2016年の作品。
あっという間の1年。
2016年の作品。
今年も色々有りました。
2月に転職。
3月には両親のお墓参りに行き、叔母や従弟等々お互いにわだかまっていたことの解消。
引っ越しに入院からの手術。
いやぁこれまた盛りだくさんでございました❗
残念ながら年越しは病院となってしまったけど、2024年は再出発の年!
自分の為にも実の有る生き方をして行こうと決心した次第であります(^^)
前向いてりゃ転ぶまい。
踏ん張って行きまっしょい\(^-^)/
2016年の作品。
実は生け花習ってました(^^)
あ、今日の夕食はお蕎麦でした!
クリスマスにはケーキも出たし、病院食もそれなりにイベントモードになっています。
今日だけは消灯時間後もテレビOKとな( *´艸`)
本当に6週間で退院出来るんか~いっ!
いやいや、無理やろ、、、
新たに提示されたリハビリ計画と、退院しても立ちはだかる壁、壁、壁ー❗
先週木曜日に整形外科病棟からリハビリ病棟へ移動し、広いリハビリし室でのリハビリが始まったのたけど、、、
年末年始で主治医と担当のリハビリの先生が3日までお休みって事もあり、荷重かけは4日からになりました。
そこまでは固定して曲がらなくなっていた膝の曲げ伸ばし訓練。
痛みに強い?いや鈍い私もこれにはちょいとばかり参ってます。
言うこと聞かない脚!
痛みが出るが故に脳みそが勝手に防御反応を取ってついつい力が入ってしまうんだよね。
「はい~もっと力を抜いてくださいね~」
抜いてるつもりがガッツリ入ってる😅
下手に力を入れたら今度は違う関節に弊害が出てしまうからね。
もうこれ以上身体に不具合は出したくないものです。
整形外科病棟でリハビリを担当して下さっていた先生は「膝が90度曲がるようになってからが大変だよ」って仰っていたけどホントにその通りだわ。
そして今担当して下さっている先生の話を聞いて更に納得した事。
術後2週間全く動かせない状態で固定していたから曲がらないのは仕方ない。
だけど私の場合はそれ以外の問題も有ったんだよね。
今年の6月以降どんどん痛みが増して来て、8月くらいには右膝は脚を伸ばした状態でも真っ直ぐにはならなかった。
床に座って両足を投げ出した状態で、左足は真っ直ぐ伸びるけど右足は曲がったまま。
拳が入るほどの隙間が!
痛すぎて真っ直ぐに出来なかったんです。
当然立っている時も右膝は曲がったまま。
仕事中もしゃがめなくなってしまっていたから、低い場所の品出しは右足を伸ばした状態でやるしかなかったもの。
そうすると筋肉はその状態を悪い意味で覚えてしまうから尚更真っ直ぐにはなりにくくなってしまうと。
元の状態に戻すまでかなりの時間がかかってしまうのは必至!年齢的には4倍近くかかるかも。
5ヶ月近く曲がったまま。
って事は単純計算で20ヶ月😞💦
まぁここまできたら焦っても仕方ないので地道にリハビリをするしかないよね。
よくスポーツ選手で怪我をした方が
「もう競技を辞めようかと思ったこともある」と話されているのを聞くけど、なかなか思う様に行かないリハビリに折れそうになるのかな。。。
そんな事をふと思ってしまいました。
4日から3/1荷重。
一週間後の11日辺りから2/1荷重。
2/1荷重とは両足で立てる。それだけの状態。
まだ歩くことは出来ないのですよ。
全荷重で片足ずつ前に出して歩くと言うね。
で、2/1荷重を1週間。
主治医は3/2で片腕の杖になったら退院と言っておられた。3/2になるのは18日辺り。
2/1で退院も可能だけど、その場合は両松葉杖。
その状態で週一のリハビリに通うことになるのだよ。
前の家に居ようが今の家に居ようが駅まではタクシーになってしまうのは仕方ない。
ただ問題が駅で、最寄り駅は電車とホームの間がかな~りあいている。
間違って踏み外した日にゃ大惨事なんだよ。
何か、色々考えてるとやはりちゃんとリハビリを受けきってから退院した方が良いのかとも思うんだ。
そうすると退院は1月21日辺りになってしまうと。
えっ?何週間??8週間???
