忘れたらあかん日
あれから30年か
1995年1月17日
午前5時46分
揺れたのは15秒ほど。
一瞬の出来事やったけど、その一瞬で多くの人や思い出の詰まった街が被害に遭ったんよ
当時ワタシは神戸の東の端灘区に住んでました。道路挟んだら東灘区だからほぼ東灘、、、かな
震度6って聞いてたけど、後々入ってきた話ではワタシが居たところは震度7だったとか
山の上の方に家は有ったけど下の方から見たら縦にナイフを入れたかの如く段差が出来、建物は左右に段違いにズレていました
地震から3日くらい経ってかだったか、、、
伯父や従姉が兵庫区に居て心配だったので灘から兵庫区まで歩いていきました。
行きは3時間ほど。
帰りはあちこち開いてる店を探しながらだったから8時間
恐らく何もなければ3時間もかからなかったと思います。
瓦礫を避けながらだったから
あの頃は今の様な通信手段もなく、電話のみ
黒電話ならかかったかもしれないけど、電源を必要とする電話は無用の長物
取り敢えず鳴りはするけど通話は出来ない状況でした
関東大震災以来の都市部での大地震
報道陣が押し寄せる。
ヘリの轟音にかき消される助けを呼ぶ声
加熱した報道が人命を奪う
何のための報道?
あの時は怒りしかなかったな。。。
そして当時の総理が発した一言目
「何分初めてなもので」
こっちかて初めてやわい!!
海外から救援を政府は断っていたとも聞いたのは後になってからの話
届く救援物資も行き渡らない。
それは今でもそうだよね
阪神淡路大震災以降色々変わったのかな、、、
少なくとも民間の意識は変わったと思う。
そう思いたい。