沢藤南湘

残り少ない人生を小説とエトセトラ

先生を殺したのは私です 一

2023-03-18 22:03:10 | 小説
 十一月の初旬、私宛に矢田由美子という名の送り主から手紙が届いた。
「前略 事情あって、本名を名乗ることができませんことをお許しください。来る十一月二十八日出発の熊本大分二泊三日のツアー客にM大学の教授が女性を伴って参加するので、その行動を調査していただくことのお願いです。その調査報告書ができましたら、正式に名乗って調査費用をお支払いいたします。つきましては、そのツアーにご夫婦おふたりの名で予約し費用を支払っております。以上、あなた様のご都合も聞かずに仕事を依頼したことを申し訳ございません。何卒よろしくお願いします。早々」
 封筒の中にツアーの詳細を印刷したものが同封されていた。
 夫の南湘に手紙を見せた。
「M大学の教授って、一体誰なんだ。名前も書けない理由があるのだろうか?」
「その教授も私に探させようと、結局、私を疑っているのよ。HP見たら准教授と教授合わせたら百人ぐらいはいるわ。顔写真は掲載されていないから探し出すのは一苦労するかもしれないわ」
「偽名で参加するかもしれないね」
「手紙からすると、調査対象者は、このツアーに参加することは確かなんでしょうから、何とか探し出せるでしょう」
「そうだ。せっかく予約までしてくれたんだからいかない理由はないな」
「あなた、仕事は大丈夫なの?」
「もう冬休みだから問題ないよ」
 夫は旅行気分になっていた。
 私にとっては、探偵事務所開業してからの初仕事になった。

 私、藤沢雅子は三か月前に六十歳を迎え、警視庁を定年退職した。
 最終役職は、女としては、数少ない警部で、退職後はC警備保障の役員のポストを用意されたが、それを断わって探偵事務所を開いた。
 趣味は旅行で、その先々で写真を撮るのが楽しみだ。
 夫の南湘は五十九歳、T大学の日本建築史の准教授で、趣味で推理小説書き続けているが、未だ賞を取ったことがない。一眼レフカメラに凝っていて、建築物や歴史に関するものの写真を撮っており、仕事にも役立てているようだ。
 我が家は、小田急小田原線千歳船橋駅から十五分ほど歩いたところにある。
 猫の額ほどの庭を持つ3LDKの建売住宅で、子供のいない私たちには十分の広さだった。
 
 十一月二十八日、寒い朝だった。
 私たちは、羽田空港八時五分発、熊本空港十時時五分着のJAL625便に乗るために、朝五時に自宅を飛び出して駅まで早足で歩いた。
 スーツケースを持った夫は、私の後を一生懸命ついてきた。
「もう少し早く起きればよかった」
 夫は、いつもの後悔癖がでた。
「あと二分しかないわ。早く」
 予定の電車がホームに入ってきたのを見ながら、エスカレーターを下った。
 発車のベルが鳴り終わろうとした時に、滑り込んだ。
「何とか間に合った」
 夫が、息を切らせながら言った。
 空港に着くと、旅行会社カウンターでの手続きと搭乗手続きを済ませ、無事、予定の飛行機に乗ることができた。
 機内は、平日なのか意外と空いていた。
 予定時間になったので、離陸すると機内アナウンスが流れた。
 この二時間のフライトから、私たちの旅行が始まった。
 私は、久しぶりの飛行機だった。
「近くに座っている人たちは、私たちと同じ熊本大分二泊三日のツアーの人たちかな」
 通路側に座っていた夫が、周りを見回しながら、小声で言った。
「依頼のM大学の教授も乗っているかもしれないわね」
「写真ぐらい送ってくれたらよかったのに」
「名も実績もない私の事務所だから、きっと信用していないのでしょう」
 横の列で二つ席にひとり窓側に座って、缶酎ハイを飲んでいる男が目に入った。
「あの人は、一人旅かしら」
 夫は、私のいった方向に目を向けた。
「そうみたいだね。M大の教授ではないよ」
 私は頷いた。
 私は、夫に今日の予定を聞いた。
 今回の旅行では、夫は私のアシスタントだった。
「今日は、熊本空港から高千穂、草千里、大観峰、長者原ビジターを観光して、そして、湯布院で一泊の予定だ」