3週間の倍どころじゃ無いぜよ!(-o-;)
早くお花も作りたい❗
頼まれものもあるしね。
ん~~~葛藤は続く❗❗
けど身体は大事(^^;)
病室から見えた朝の月
窓側が空いたので移動させて貰いました(^^)
気が付きゃ今年もあと4日ですな。
今年の年明けはまさか病院で年越しをするなんて考えもしてなかったわよ!😅
当初主治医は「全荷重は年末かな~」
なぁんて話しておられたのに、全荷重どころか最初の3/1荷重すら辿り着いてはいないんですね。これが(-o-;)
主治医曰く「骨切術の人は皆さん大体が6週間は入院してるからね」
おいおい~じゃぁ最初に3週間なんて言わないでよぉ、、、
最初に3週間って言われて倍になるより、最初に長く言われて早く出れる方が気持ち的には楽なんだよ~ぉっ!!
同じ膝の骨切術をした方々のブログを拝見しても殆どが6週間。
本当はそれがメジャーなんだろうね。
いや、だって!ホントに!!
何度も言うよ!手術よりリハビリの方が痛いしキツいからね。。。😭
固定すればするほどキツくなってしまうのをひしひしと感じておる訳ですよ。
亀裂骨折のお陰でガッツリ2週間ホールド。
筋肉は落ちまくるは固まるは❗
今日からいきなり装具無しで、膝の可動域制限解除。
リハビリの先生は「もっと曲がると思ったんだけどな、、、」と。
まぁね、曲げるのにどうしても痛みは発生するわけで、自分では曲げるのが怖いとは思ってないんたけど身体が拒絶反応ってか防御反応に入ってしまう。
先生曰く「自分では思ってない事も脳みそが勝手に防御反応に入ってしまうんだよね。たからなにも考えないで大丈夫~大丈夫と脳に言い聞かせて曲げてみてね」と。
因みに脚への荷重かけのリハビリが始まるのは年明け4日から。
本当はもう始まってるはずだったのたけど、「年末に何かあっても困るから」と言う主治医の意見でとそうなってしまいましたとさ。
退院は2/1荷重で松葉杖しを使って。
退院後の週一のリハビリも松葉杖。
さ~あどうしましょ❗❗
電車に乗ってバスに乗って、松葉杖は結構キツいと思うんだよね。
でも、リハビリ病棟は9割方有料床。
無料床に入るのも順番待ち。
おそらく退院までには回ってこないでしょうね。
完全に歩けるようになるまで入院したら破産してしまうわ😞💦
色々有るけど、、、
ここまで来たら仕方ないので、なんとか踏ん張って行きましょ❗
1ヶ月経つと傷も浮腫も良くなりましたよ(^^)
「全荷重かけられるのは年末かな」
↑↑↑
当初主治医が話していた事。
でも今朝主治医が来て言うには
「荷重をかけるのは年明けからかな。年末になるし、ここでバタバタして何かあってもだしね」
え?
って事はあと3週間は入院って事か?
年明け1週目開ければ退院と考えてたんだけどね。
リハビリ病棟に変わって有料床になって、3週間でいくらになるんだ?
そこも危惧するところ。
そりゃね有り余るお金もって入院するならともかく生命保険で下りたとしても足が出るよな。
同室の方ともお話をしてたのですが
「先生はゆっくりっていうけどコレ(お金)の事もあるしね。先生と私達の考え、思いって違うわよね」と。
家ではちょいとバタバタな事もあり。
娘っちが体調崩して入院したり、気持ち的にはゆっくりなんてしてられないよー!状態なワタシ
リハビリの先生もにも話したけどしレントゲンの結果ぎ良ければ進めて欲しいと。
リハビリの先生も言ってました。
「もし主治医の先生が何となくで先延ばしにしているんだったら、進めた方が良いですよね」
正直葛藤はある。
無理してやって何かあっても困るし、この4週間が無駄になってしまうから。
でも可能であれば歩きたいし進めて欲しい
これ以上筋肉を落とすと戻すのにどんどんキツくなってくる。
あ~~~葛藤だよぉ
どうすりゃいいんだ!
因みに脚の曲げ伸ばしは超順調です。
リハの先生曰く他の人よりかなり早いと。
だから荷重さえかけられる様になったらきっと早いとも言われました。
👩⚕️「🐔さん何か運動してましたか?」
🐔「はい、学生時代部活でバスケと剣道を。あとコロナ前までジムに通ってました」
👩⚕️「あ、だからか。筋肉の付き方が違うと思いました😅」
いやいや、でもね本当に驚愕するくらい右足の筋肉は無くなってます。
戻すのに固めた時間の何倍もかかると。
今の年齢だと1ヶ月後使わなかったら半年、、、下手したら1年半かかる?
