こんにちは、信です。
このところヒマで家のLANケーブルを傷がついたから交換とか、CAT6にしてみようとかやってます。
今日はNTTフレッツ光のVDSL宅内端末VH-100Eから、ルータまでのケーブルを20年前の自作ケーブルから、ELECOMのCat6Aケーブルに交換しました。
少しは早くなるかなと思いましたが、殆ど変わりませんでした。
このVH-100Eなる宅内端末も2004/05製造なので、そろそろ新しいものに交換してもらおうと思います。
午後になってようやく連絡が取れ、18年ぶりに交換することになりました。交換後の結果はまたレポしたいと思います。
信州の中信・南信は快晴のようです。
北部は志賀高原、栂池高原と外人BCスキーヤーの遭難が相次いでいます。
もう少し様子を見ようと思います。
さて1月28日の「東の飛鳥」下野国の歴史散策レポです。
ランチ難民になることを心配しましたが、国道へ出て幸楽苑を見つけて無事昼食にありつけました。
小金井駅に戻って今度は1駅北上して、自治医大駅です。
東口に出てそのまま北上し、自治医大病院を右手から廻りこむように歩きました。
なお駅に「下野市観光ガイドブック」なる、とても分かり易い観光パンフが置いてあります。
私もこれを元に歩きました。
畑の真ん中から男体山。ここ2~3日で雪が増えました
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「関東ふれあいの道」で薬師寺まで0.6km
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あれは那須連山か
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男体山から日光白根、皇海山、赤城山まで
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山を眺めている間に
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薬師寺跡の復元した回廊建物のようです
北西の一部のようです。
680年天武天皇の勅願により創建された寺院です
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白梅がちらほら綻んでいました
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戒壇堂(六角堂)です
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「下野薬師寺戒壇院」とあります
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下野薬師寺は天武天皇白鳳8(680)年、天皇の勅願により建てられました。
同時期に建った奈良の薬師寺と区別するため、こちらの薬師寺は下野薬師寺と呼ばれています。
暦応2(1339)年、足利尊氏により寺名が安國寺に改称されました。
平成29(2017)年、本堂・山門・庫裏・本尊並びに仏菩薩の修理(平成の大修理)を機に、平成30(2018)年、寺名を下野薬師寺に戻しました(寺名復古)。
皇后(後の持統天皇)がご病気になられたため、薬師如来のご威徳をもって病気平癒を祈念するために勅願により建立されました。
祚蓮上人が下野国のこの地を選び、伽藍配置の図式を奏上したと伝えられています。
下野薬師寺が東国仏教文化の中心として特に隆盛をほこるようになったのは、天平宝字5(761)年に鑑真和上によって戒壇院が建てられてからです。
奈良の東大寺、筑紫の観世音寺と、それに下野薬師寺を合わせて日本三戒壇といわれています。
東山道足柄以東坂東10カ国の僧侶となる者は、すべてこの下野薬師寺で修行し、授戒をしなければならない定めになっていました。
(下野薬師寺hpより)
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戒壇堂(六角堂)について
ガラスが反射してよく見えません
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お寺のhpからお借りしました
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手前が鑑真和上像、そして奥が丈六釈迦如来坐像です。
うちのクマさんが法輪を廻しました
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欄干の細工も気が込められているようです
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戒壇の構成はこのようなものと考えられるようです
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窪田空穂の歌碑です
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昭和3年に訪れていたようです
令和3年(一昨年)の鑑真和上像開眼の折りの回向柱のようです
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落ち着いた佇まいでした
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色々な石碑が建っていました
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これは一昨年の戒壇堂修理落慶のものです
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偉いお坊さんのお墓でしょうか
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その横に
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鑑真大和上宝塔とあります
こちらは瓊花
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また咲いた季節に訪れてみたいものです。
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回廊建屋の柱の跡です
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雄大で悠久な時間の流れを感じました
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敷地はやはり横200m強の広さはあったようです
明日は今に残る下野薬師寺にお参りです。
撮影日: 1月28日
撮影場所:下野市 薬師寺跡
それでは皆様、ご機嫌よう。
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