☆日々是好日☆

最凶・最強~荒波乗り越えどっこい生きてる、🐔のひとりごと

4年前の悲喜こもごも

2020-08-14 16:54:12 | 日々つれづれ
あれからまだ4年しか経ってないのか・・・
長かったようなあっという間だったような。

今年の年明けに母いる施設に行って、完全に私の事も息子の事も忘れてしまっている母の姿を見て呆然と言うか、なんというか
息子は母の姿を見て号泣してたけど、私は悲しむという気持ちは湧いてこなかった記憶があります。

親に対する複雑な気持ち。

若い頃からずっと口にしていた言葉
「あの人たちが居なくならないと私は解放されない」

以前はあれだけ頻繁に来ていた父からのメールも来なくなった。
もうメールを打つこともできない状況なんだろうね。
父に関しては『無』
実父に対して無とは何ぞや!と言われるかもしれないけど、皆がみんな家族仲良しってわけじゃないからね。
うちは特に複雑。
メールが来なくなってせいせいしてる
それが私の本心。


4年前の今頃書いていたブログ
自分でもあぁ、、、、、、思うところはあるので載せておこうと思いました



人間万事塞翁が馬
2016-08-27 18:17:31
テーマ:ブログ

人生における幸不幸は予測しがたいということ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりするべきではない

分かっちゃいるけどさ・・・

今回の記事は若干重めざんす
悪しからず


4月10日の夜、脳出血で母が倒れてから4か月半
ようやく退院のめどがたちました
30日には仮退院

でも、、、

帰るのは実家


母が倒れた原因はストレスに違いないと誰もが口をそろえて言う。

それを完全否定する人間二人
それは妹と父

そもそも母に過剰なストレスを与えそして、、、壊してしまったのはあんたたちだろっ!!

幾度となく声をあげて言いたかった
でも、母が入院している間言えなかった。
言っちゃぁいけなかった


倒れる数か月前から極度に物忘れがひどくなってきた母
そして味覚障害を発症
何を食べても甘く感じる
ものが美味しいと感じられない。母が言う。これはストレスだ!!と


私のところに来ていて帰らねばならない時にはいつも「あの家に帰りたくないな。。。でもやらなあかん事あるからとりあえず帰って来るわ」
いつだったかはため息つきながら
「もうこんな人生嫌や。生きてても仕方ない。」

私は近くに住んでいなかったから詳細は分からなかったけど、昨年息子の受験のために甥っ子に家庭教師を頼んでから知った事実

甥は東京の大学に行っていたこともあり、よく実家には顔を出していたんです。

「おばちゃん・・・ばあちゃん、今のままやったら壊れてしまう。お母さんもじいちゃんも、祖母ちゃんのこと人間扱いしてないもん。」


ここにも何度か書いたことはあるけれど、妹はパーソナリティ障害というもの
境界性人格障害ともいう。

過去にうつ病を患ったことはあったのかもしれない。
だけどそれは完治していると妹の主治医は話している。
主治医が言う「あとは性格の問題」
それが境界性人格障害なるもの

幼少期から元々理屈っぽいところはあった。

まだ幼稚園の頃のこと
口だけは達者で、今は亡きおばあちゃんがよく言っていた言葉を思い出す
「3歳5歳の憎まれ口とはよく言うけど、この子は治らんな~笑」

お祖母ちゃんは笑っていたけど、それが後々みんなに影響を及ぼすことになろうとは誰も予想はしていなかったよ。

下手に頭の回転が良いから論破することに長けている

あることない事、自分の都合のよいように合わせてそれが真実かのように話す。
最初はだれもが信じてしまうんですね。

でも話しているうちにおかしいと気づく。
妹の口から出てくるのは悪口しかない。
私の前では母と父の悪口。父や母、甥や姪の前では私の悪口。
まだ実家に帰ってくる前は甥の前では姪の悪口を言い、姪の前では甥に悪口を言う。