「神話の高千穂か、楽しみだわ」
「しっかり見ていこう」
「しかし、今日は、ハードスケジュールだわね」
「そうはいっても、すべて観光バスでまわるから大丈夫だよ」
「明日は、どこを観光するの」
「午前中湯布院で自由行動で、それから別府に移動して、まず別府ロープウエイで、鶴見岳の山上に行って別府湾を展望して、別府地獄めぐりをする予定だよ。ちょっと歩くけど」
「さすが、良く調べているわね。アシスタントとしては合格だわ」
「今回は、君の仕事で旅行ができるんだから、このぐらいのことは当然だよ」
 到着を告げるアナウンスが、流れた。
 熊本の地を踏むのは、高校の修学旅行以来だ。
「さあ、仕事の始まりだわ」
「頑張ろう!」
 空港の出口で、黄色地にKHSと黒字で染められた小旗を掲げている小柄な女性のもとに、十数人がすでに集まっていた。
「あそこだ」
 夫が、言った。
 私たちは、そこに行った。 
 遅れて、数人が話しながら、私たちの塊に加わった。
 小旗を掲げている女性は、身長が一メートル五十センチそこそこで、少女ぽい顔をしており、紺の制服が似合っていた。
 彼女は、集まった人たちの人数を数え終わってからKHSのツアーコンダクターの伊藤恵と自己紹介をした。
「本日は、KHSの熊本大分二泊三日にご参加いただき、誠にありがとうございました。このツアーには全員で二十二名の方が参加されています。楽しい二泊三日をお過ごしいただければと思います。では、バスまでご案内しますので、こちらへどうぞ」と言って、伊藤恵が駐車場で待機していた大型バスに案内した。
 ツアー客の二十二名は、私の見立てによると夫婦連れは私たちを入れて四組、家族三人は一組、一人参加は男女一名ずつで、後の九名は何らかの仲間のようで、男三名、女六名の人員であった。

 座席は、指定されていなかったので、各自自由に座った。
 私と夫は、運転手の後ろに座った。
 簡単な自己紹介があったので、客の顔を都度振り返って確認した。
 伊藤恵が、マイクを持った。
「本日は、KHSをご利用いただきありがとうございました。この度の熊本大分二泊三日のツアーにお供させていただきますツアコンダクターの伊藤恵です。よろしくお願いいたします。また、この観光バスの運転手は、山田直人です。安全運転に専念しますので、よろしくお願いいたします」
 丸顔でやさしそうな眼をつきの山田直人が立ち上がって、後ろに向かって頭を下げた。
 身長百七十五センチ前後で、がっちりした体型だった。
「では、皆様、これから最初の目的地、高千穂峡へ向かって出発します」
 バスが、動き始めた。
 しばらくして、伊藤恵が高千穂峡の説明を始めた。
「高千穂峡は、昔、阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、 急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった峡谷です。この高千穂峡は、一昭和九年十一月十日、国の名勝・天然記念物に指定されています。付近には日本の滝百選にも選ばれた真名井の滝、槍飛橋などがあります。さらに神話に由縁のある’おのころ島’や’月形’’鬼八の力石’など、高千穂峡の遊歩道を散策するだけで、
高千穂の魅力を十分に感じることができるスポットです。川には、貸しボートがありますが、時間がありませんので、乗らないでください」と伝えて、伊藤恵は、マイクを置いた。
「あなた、後ろの人たち、賑やかね」
「うるさくて、伊藤さんの説明がよく聞こえなかったよ」
 後部座席に陣取った九名の集団が、バスに乗ってから今までずうっと騒ぎっぱなしで、静かに伊藤恵の説明を聞いていた他の客が、迷惑そうな顔をしていた。

「はい、皆さま、高千穂峡に到着しました。ここの出発時間は、十二時三十分です。只今の時刻は、十一時二十分です。くれぐれも遅れないようお願いします」
 皆が、小旗を持った伊藤恵の後に続いて歩いた。
 しばらく歩くと、彼女は立ち止まり、説明を始めた。
