信の信州からの贈り物

信州で単身生活 6年、その間に魅せられた信州の大自然。そして関東周辺の自然と花々を織り交ぜて発信しています。

2023大寒 東の飛鳥 国府下野を歩く

2023年01月31日 | 歴史を歩く




こんにちは、信です。
今朝は寝坊して、朝食後そのままウォーキングに出たため、こんな時間での投稿になりました。

このところ快晴で日差しが暖かい日が続いています。
昨日もは麗らかな快晴で、まったりしたウォーキングになりました。
ところが今日は北風が強く、安いダウンでは冷風が染み込んで体温が上がらないほどでした。

このところBCスキーでの遭難が相次いで発生しています。
今日も上高地は快晴でしたが、遠征には二の足を踏んでしまう日々が続いています。





さて先日書いた宇都宮線、小金井駅からの沿線ウォーキングです。
大人の休日倶楽部「Club」に記事が載っていました。

タイトルは何と「東の飛鳥 下野国に遊ぶ」

まあとりあえず歩いてみようと、宇都宮線下りで小金井駅へ。
小金井駅はJR東日本の操車場がある小山の一つ先の近郊駅です。

この駅は宇都宮線の最終便終着駅になっていて、現役の時に東京で飲み過ぎてここで泊まったことがありました。
駅から冷たい北風をおして歩いて30分。

「Club」に出ていた天平の丘公園へ


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ここは国分尼寺の跡地でした 




ここが国分尼寺で、この左奥に国分寺跡があるようです


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これは天平の丘公園の歌碑です


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令和の大嘗祭で披露された短歌のようです 





こちらは岐阜県根尾谷の、淡墨桜の苗を移植したものだとか


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     すぐ隣にある「しもつけ風土記の里資料館」に入ります

     
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出土した埴輪から復元した古代人の服飾


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これが本当であれば、かなり高度なお洒落をされていたのですね。
当然、太っている人もいないだろうから、筋肉質で恰好良い感じがします。



見たかったのはこれです


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小山に近い別処山古墳(6世紀後半)出土の「銀装円頭太刀」です 

これが「大人の休日倶楽部」Club2月号に載っていました。


他の出土品の数々


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馬具


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直刀と勾玉です


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こんな器で酒盛りをしていたのでしょうか


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かなりこれもお洒落だなと思いました。




こちらは奈良・平安時代の下野薬師寺の瓦


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710年平城京に遷都されたとき
律令制度が布かれ、ここに国府がおかれました


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同時に五畿七道が整備されます


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とは云っても、大規模な土木工事等はなかったと思いますが・・




そして国分寺建立の詔が発せられます


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『金光明最勝王経』は、唐の義浄(ぎじょう)が長安三年(七〇三)に漢訳した経典で、十巻から成る。
わが国にもたらしたのは養老二年(七一八)に帰国した道慈(どうじ)だと考えられており、『金光明経』はこの旧訳である。
巻第八には、大弁才天女・大吉祥天女・堅牢地神・薬叉といった諸天善神が、本経を奉持する行者を守護して利益することが説かれている。また第九にも、諸天・薬叉らが本経を奉持する者をを擁護することが説かれており、神々は仏法を擁護する存在(護法善神(ごほうぜんじん))として描かれている。
紫草で染めた紙に金泥で経文を書写したこの十巻は、国分寺の塔に安置するために制作されたもの。天平十三年(七四一)年二月十四日、聖武天皇は詔をくだし、国ごとに国分寺と国分尼寺を建立することを命じた。この時、国分寺の塔には金字の『金光明最勝王経』を安置することも定められた。
国分寺は正しくは「金光明四天王護国之寺」といい、『金光明最勝王経』信仰に基づき、四天王らによる国家鎮護を期待する国立寺院であった。本巻は、もとは備後国の国分寺に安置されていたと伝え、十巻完存する。瑩生が磨いた金字は今も燦然たる光を放って紫紙に映え、天平写経の白眉というにふさわしい香気と品格をたたえている。
(奈良国立博物館hpより)


この頃頻繁に遷都が行われました。今日のコロナ禍のようなこともあったようです


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下野国分寺跡の出土品です


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これは鐘でしょうか 




国分寺の模型です。敷地の横幅は220m強あったようです


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右手の七重塔に先ほどの『金光明最勝王経』が納められたようです


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配置はこんな感じ 



使われた瓦でしょうか。蓮の花かな


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さらに少し北に下野薬師寺を建立し「本朝三戒壇」の一つとなります


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そのことは下野薬師寺のところで詳しく。




なるほど「東の飛鳥」の一端が伺えました。
東の 野に炎の 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ /柿本人麻呂


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読みは:ひむかしの のにかぎろいの たつみえて かへりみすれば つきかたぶきぬ
意味は:軽皇子(かるのみこ)を東の空の太陽に、軽皇子の亡くなった父・草壁皇子(くさかべのみこ)を沈みゆく月に見立てて
    父は不幸にして世を去ったが、あとを継ぐ息子が立派にこの世を治めていくことを述べた歌であるとされます。
(短歌の教科書より)



腹が減ったので、お店がありそうな国道沿いに戻ります


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紫式部の墓と、摩利支天塚古墳はまた別の機会に訪れたいと思います。




   姿川(紫橋)です

   
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こちらは下流側。この先で思川に合流します


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橋の欄干にも


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こちらは上流。宇都宮の羽黒山あたりが源流のようです


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冷たく強い北西の風が、ゴウゴウと吹いていました


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明日は下野薬師寺跡から。


 撮影日: 1月28日
 撮影場所:下野市 天平の丘公園・しもつけ風土記の丘資料館


それでは皆様、ご機嫌よう。










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2 コメント

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Unknown (はりさん)
2023-01-31 21:45:49
こんばんは。
信さんも古代史の世界に踏み込まれましたね(笑)
「東の飛鳥」というのも魅力的なフレーズですね。
関東は古墳なども多く早くから栄えていたのでしょうね。
古代史は謎も多いですが歴史のロマンを感じる時代です。
山も歴史も大好きなので楽しく読ませていただきました。
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東の飛鳥 ()
2023-02-01 18:43:35
はりさん>

こんにちは。
「東の飛鳥」というのは2019年に始まった下野市役所の観光プロジェクトのようです。
古墳から色んな貴重な出土品が出て、奈良の飛鳥にあやかって歴史で町おこしをしようということだと思います。
内容は非常に真面目で、素晴らしいのですがコロナ禍前年という、まったく残念な時期に当たってしまい
なかなか日の目を見ないというのが本当のところです。
コロナが落ち着いて、もう少し人の眼が向けば大きなうねりになるかも知れません。
私なぞはすぐに惹きつけられました(笑)
また季節を変えて桜の季節や、ガマズミの季節にも行ってみたい場所になりました。
コメント有難うございます。
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