場合によったら戻りきらない可能性の方が高いとかなんとか。
困ったもんだよ。
ホント、、、
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膨れたワカケホンセイインコ
今の私もこんな気持ちかな。
②&番外編からの続きです。
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今回で完結、、、するはず、かな?笑
最初に私の身体に「がん」と言うものが見つかったのは40歳になったばかりの頃。
健康診断で受けた便潜血検査で『E要精密検査』が出てしまったのです。
その後近所の消化器内科で大腸の内視鏡検査を受け、1.7cm芋虫状の"ポリープ"が見つかり、その場で切除をして貰いました。
その"ポリープ"は癌化していました。
その1ヶ月後に経過観察の為の内視鏡検査を受けたのですが、取ったポリープの有った所の粘膜下層までガンが浸潤している事が判明。そして前回の検査で腸のひだの中に隠れて見つからなかった新たな腫瘍らしきものも発見!
その腫瘍らしきものの組織検査をして貰ったのですが、カルチノイドと言っていわゆる『ガンもどき』と言うものだったのです。
当時は【「がん」とは呼べないけど肝臓に転移をしたりする厄介なものなので、これから先はガンと同様の治療が必要と思われる】
と言うものでした。
そして先生からはT大学病院を紹介され受診したのですが、、、
いきなり1週間の検査入院を言い渡されたのだけど、検査内容から見ると十分外来でも検査できるものでした。
当時の私、時間もあるし健康状態も良好。なぜ入院までしなければならなかったのか未だに不明です。
で、そこで言い渡された手術方針は、大腸を20から30cm切除して人工肛門を着けるしかないと!
40歳で人工肛門って、、、
悩んだ挙げ句思い出した!従兄が製薬会社に勤務してるからもしかしたら何処がお勧めか教えて貰えるかも!!
藁をも掴む気持ちで連絡したら、S大学病院へ行くと良いと助言してくれました。
紹介状は掛かり付けの消化器内科の先生に書いて貰いました。
先生も「S大学のあの先生は有名だから良かったね」と。
一時は人工肛門になるかも知れなかった状態から一転。内視鏡手術で取って頂くことが出来たので人工肛門は回避されました❗
同じ疾患でもその技術力によって患者の身体の負担は大きく変わってくるものだと痛感しました。
私の母などはどうしても「義理」を重んじてしまうから、治らなかったら転院する様に勧めるも「先生に申し訳ないし」と。
いや、自分の身体の方が大事だろ?
三軒回って同じ事を言われたら、その中で一番合う所信頼できる所にお願いすると、色々経験した結果そう決めています。
亡き祖母がよく言っていた
「医者選びも寿命のうち」
乳ガンの時はインターネットも使えたので、検索しまくり3つの病院を候補に挙げ、従兄に確認して貰ったら「K大学病院のS先生を訪ねるように」とのアドバイスを貰ったので、セカンド・オピニオンなくすんなり治療に入れました。
乳ガンの時の主治医の先生が言ってました
「ネットは怖いことしか書いてないからね。人それぞれ症状も違うからまずは俺の言うこと信じて、頑張って行こう!!」
とのお言葉は心強かったですよ。
今回脚の手術に至ってはあちこち病院巡りみたいな感じになってしまいましたが、結局一番信頼のおける大学病院に落ち着きました。
"骨だし、命取られる場所じゃないし"
なぁんて考えが悪化の一途を辿る原因となってしまった😅
痛みに強いのも大概やなと深~く反省。
これからは痛みが出たらちゃんと病院へ行こうと思います。
、、、思いますじゃダメだよね(^^;)
行きます!ハイ❗
取り敢えず完結でございまする。
少しでも迷いが出たら他の意見を聞くことも大事です。
自分の身体は自分で守ってあげないとですね。
大袈裟と言われようがなんと言われようが、受診して検査して何もなければそれでよし❗
毎年健康診断(超音波検査など)を受けていたにも関わらず、乳ガンを見逃されたのはワタシであります。
なんとか踏ん張って行きまっしょい\(^-^)/
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昨年の受注作品です(^^)
勢いでもう一投!