「皆様、後ろを向いてください。橋があるのがわかりますか。三つの橋がここから、一望できます。一つの峡谷の一か所に三つのアーチ橋を見ることができるのは全国でもここだけだと言われています」
「なるほど、言われてみないとわからないわね」と私が夫に言った。
「本当だ」
 伊藤恵が歩きながら、再び説明し始めた。
「あそこに見える石ですが、高千穂の伝説に残る鬼八が投げたという鬼八の力石です。高千穂は、神話と伝説のいわれある場所が数多くあります」
「鬼八伝説にはいろいろあるよ」
 夫が言った。
 私は、何気なく風景に人を入れてシャッタを切った。
 更に歩いて行くと切り立った断崖が、目に入った。
 伊藤恵が、立ち止まった。
「右手の滝は、真名井の滝と言います。日本の滝百選に指定されている名瀑です。およそ七メートルの高さから水面に落ちる様は、高千穂峡を象徴する風景です。 天孫降臨の際、この地に水がなかったので、 が水種を移したから湧き出る水が水源の滝と伝えられています。下では、何艘かボートが浮かんでいますね。残念ですが、時間がないので、皆さん、これからバスに戻ります」
 山本一が、伊藤恵に話しかけていた。
「もう少し早かったら、紅葉はもっと綺麗でしょうね」
「そうなんです。素晴らしいですよ」と山本一を見上げながら言った。
 それからしばらく、末永喜美子が加わって、和やかに話が弾んでいるようだった。
「山本さんは、M大学の先生なんですか。すごいですね」
 伊藤恵の顔に驚きと嫌悪感が一瞬浮かび上がったように見えた。
「将来は、学長になるかもしれないんです」
 末永喜美子が、付け加えた。
「それは、楽しみですね」
「そんな先のこと、分かりませんよ」
 山本一が、笑いながら言った。
「だって、あなたの奥さんの父親は、M大学の理事長なんでしょ」
「喜美子さん、余計なことを言うんじゃないよ」
 近くで彼らの話を聞いていた私は、驚いた。
(この男が、M大学の教授か。まさかこんなに早くわかるとは出だし好調だわ)
 一方、夫はその話に気づかずに、写真をひたすら撮り続けていた。
 私は、すぐに夫のそばに近づき小声で伝えた。
「あそこで伊藤さんともう一人の女の人と話している人が、M大学の教授だそうよ」
 夫は知らん顔をして、ファインダーの隅に三人を入れてシャッターを切った。
「名前は山本一さんで、女の人は、末永喜美子さんよ。M大学教授に山本一という人はいるわ。本名よ、おそらく依頼人が言ってきた人でしょう」
「写真、お撮りしましょうか」
 私と夫は驚いて、声の主の方に向き直った。
 梶山だった。
「すいません。お願いします」
 夫は、梶山にカメラを渡した。
「いいカメラですね。ご夫婦で来られたのですか。私も久しぶりに女房との旅行です。失礼しました、私は梶山と言います。よろしくお願いいたします」
 梶山敏夫は、七十一歳、妻の正代は七十三歳で、うちと同じ年上女房だ。
「私は藤沢と言います。こちらこそよろしくお願いします」
「ところで、旦那さん。このツアーいかがですか」
「いかがかと言いますと」
「バスの中が、やかましいとは思いませんか。特に、後部座席に座っているグループの人たちが、大声でおしゃべりをするので、うるさくて、ガイドさんの声が、聞きづらくてかないません」
「そうですか。私たちは、前の席なので、それほどではありませんが、マナーぐらいは大人ですから守ってほしいものですね」
「そうなんです、こんなやかましい旅行を三日も耐えられないと、ガイドさんにに言いましたら、注意するとは言ってましたが、どうですか」
 梶山夫妻は、かなり憤慨していた。
 バスの乗車口から数メートル離れた外で、伊藤恵は、運転手の山田直人と話をしていた。
 私は、梶山夫妻の後からバスのステップを上がった。
 後方の席は、まだ空席だった。
 その空席の前の左席に、先ほど不満を私に言った梶山夫妻が、腰をおろすところだった。
(あの席では、やはりうるさいだろう)
 私は、梶山夫妻に同情した。
 次々と皆が戻ってきて、席が埋まってきたが、出発時刻が過ぎても後部のSNSのグループの人たちは、まだ席に戻っていなかった。
