
なんか、中学生時代をいろいろ思い出したので、今回は初めての大阪での体験。
私は小学生時代いつも仲の良い女の子4人組で行動していました。
時期外れのクラス替えの後、4年の2学期から小学校を卒業するまで同じクラスだったので、何をするにも一緒でとにかくいろいろやりました。時にはいたずらなんかもして一緒に怒られたりもしました。
この友人たちとは今も連絡を取り合っていますが、小学校を卒業する時、そのメンバーの内の1人が神戸に引っ越すことになったんですね-。
そして中学生となり、残った私たち3人もクラスはバラバラになりましたが、つながってはいたので、2年の夏休み、自分たちだけで引っ越した友人に会いに神戸に行こうと企てたわけです。
残ったメンバーの1人は母方の実家が名古屋でお盆の前後は名古屋にいるということだったので、まず2人で東京駅から新幹線にのって名古屋でもう1人と合流、神戸にて最後の1人と合流という計画。
当時は携帯電話もポケベルさえもないし、インターネットなんてものもなかったので(なにしろ最初のWindowsが出る何年も前。PC授業はDOSでしたから)確実に私たちが乗った電車に名古屋から合流できるよう、時刻表で念入りに調べましたよ。
大学時代に友人が時刻表読めないって言ってるのを聞いてびっくりしましたもんです。
そういう意味では、当時の私たちは結構賢い方だったのかもしれません。あ、勉強ができるという意味ではなくて、適応能力というか。悪さもするし、口だけは達者な生意気なガキたちでしたが、度胸も行動力もあったと思います。
学校の学割申請はしっかり保護者同伴の家族旅行と記入することを指示するほど頭が回る子がいまして、実際はその子が名古屋からの合流の手筈も何両目の車両に乗るかもすべて計画してくれたわけです。中学2年生が神戸まで親の力を借りずによく行けたものです。しかも初めての土地に。
そして、なぜかよりによってお盆の帰省ラッシュが始まったちょうどそのタイミングで神戸に向かいました。
乗車率はなんと300%とか確かそんなとんでもない数字だったと思います。私たちはドア付近の壁に併設されたゴミ箱そばで、押される度にゴミ箱のふたが開いて、その度になんとも耐え難い酷い臭いを我慢しながら、神戸に着くまでの4時間くらいですか、終始立ちっぱなしでした。
もちろん示し合わせた通り、名古屋から1人合流して。
神戸についてから最後の1人と合流し、その後の3日間のスケジュールも全て予め計画していたので、スケジュール通り電車やバスを乗り継いであちこち観光しました。
神戸はとてもお洒落で横浜とはまた違った素敵な港町でした。
ちなみに、神戸に転校していった友人のお父さんは旅客船の船長さんで、関東にいた時は横浜から航海にでていたようです。日本の港から港へ、なんかちょっと憧れました。その子の将来の夢も船長さんでしたから。
千葉に帰る前日は神戸から阪急電鉄でしたっけ?これに乗って大阪に行きました。
関西の中心!大阪弁!なんかすご-く憧れていただけに期待も大きく、テンション上がりぱなしだったと思います。
それだけに、電車の中でも相当騒いだように思います。
電車に乗ってしばらく4人でいろいろ話していると、同じ車両の少し離れたところにいた普通の女子高生の集団(と言っても3~4人)がこちらに近づいてくるのに気がつきました。
そしてこちらを見ていました。
いわゆる“ガンつけ”られていたわけですね。
私たちも、
“なんだ?この姉ちゃんたちは?”
と思いつつほっといてたんですが、いかにも地元の女子高生といった風体の大阪の姉ちゃんたちは、こちらを見ながら何か話しているようでした。
少しして、たぶん1駅とか2駅くらい通過したでしょうか、ついに姉ちゃんたちは私たちの方にやってきてこう言いました。
“大阪来て電車の中で白昼堂々標準語で大騒ぎしてんなんていい度胸してんなΨ(`∀´#)”(大阪弁で)
b(・∇・●)
“おまえらどっから来たん”(大阪弁で)
“東京です”
(嘘です。本当は千葉(^o^;地方行くとなぜかついつい東京と言ってしまうのはなぜ…)
“よそもんが、えらそうに標準語ででかい声でしゃべりやがって”(大阪弁です)
“…。”
(いやいや標準語しかしゃべれないんですけど(^.^)b)
←とても声に出して言えなかった。
“何しにガキがこんなとこきたんや”(くれぐれも大阪弁です)
すると神戸に住んでいる子は言いました。
“私は神戸にすんでいるので”(関西弁で)
←関西の人が聞くと大阪弁とか京弁とか兵庫弁とかわかるらしいですね。
“そうか、じゃあおまえは許したる。”(何度もいいますが相手は大阪弁です)
すると別の友人が言いました。
“私はおかんが名古屋でおとんが神戸出身で”
“じゃあおまえも許したる”(大阪弁で-す)
(@゜▽゜@)おぉなんて単純!
“うちは両親が関西出身で”
“んじゃおまえも許したる!おまえは?!”
最後残った私は、
“お母さんのおばあちゃんの両親が滋賀出身で”(だいぶ遠いけど本当です)
結局関西人の縁戚という理由で許され(?)ました(-ロ-;)
大阪の姉ちゃんたちは最後に、
“東京もんが大阪であんまでかい顔してんじゃね-ぞ!”(大阪弁)
と捨て台詞(?)を言い捨てしばらく行った駅で降りて行きました。
ちなみに相手はみんな大阪弁だったので、この場では言われたことを適当に標準語にしてますが、初生大阪弁は標準語で同じこと言われるよりずっと怖かったのは確かです。
とにかく、危うく見知らぬ土地で見知らぬ女子高生に〆られるとこでした(T_T)
その後夜遅くまで大阪を満喫したわけですが、確かその後も繁華街で標準語を話してるってだけで絡まれました。
それ以来、大阪には行ってません。別に大阪が嫌いなわけじゃないないんですけど、大阪の子に会うと必ずこの時のことを思い出しこの時の話をします。
その時の相手の反応はだいたいあいまいな感じですかね。
標準語ってそんなもんなんですかね?関西人にとって。まぁこっちも好きで標準語話してるわけじゃないんですけど(^o^;
大阪の姉ちゃんの想い出でした。



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