過日、屋代駅に残されていた長野電鉄屋代線の遺構の跨線橋が解体されているのを目撃、少し後に時間が出来た日に撮影に出かけました。
線路をまたぐ部分を優先して解体しているのか、すでにほとんど骨組みだけのような状況になっていました。真ん中の線路のシートで覆われている部分は、仮の支柱のようです。
2011年、現役最末期の頃の跨線橋。左端に少し写っている屋代線のホームの屋根、待合室などは、すでにかなり前に解体されています。
こちらは2011年、しなの鉄道側から撮影した跨線橋内部の画像です。
こちらは2020年。解体が終わればもっとしっかりした壁になるのではないかと思います。
2011年撮影。この日は昨年12月にお別れ運転を行ったO2編成が来ていました。お別れのマーク等は掲出されていませんでしたが、お名残乗車でお客さんが増えてきていた頃です。
こちらは2020年。屋代線代行バス運行開始の頃とバスも交代しており、個人的にはそれ程昔のことというイメージの無い屋代線廃線も、そろそろ一昔前の出来事になりつつあるのかもしれません。
線路をまたぐ部分を優先して解体しているのか、すでにほとんど骨組みだけのような状況になっていました。真ん中の線路のシートで覆われている部分は、仮の支柱のようです。
2011年、現役最末期の頃の跨線橋。左端に少し写っている屋代線のホームの屋根、待合室などは、すでにかなり前に解体されています。
こちらは2011年、しなの鉄道側から撮影した跨線橋内部の画像です。
こちらは2020年。解体が終わればもっとしっかりした壁になるのではないかと思います。
2011年撮影。この日は昨年12月にお別れ運転を行ったO2編成が来ていました。お別れのマーク等は掲出されていませんでしたが、お名残乗車でお客さんが増えてきていた頃です。
こちらは2020年。屋代線代行バス運行開始の頃とバスも交代しており、個人的にはそれ程昔のことというイメージの無い屋代線廃線も、そろそろ一昔前の出来事になりつつあるのかもしれません。