 出発の時間を十分ほど過ぎて、苛ついていた伊藤恵を気にせずに、連中がしゃべりながら乗車してきた。
「全員揃いましたので、出発します」
 伊藤恵が、皆が席に着いたのを確認してから言った。
 その直後、
「遅刻だ。時間ぐらい守れよ。皆迷惑している」
 梶山の前に座っていた男が、立って後ろを向いてどなった。
 一人参加の田所正六十三歳だった。
 車中のざわめきが消えた。
 私は斜め後ろに座っていた山本一の方を窺った。
 山本一は、周りの出来事に関心を示さずに、末永喜美子といちゃついていた。
(彼に間違いないわ)
 私の思いに夫も頷いた。
 伊藤恵が、マイクを持った。
「皆さま、このツアーは団体旅行です。お互いに気を使いながら、旅行を楽しんでください。くれぐれもよろしくお願いします」
 拍手が、まばらに起きた。
「伊藤さんも、頭に来ているんだな」
「言わなければ、ならないでしょうね」
 私は、当然のことだと思った。
 何もなかったかのように、再び伊藤恵が、マイクを持って立ち上がった。
「次は、神話で有名なです。天照大神がお隠れになられた天岩戸を御神体としてお祀りしています。古事記・日本書紀に記される天岩戸神話を伝える神社です。古事記・日本書紀には、天照大神は、弟のの乱暴に怒り、天岩戸に籠もられた事が記してあり、そこは、その天岩戸を祀る神社と伝えられています。御神体である天岩戸は、西本宮から拝観することができます。そして、そこから岩戸川に沿って十五分ぐらい歩きますと、天照大神が岩戸にお隠れになったさい、天地暗黒となってしまったので、の神が、この河原に集まり神議されたと伝えられる大洞窟、にご案内します」
「いよいよあの有名な天岩戸か、楽しみだな」
 後部座席から佐川恒夫の声が聞こえた。
「あなた、生きている間に一度は行きたかったところです」
 私は、夫に言った。
「なんたって天照大神だからね」
 夫は、さらに何か言いたそうだったが、口をつぐんだ。
 バスは、大岩戸神社の駐車場に入った。
「皆様、到着しました」
 伊藤恵を先頭に、私たちは、これから見るのがどんなに楽しみか興味津々の顔をして列をなした。
 厳かな参道を歩いて、まず、天岩戸神社の西本宮を参拝して、一旦アスファルト道路に出てすぐにわき道を下って行った。
 天安河原の御祭神に近づいた。
 道の周りに多くの石が積まれている。
「お参りに来た人が、積んだんでしょうね」
「そうだね。石そのものは、昔から信仰対象だったし、積石をするのは、神を祀ることと、死者の追悼の二つの意味があると言われてるんだ。神を祀るには、村などに災厄や悪霊が入り込まないようにする道祖神の意味がある」
 夫が、説明をしてくれた。
「五輪塔も、死者への追悼なの」
「そうだよ、五輪塔は、供養とか墓として使われていたんだ」
「ご主人、よくご存じですね」
 若い夫婦の夫の足立隆のほうが、夫に声をかけてきた。
「本当に」
 妻の誉が、相槌を打った。
 夫は、ただ笑顔で答えるだけであった。
「そういえば、あのご主人どこかで見たことがあるわ」
 グループで参加の山中響子が、夫の近くに寄ってきて言った。
「それはそうだよ。T大学の先生ですよ」
 反田次郎が言った。
「そうです、この方は、T大学の藤沢南湘教授ですよ」
 川本正雄が言ったのには、夫も私も困ってしまった。
「そういえば、あの方、テレビに時々ゲストで、でているわよ」とだれかが言った。
 その一言で、そばにいた人たちの視線が、夫に注がれた。
 夫は、ただ笑顔で会釈するだけで、ひたすらカメラを構えて、石積み撮りに集中していた。
 その間、私は夫から離れて、山本一たちを撮っていた。
 伊藤恵の声が、聞こえてきたので、彼らは、夫から離れて行った。
「ここは、だいぶ前は、社だけがあって、信仰の対象となっていましたが、いつのまにか祈願を行う人たちの手によって石が積まれていくようになりました。皆さん、無数にある積まれた石によって、天安河原の神秘的かつ幻想的な雰囲気を感じませんか」
「感じます」と、誰かが答えた。
 社は、意外に小さかったのに驚いた。