大腸がんのお話に行く前に、娘が小さかった頃(4歳)に夜間診療所で初めて女医さんに喧嘩を売ったお話しを(^^;)
忘れもしない娘が4歳だった時の11月3日文化の日の夕方。
その時息子はまだ6ヶ月。
昼間は元気に遊んでいたのに急に熱を出した娘。
最初は微熱だったのだけど、どんどん熱は上がりぐったりとして来てしまった。
休日でどこも病院は開いてない。
休日診療所に電話をかけたら「直ぐに来てください」との事だったので、息子は旦那(当時)に任せ娘を連れて休日診療所に急行しました。
受付を終え、その時に熱を計ったら39.8度。
それを見た受付の方は
「あらあらちょっと高いわね。待っててね。」と。
30分経ち、40分経ち、、、
腕に抱えた娘はどんどん熱くなりぐったりとして来る。
もう一度体温計を借りて計ったら42度に達していた。
「すみません。42度もあるんです。どうにかなりませんか?」
そう言っても
「もう少しお待ちください」と言われるばかり。
患者さんはそれほど多くない。
なのにある一定まで進んだところで、ぴったりと呼ばれなくなってしまっていたのです。
そして1時間半(もっと待ったかも?)近く経って漸く中から女医さんが出てきたのです。口をモグモグさせながら。しっかりお弁当の匂いがしたのは今でも覚えています。
「すみませんねぇ~お待たせしちゃってぇ」
軽く言うその方に一瞬ブチ殺意沸いたよね。
小さい子供は急変しやすいから。
どこのお医者様でもそう言っていた。
そして診察を受けて先生が一言。
(以下👩⚕️=女医、🐔=私)
👩⚕️「風邪だと思うんですけどねぇ。分かりませんねぇ~」
その瞬間、ブッチーーーンと私の中の何かがブチキレた❗❗
🐔「はぁぁぁ???分かりませんじゃ困るんてすけど!!どんどん熱は高くなるし、待たされるし、それで分かりませんって?なんなんですかっ💢」
そしたら女医は言う
👩⚕️「じゃあ点滴でも打てばいいですかねっ!」
🐔「打ってください。それで少しでも緩和されるなら」
点滴の針を刺す所を見ていて感じた。
あ!あれちゃんと入ってないな。
点滴慣れしてる自分は何となく分かるんです。
🐔「娘ちゃん、痛かったら痛いって言わなきゃダメだよ」
「痛い」の言葉も出ず顔をしかめて悶絶する娘。それを見た女医
👩⚕️「あぁ、ちゃんと入らなかったねぇ。ゴメンゴメン」
🐔「もういいです!他の救急病院を紹介してください。そこへ連れていきますから!」
👩⚕️「(ふて腐れ気味に)じゃあどこがいいですかぁ?」
🐔「✕✕病院と、△△はやめてください!」
👩⚕️「それならT大学病院で良いですかね」
🐔「そうしてください!」
後にも先にもお医者様に向かって怒り散らかしたのはこの時だけ。
自分でもよくあそこまで噛みつけたなと。😅
自分の事ならともかく娘の事となるとね。
しかも小さい子供は悪くなり出すと早いから。
大学病院で処置を受けて家に帰り着いたのは23時近くになっていました。
大学病院からの指示で翌日かかりつけの小児科へ。そので先生に言われたのが
👨⚕️「休日診療所は何も出来ませんからね。今回の様な場合は迷わず救命救急センターのある大きな病院へ行ってくださいね」
そう言えば、私が扁桃腺を拗らせすぎた時も最初に行ったのが休日診療所だったな。
薬を処方して貰った時に思ったもの。
「こんな薬じゃ絶対効かん!」
あの時は暮れも押し迫る12月30日の夜。
仕方なかったったゃぁ仕方なかった。
散々書きましたが、休日診療所が悪いって言っている訳ではありません。
色んな病院から当番制で勤務する医師。その日によって専門の先生が違うから、運が悪ければ見当違いな見立てをされてしまうことも無きにしもあらずなのです。
足の骨を折ったのにその日の担当が内科の先生だったらどうにも出来ませんよね?って事。
もう20年近くお世話になっている内科の先生にも言われた事があります。
信頼している先生だったので、子供達を連れて行った時の事。
ちゃんと診察もしてくれて薬も頂いたのですが先生は「子供はね別の生き物だからね。ちゃんと専門の小児科へ行ってね」
確かに!先生の言う事も一理あるなと。
お医者様とて人間。
様々です。
自分が信頼できるか、考えが合うか、安心できるか。
合えば例え1時間かかろうとも電車に乗って通っています(^^)
↑↑↑
またまた記事とは関係ありませんが
キングペンギンのひなです🎵
茶色の羽毛が抜けると中からこれが出てきます
↓↓↓