とにかく身内に限らず、その場にいない人間の悪口三昧
よくそこまで言えるよね・・・っていうほどのこと

そのうえ虚栄心が強くプライドが高い。
なのに行動が伴わない。

その調子で甥っ子たちが小さい頃に幼稚園や小学校で役員なんているもんだから、結果四面楚歌。
誰からも相手にされなくなってしまう。

そして孤独感だけは強いから酒におぼれ狂言自殺未遂を繰り返す


そこに至るには様々な理由があって、一概に妹だけを責めることはできないのだけど。
でも物事には限度ってものもあるだろう。
私はそう思ってしまうんです。

親の過去の過ち。
何十年も前の不倫をあげつらって食って掛かって来る。

家の恥を晒すようだけど母は私たちがまだ学生の頃、妹の同級生の親と不倫をしていました。
母の経営していた店をよく手伝ってくれていたその男性。

時折家にかかって来る密告電話。
それはその男性の奥様の不倫相手からの密告だったのではないかと思ってます。
もうドロドロ。
所詮同じ穴の貉同士の叩き合い

母は私たちにばれてないって思ってたかもしれないけど、皆知っていた事実。

あの頃の母は仕事一筋で家庭を顧みるって事に関して意識が薄かったと思う。

だけど、やっちゃいけないことはいけない。
不倫は罪です。

話が横道それるけど、私の元同僚もそう。
いい人見つけて不倫から脱出したかと思ったけど、また別の人と不倫を始めた。
不倫は病気だ。私はそう思ってる。
本人の意識次第で直るかもしれない。
だけどそれに溺れてしまっていたら善悪の判断つかない。絶対に気づけないから直らないと思っているよ。
寂しいとか、誰かにそばにいてほしいとか。
それは言い訳。何も妻子ある人に手を出さなくても、靡かなくてもよかろうて
どうしてもその人と一緒にいたいなら、すべてを捨てる覚悟で双方がひとり身になるべきだと思いますよ。
まぁ、、、その覚悟が無いから不倫になるんでしょうけど。
要は我が身可愛さの自己中なんですよ。
実際その当時のうちの母もかなりの自己中でしたから。


ともかく・・・いろんなことが有り過ぎてそれぞれが壊れるきっかけを作ってしまった。


「私は姉ちゃんみたいに能天気じゃない」
妹からよく言われる言葉。

おいおい~それを言うならポジティブと言ってくれよ!!(笑)
だってそうじゃん!
済んだことをくよくよ考えたところで過去は戻ってこないわけだしさ。

親の行いが嫌ならば反面教師にすればいい

堂々と言えることじゃないけど、私はずっと両親を反面教師にして生きてきた。
それが正しかったかどうかはともかく。
そう言いながらも娘が家を出てしまったのは、やっぱり私の中にどこかに両親的要素があってそれを娘に向けてしまっていたんだと。いまさらながら反省しています。

娘の性格は私にそっくりだったから。

ん???
話がそれまくってしまった・・・


そう。そんなこんなででき婚をして居住地を北海道に移した妹も離婚をし、5年前に実家に戻って来た。
だけど”病気”が治っているわけもなく、実家はみるみるごみ屋敷状態となってしまう。
倒れる前の母ともよくぶつかっていた。
そして戻ってきてからたった一年で「こんな家にいたら治るもんも治らん!!」
とタンカ切って、親に借金させた金をもってまた北海道に帰って行って。

なのに・・・それから2年後の昨年3月にまた戻ってきてしまったのです。

気に入らないことが有ると大声で怒鳴る泣きわめく。
両親を罵倒する。

そして母は壊れました。


そんな家に母を帰せるわけもなく、どうにかして私のところで引き取れるよう奮闘しましたが、決まった話を何度も妹にひっくり返され、結局母は実家に戻ることになってしまいました・

母の意思とは言うけれど、甥は絶対に妹が何かを吹き込んだに違いないと。そう勘ぐっています。


母の古い友人から言われたこと。
「あなたもう十分頑張ったからもういいわよ。みんな分かってるから。これもママの人生。そう思うしかないじゃない?」

納得はいかないけど、、、


妹との間に有った嫌な事を忘れてしまっている母。
そして私の身体を気遣い、無理して私が倒れたら困るから実家に帰るんだという母。

待っているのは地獄しかないのに・・・
そう思ってしまう。

だけどもしかしたら何とかなるかもしれない。


こればかりは過ぎてみなけりゃわからない。
吉と出るか凶と出るか。

全てのことに対して自分が裏切らなければきっと良いほうへ向かうと。
そこのところの努力だけは歩みを止めずに行きたいと思ってます。



これに関してはまだまだ書きたいことはあるけれど、あまりに多すぎて自分でも収拾がつかなくなってきたので今回はこの辺にしておきます。


続きはまたいずれ。



コメント
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