 このようなところが、なぜ天照大神に関係するようになったのか、不思議だと夫に聞いた。
「この辺りには、鬼八伝説という伝説が一つだけでなくいくつかあるんだ。この地には、当然だけれど、昔は先住民がいた。その代表の鬼八と先住民たちは、強大な外部の勢力、私が考えているのは大和朝廷。鬼八たちはその侵攻に徹底的に抗戦したが、結局負けてしまった。戦の伝承というのは、勝ったほうが正義で負けたほうは賊になると昔から現在まで歴史が物語っている。賊は、古事記や日本書記では、鬼と称したんじゃないかな。正義は大和朝廷で天照大神と称して、現在まで神話として伝えられていると私は考えているけれど、諸説がいろいろあるんだ」
「そうか。神様と思い込んでいたけれど、大和朝廷だったのか。それなら、理解できるわ」
 歴史に疎い私は、夫の説明に納得した。
 そばで、夫の話を聞いていた伊藤恵は、驚いていた。
「よくご存じですね。その通りです」
 客たちは、いろいろな感想を言いながら、バスに戻った。
 
 伊藤恵が、マイクを持った。
「皆様、おなかすいていませんか。今日は、かなりタイトなスケジュールのため、ちょっと遅い昼食になりましたが、これから、バスの中でお弁当を食べていただきます。お茶と合わせて配りますが、次の観光の草千里まで一時間ほどかかりますので、ごゆっくり食べてください」
 伊藤恵は、朝、客が注文していた弁当を前の席から配り始めた。
「お茶配りましょうか?」
 夫が、伊藤に声をかけた。
「ありがとうございます」
 夫は、伊藤恵に承諾を得て、お茶配り始めた。
「藤沢教授にお茶を配ってもらえるなんて、申し訳ない」
 配る先々で客が夫に声をかけていた。
 私は、少しばかりばつが悪かった。
 しばらくの間、皆、食べるのに夢中でバスの中は静かだった。
 私は、注文していた牛ステーキと豚しゃぶ御膳の包みを開いた。
「これは豪勢だな」
「あなた、おいしいわよ」
「うまい」と夫が、嬉しそうに答えた。
 車窓からの景色は、阿蘇の雄大さを映し出していた。
 斜め後ろの席に座っていたアベックの声が耳に入ったので、私は振り向いた。
 山本一と末永喜美子だった。
「ここまで来て、弁当かよ」
「スケジュールがタイトだから仕方がないじゃありませんか」
 男は、バッグからワンカップを出した。
「君も飲むか」
「ええ、いただくわ」

「かなり親密のようだね」
 夫が声を落として言った。
 二十分ぐらい過ぎたころ、後部座席のグループの一人が大声を上げた。
「伊藤さん、お酒飲んでもいいですか」
 伊藤恵は、後ろを向いて立ち上がり答えた。
「はい、いいですよ」
 後部座席のグループの連中が、酒盛りを始めた。
 騒がしくなった。
「うるさい。静かにしろ!」
 再び、田所正が叫んだ。
「うるさいだけじゃなくて、お酒臭くてたまらないわ。ツアコンさん、何とかしてください」と続いて、私たちの列の中間ぐらいの位置から女性の声がした。
 一人参加の三浦幸子だった。
 伊藤恵は、運転手と相談してからマイクを持ち、三浦幸子に答えた。
「今、バスの中を機械換気をしますので、すみませんけれど、三浦さんしばらく我慢してください」
「伊藤さんも大変だね」と夫が、同情した。
 眠気が、私を襲ってきた。
「皆様、もうしばらくしたら、草千里に着きます。ここは、噴煙を上げる中岳を望み、絶好のロケーションを誇る場所です。浅い四角形の大草原で烏帽子岳の北麓にひろがり、中央の大きな池や放牧された馬など、牧歌的な風景を持っています。緑鮮やかな夏、白銀の幻想的な冬と四季の彩りもさることながら、乗馬に散策にと一年を通じて多くの人達に親しまれています。多くの歌人によってその広大は風景が歌われてきています。大阿蘇の千里が原のはなち馬雲にいななく夏は来にけり 𠮷井勇の歌です。ここでは、三十分の見学になります。十四時に出発しますので、それまでに乗車してください」
 私は、最後にバスを降りた。
「日本にもこんな雄大なところがあるなんて、すごい。あれ、あそこに馬の群れがいるよ」
 夫は、ファインダーを覗いて山本一たちを追っていた。