先ほどの記事ですが、書いているうちに興奮したのか?誤字脱字、そして書きたかった肝心なことが抜けていたりしたので、書き直してアップしました。
ブログは落ち着いて。
見直し大事ね😅
①からの続きです。
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2度めの流産は病院云々の問題ではなく、初診を受けた時からダメかもと言うのは分かっていたので、そのまま当時住んでいた所から程近い公立の大きい病院で処置を受けました。
その時キツかったのは、生まれたばかりの新生児を持つ方と同じ部屋だった事。
こっちは失くして辛いその横で、家族みんなが笑ってる。心の痛みと頬の痛み。
頬の痛みは麻酔が効きすぎてなかなか目が覚めなかったから、起こそうとかなりひっぱたいたみたいです。最後の方は若干記憶が残ってたもの。
話すことは出来なかったけど、心の中で
「痛いよこのー!そこまでひっぱたかなくても良いじゃないかよー!」ってね(-o-;)
もと旦那は帰ってしまって居ないし、看護師さんはもう会計が閉まってしまうからお金を払いに行けとうるさいし。
元旦那が貴重品を持っていたので当然持ち合わせもなく、フラフラしながらも会計へ。身内が持って帰ったと言っても聞き入れて貰えず。
それを見かねた売店のおばさまが見ず知らずの私にお金を貸してくれました。
捨てる神あれば拾う神あり。
あの時のおば様、本当に今でも感謝を忘れません。
勿論次の日直ぐにお金はお返しに行きました。
その病院へはもう二度と行くことは無かったな。
そう。近所のご主人がそこの病院入院して、肺に溜まった水を抜いたりなんやしていたのです。
その後退院してまた高熱が出たから病院へ行くも「風邪」と診断され薬を貰って家で安静を保っていたのですが、1週間もしないうちに急変して亡くなられてしまったのです。子供が生まれたばかりの47歳。
だから尚更そこはNG!
そして下の子(長男)が出来たと分かった時に近所の産婦人科Sへ。
次の診察日は実家へ戻っていて帰ることが出来なかったので、実家近所の産婦人科で診察を受けたのですが心拍がとれても良い週数なのに心拍は取れず。
そのまま2週間が過ぎ、S医院を受診。
実家近所の産婦人科で診察を受けたけど心拍が取れなかった事を話すと
「ええっ?なに?心拍が取れなかったんだったら何で出してこなかったんだよ!」と怒られ続けざまに「こういう子は残しても障害が残るからあんたが不幸になるだけなんだよ!」
医者としてこの発言どうなのよ?
あり得ん話だよね💢
それでも診察は受けた。
心拍は確認できました。その時に院長が放った言葉
「おー生きてる生きてる!動いてんじゃん笑じゃあ次は◯日後に来て」
「はい」と言いながらその足で違う総合病院へ行ったのは言うまでもない。
上の子が幼稚園に通う予定だったから近くにと思ってS医院にしたけど、ここはもうね。同じ過ちは繰り返したくないから電車に乗ってでも評判の良い所へ転院しました。
そこの総合病院の先生は
「あれ?S医院に通ってたみたいだけどどうして?」と。
私がゴニョゴニョモゴモゴしてたら、
「分かりましたよ。大丈夫です。ちゃんと診ますから安心して」と言われ一安心。
時間の都合や生活のリズムもあるだろうけど、やはり通える範囲なら評判を確かめて良いところに行った方が良いですね。
そこの総合病院は耳鼻咽喉科も評判が良かったので、扁桃腺を拗らせすぎて死にかけた時は迷わずその病院へ駆け込みました。
1月から5月の間に3回入院。3回目に扁桃腺の摘出手術を受けました。
今思えば自分が後に罹る2度のガンより質が悪かった!
扁桃腺を侮る無かれです。
後日談ですが、その時の主治医は付き添ってくれた私の母に
「あと1日。いや、半日遅かったら命は無かったですよ」
と言われ脚が震えたと話していました。
私の40代は病気まみれ。
40歳で大腸がんが見つかり、44歳で扁桃腺を拗らせすぎて死にかけ、46歳では乳ガンに。
呪われた40代って、今元気だから笑い飛ばしてしまう自分がいるけど、これもやはり信頼できる病院、医師有っての事。
大腸がんもセカンド・オピニオンをしました。
これまた長くなったのでその③に続きます。
この大腸がんの時も大きな大学病院だから大丈夫と行ってみたのが失敗だった!
そんなお話はまた次回。
シリーズ化してどないするねん😅
いや、次回完結であります(^^)
↑↑↑
これは昨年11月に起こった442年ぶりの皆既月食です。
近くに天王星も見えました🎵
寒かったけど最初から最後まで頑張って撮影した中の一枚です