今、新幹線で東京に帰る途中です。
福島県通過中です。
仙台のすべての季節を何度も味わいながら通いつづけました。
ほんとうに色々な人生の試され事が起きました。
その中で、私の奥の奥の方にあった、まさかの胸騒ぎが3月11日に起こりました。
3月11日を境に仙台が宮城県が東北が日本が世界が変わりました。
表側が変わらなくても変わりました。
牛タンは一度だけ食べました。塩っぱかった。
キヨスクに牛タン入のお菓子まであります。当分は売れないでしょう。
マスクをしている人は見かけません。今のところは…
来月8月、私はお引っ越しで忙しく、夏休みシーズンですし、仙台には伺いません。
9月から来たいけど、安心安全な食材が手に入らない仙台。
私の安心安全な食を家庭料理で築くという主義を崩す訳にはいかない。
私は3月11日から食材の安心安全確保のために、
フィールドを変えないといけなくなりました。
4月に宮城県に炊き出しに沢山のボランティアとご寄付をいただき、
東京の仲間にも一緒に来てもらい、
夢中で370人分を作り配りました。
大好きな東京を離れる…辛い決断を5月に決めました。
6月に宮城県に伺い、福島第一原発事故による放射性物質の汚染の事実について説明をしました。
今月7月に沖縄に行き、賃貸物件の契約をしてきました。
2月からお休みしていたお料理教室を昨日再開しました。
でも最善を尽くしましたが、食材に対して胸を張って安心安全とは言えませんでした。
仙台の方々に安心安全な食のために、私の住む沖縄に来てほしいと心から願っています。
長い人生の中で3年間の沖縄生活もあっていいのではないか?
とイージーに考え、ピンチをチャンスに変えるつもりになりました。
仙台の方々もこのピンチをチャンスに変えて欲しいです。
表に出なくても、3月11日から日本は変わりました。
表側に全てが出る時が恐いです。
10年後だそうです。。。