「藤沢さん、あの二人、車の中でも仲睦まじ過ぎて、目を覆いたくなります。ツアーでなく、個別に来ればよかったのに」と、一人参加の田所正がわざわざ私のそばに来て言った。
「そうですね」
 私は、生半可の返事をした。
 皆、時間より早く乗車した。

 三十分ほどで大観峰に到着した。
「あなた、いい景色ね。写真撮って」
 私は、大自然をバックに夫のファインダーに向かってポーズを取った。
 撮り終えると、私たちは、説明している伊藤恵の近くに行った。
「皆様、ここは、内牧温泉の北東方にある北外輪山の一峰です。かつて、遠見ヶ鼻と呼ばれていましたが、大正十一年内牧町長の要請により、文豪徳富蘇峰が大観峰と名づけました。三百六十度の大パノラマが楽しめる阿蘇随一のビュースポットです。阿蘇の街並みや阿蘇五岳、くじゅう連峰までが一望できます。あちらに見えるのは、阿蘇五岳ですが、分かりますか。お釈迦様の寝姿に似ているように見えませんか。運が良ければ、秋から冬にかけては神秘的な雲海に出合えることもあります。あちらの建物には、お土産店やレストランが入っています。ここの出発は、十五時十五分とあまり時間がないので、買い物する方は、短時間でお願いします」
「あと十分しかないじゃないの」と二、三人から不満が漏れた。
 皆、出発時間ギリギリにバスに乗車した。
 全員が揃ったことを確認し終えて、伊藤恵が、運転手に合図を送ったので、バスは動き始めた。
 伊藤恵が、マイクをオンにした。
「これから、今日最後の目的地の長者原ビジターセンターに向かいます。長者原ビジターセンターは、阿蘇くじゅう国立公園くじゅう地域の自然や文化を紹介している博物展示施設です。センター内では、くじゅうの四季を映像で楽しめるほか、阿蘇くじゅう地域の巨大衛星写真もあります。ラムサール条約正式名称は、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約の登録湿地である、タデ原湿原と一体となった施設でもあり、タデ原の成り立ちや、野焼き、シーズンごとに見られる生きものについても紹介しています。あと、三十分ほどで到着します」
 車中が、再びグループの連中が騒ぎ始めた。
「いい加減に静かにしてください。いい大人が常識外れも甚だしい」
 と今度は梶山敏夫が、声を上げた。
 それに応えて、リーダー格の反田次郎が言った。
「皆さん、静かにしてください」
「タンジさんだって、春ちゃんと大声でしゃべっているくせに」と大山君子が、ハンドルネームのタンジの反田次郎に嫌味を言った。
「やな感じだね。せっかくの旅行が台無しだ」と夫がささやいた。
「これから、何も起こらないといいんですけど」
 私は、嫌な予感がした。
(昔からの悪い習慣だわ。折角の旅行なのに、いや大事な仕事を全うしなければ)
「長者原ビジターセンターに到着しました。ここでの見学は三十分です。十六時三十分までにバスにお戻りください」
 バスを降りた私は、思いっきり深呼吸した。
「気持ちがいい。こういう所、初めてだわ」
「俺もだ、日本にこんなところがあるなんて、日本も捨てたもんじゃないね」
 他の客も感動しているようだった。
「旦那さん、写真お願いできますか」
 家族三人連れで参加した佐川恒夫が、夫に言ってきた。
 気持ちよく受けた夫は、佐川のカメラのシャッターを二度ほど押した。
「藤沢さんも撮りましょうか」
 佐川が言ってきたので、私は夫と並んだ所を撮ってもらった。
「ありがとうございました。ご家族で旅行ですか。いいですね」
「はい、久しぶりに家族そろっての旅行です」
 私はレンズを望遠に交換して、山本一たちを撮った。
 仕事とはいえ、嫌悪感を覚えてきた。
 バスは、時間通りに、長者原ビジターセンターを出発した。
 ツアコンの伊藤恵が、立ち上がって、これから向かう湯布院についての説明を始めた。
