思います!
列車事故から 6年後、何年も消えないトラウマを体験する“出来事”がありました。 毎年 正月は、20キロほど離れた母親の実家に遊びに行くのが恒例でした。 大きな防風林に囲まれた農家で、雪道をバスと徒歩で 2時間以上かけて向かわければならない不便な“僻地”でした。 そこには、同年代の従兄弟が 3人いて何時も訪問を歓迎してくれました。 私のお土産は、決まって‟空気銃の弾”でした。 町の金物屋で100発50円で買った鉛弾を、従兄弟たちも待っていました。(あの頃は、空気銃の弾は自由に買えた) 昔でも 空気銃を扱うのは、許可制で年齢制限がありました。 しかし、僻地ですので誰にも咎められません。 そんな事で、古く真っ直ぐ飛ばない‟空気銃”が、子供達の遊び道具だったのです。 中々、スズメや野鳥を狙っても当たりません。 そんな時、防風林の枝で休んでいた1羽の“フクロウ”を見つけ、打ってしまいました。 「多分当たらないだろう」が、偶々命中してしまいました。 フクロウは枝に摑まった状態で、180度反転して死んだ様でした。 それを見ていた従兄弟たちは、唖然としていました。 屋敷に侵入するネズミや蛇を捕食する、防風林の“守護神”だったのです。 「残酷な事をしてしまった」 その思いが、私のトラウマになりました。 何年も夢の中で、死んだフクロウが “祟り”の様に現れるのです。 フクロウのトラウマを克服したのは、自己反省から‟愛鳥精神”を持つ様になってからです。 今は、野鳥が大好きな存在になっています。