「湯布院は昭和三十年に由布院町と湯平町が合併して誕生した地名です。 厳密にいうと、湯平町を含む場合は湯布院、含まない場合は由布院となります。 例えば、高速道路のゆふいんインターチェンジは湯布院、JRのゆふいん駅は由布院という具合に表記が異なるというわけです。由布市湯布院町は、北東端には豊後富士と称えられる標高千五百八十四メートルの秀峰由布岳がそびえています。温泉郷として知られる町には、由布院と湯平の二つの温泉地が国民保養温泉地に指定されており、湧出量は全国第二位を誇ってます。単純温泉で、自律神経不安定症、不眠症、うつ状態に効くと言われています。見学のご案内ですが、由布院駅から温泉街の方向に延びる通称由布見通りや、そこから紅葉がきれいなつに続く湯のには、しゃれた雑貨屋やレストランが並び、周辺には各種の美術館が点在します。明日は、十二時までごゆっくり見学して、昼食もお取りください。駐車場のバスに十二時三十分までにご乗車ください。また、ホテルのチェックアウトは十時までですので、よろしくお願いいたします」
 十七時を多少過ぎて、私たちが宿泊するホテルHに到着した。
 伊藤恵が、部屋の鍵をそれぞれの代表に渡してから、夕食の時間、場所そして、明日の集合時間等について説明をした。

 私は部屋に入ると夫とツアー参加者のリスト作成にさっそく取り掛かった。
 メモしていた客たちの顔及び特徴と自己紹介の氏名を一致させて、ノートに書き留めた。

 
 二列目は、私たち夫婦。
 三列目の客は、身長百八十センチ前後で、堀が深く野生的な目をした山本一と連れ合い 
   の身長百六十五センチ前後で、スタイルがよく面長で目鼻立ちがはっきりして末永 
   喜美子。
 四列目は、身長百七十センチ前後で目鼻立ちははっきりで、あっさり顔の佐川恒夫、
    身長百五十センチ後半で、日本人らしい平顔の妻の安子そして、百六十センチ前 
    後で、あっさりした顔立ちで目が細く、唇の薄い娘の知美の家族三人、
 五列目は、身長百七十五センチ前後で、色白であっさり顔で二重瞼、鼻高く唇薄い足立
    隆、身長百六十センチ前後で、顔立ちがきれいでやや堀が深く目が鋭い妻の誉の
    夫婦。
 六列目は、身長百六十センチ弱で、丸顔で目がぱっちりして、歳よりかなり若く見える
    三浦幸子。
 七列目は、身長百七十センチ強で、小顔で堀が深く癖のない顔立ちの田所正。
 八列目は、身長百六十センチ強で、でか顔で、目が大きく、鼻はあまり高くない梶山敏
    夫と身長百六十センチ前後で、あっさりした顔で、目鼻小さな妻の政代の夫婦、
 次からは、グループでの参加の九人
 九列目は、身長百七十センチ弱で、眉毛が濃く堀の深い吉田八重子、身長百六十センチ
    前後で、色白で、面長の美人の浜田好子、
 十列目は、身長百六十センチ弱で、目が大きく鼻も高い日本人離れした顔の大山君子、
    身長百七十センチ弱で、眉毛が濃く目の鋭い細面の川本正雄、、身長百五十五セ
    ンチ前後で、歳よりかなり若く見える目鼻立ちの宮本くみ、
 一一列目は、身長百六十センチ前後で、鼻筋の通ったやや冷たそうに見える渡辺美代子、
     身長百六十センチ前後で、鼻が大きく高い、唇厚く四角顔の平山和夫、
     身長百七十センチ前後で、日本人離れした何もかも濃い顔立ちの反田次郎、
     身長百六十センチ前後で、化粧が濃い派手なタイプの山中響子

「今日はこれで十分ね。あなた、食事に行きましょう」
 私は夫とホールに行った。
 バイキング形式で、ツアー客たちはそれぞれグループごとに伊藤恵によって、席順が決められていた。
 ただ、一人参加の田所正と三浦幸子の相席は、本人たちの了解を得て決められた。
 突然、グループの席から激しく口論する声が、私の耳に入ってきた。
「ヒラさんとみこちゃん、タンジさんと晴ちゃんの二組はできたんじゃないの。バスの中でいちゃいちゃして、見てられなかったわ」と大山君子が言うと、
「他のお客さんがいるのに、いい年して、本当に恥ずかしいわ」と吉田八重子が続いた。
 それらを聞いていた浜田好子が、急に怒り始めた。
「タンジさんうちのコミュの規則では、男女の関係を持たないこと、持ったら速やかに退会するようにとなっているのに、管理人がそれを守るどころか、破っているとは腹立たしいわ」と斜め前の一つ左に座っている反田に向かって声を荒げてた。
「ハマちゃん、私たちは共通点が多く、話が合うものだからただ話をしているだけで、決して男女の関係などというものではありませんよ」
「なに言ってんのよ、言い訳がましい。管理人がそんな疑いをもたれる行動をするなんて、論外よ」
「そんなにこの会が嫌なら、やめてください」
「はいはい、こんないい加減な会なんて今すぐに辞めます」と言って、浜田好子は、テーブルの上のスマホを手にして、退会のボタンを押した。
「私も退会するわ」と言って、吉田八重子と大山君子が続いた。
「雅子、グループの人たち何かもめているようだね」
 先ほどまで、周りの席を見回していた夫が言った。
「困ったものね。ここまで来て、もめるなんて」
 私は、そう言いながら、彼らとそれ以外の客たちを交互に観察した。
 梶山敏夫が、何か言いに行こうと席を立とうとすると、妻の政代が余計なことはするなとでも言うように敏夫の袖を引いた。
 佐川一家の人々たちは、うんざりした様子で彼らを見ていた。
「うるせえ、いい加減にしろ」と突然、足立隆が、ヒステリックな大声を上げた。
 レストランは静まり返り、人々の目が足立隆に集中した。
 彼の前に座っていた妻の誉が、にこにこしていたのには、私は彼女がどのような神経なのか分からなかった。
 夫は、私の不信そうな顔を見たのだろう。
「彼女は、彼のこのような行動を時々見ているんだよ。だから、また始まったぐらいしか思っていないんだ。エリートである彼を尊敬しているから、彼女は、彼のどんな行動に対しても認めてしまうんだろう」
「でも彼女も高学歴なのに、あんな下品な言い方を笑っているなんて信じられないわ」
 高学歴でエリートと言われた人間が関与した事件に、私は、今まで遭遇したことはなかったのだ。
「いろいろな人間がいるし、環境もいろいろあるんだ。心理学をやっている私だって、まだまだ分からないことがある。だから学問として成り立っているんだ」
 怒鳴り声を機に、ツアー客たちは一刻も早く食事を終えようと、会話も少なく食べるのに専念し始めていた。
 ただ、山本一と末永喜美子は、仲睦まじくビールを飲みながら談笑に耽っていた。
 私は、盾になった夫の横から彼らを撮影してから部屋に戻った。
「雅子、今回の初仕事は順調に進んでいるね」
「あなたのおかげで、証拠の写真はばっちりだわ」
「風呂に入りに行かないか」
 私たちは、三十分ほどで部屋に戻ってきた。
「いい温泉だな」
「本当、仕事でなければもっと良かったのに」
 夫が冷蔵庫から缶ビールを出して、テーブルの上に置いた。
「さあ、前祝だ」
「お疲れ様」
「あの二人は今頃何やっているんだろう?」
「いやね」
 同じツアーの人たちに会うたびに挨拶をしながら、食事処に行った。
「おはようございます。藤沢さんは、T大学の准教授ですってね」
 山本一が、夫に声をかけてきた。
 末永喜美子が笑みを浮かべて、山本一の後ろに立っていた。
「ええ、日本史を教えています」
 夫は気分を害した様子も見せずに答えた。
「どうりで詳しい訳だ」
「山本さんは何をなされているんですか?」
「藤沢さんと同業のようなことをやっています」
 私は会釈をして、席を探した。
 私の背に注がれていた山本一の視線が、私は妙に気になった。
 衝立で区切られていた私たちの席に腰をおろすと、女性が味噌汁とお櫃を運んできた。
 そして、干物を焼くために燃料に火をつけた。
 テーブルに載っているおかずは、海苔、茶碗蒸し、佃煮類だ。
 私は、旅行先では、いつもと違い食が進む。
「私、もう一杯いただこうかしら。あなたは、どう」
「俺はもう腹いっぱいだ」
 昨日の夕食とは違い、周りからは、笑い声が聞こえてきた。
「あの人は、M大学の山本一さんに間違いないわ、あなたのおかげよ」
 私は、声を落として言った。
「本名で来ていたんだな」    

 
コメント
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