久しぶりの更新ですが、トラブルとは関係ないお話です。
先週末の27(金)~28(土)の0泊2日の24時間ボランティアに行ってきました
GWまでは、行っても迷惑って言葉がず-っとひっかかってたけど、GW明けからボランティアの数が激減と聞き、また、ボランティアの受け入れ体制もだいぶ整ってきたとのことなので、社団法人でやっているバスパックツアーに申し込みました。
今回私が参加したのは、災害救援ボランティアではなく、
復興支援ボランティア
というものです。
災害救援ボランティアは、被災者の直接的な支援活動をさし、瓦礫の撤去や個人のお宅の泥かき、避難所などの炊き出しなどですが、復興支援ボランティアは、被災した農家や漁業などの復興のお手伝いです。
私たちは今回宮城県亘理町のイチゴ農家のヘドロ除去作業をやりました。
亘理町のイチゴは、イチゴ品評会で日本一に輝いたこともある日本有数のイチゴの産地でしたが、震災前に450軒あったイチゴ農家の内80%以上が津波により壊滅状態で、12月の出荷は見込めない状態です。
津波の被害にあいながらもなんとかビニールハウスが残った70軒あまりの農家は、7月の作付けを目指し、津波が運んできたヘドロかきに追われていますが、何しろ人手が足りません。
今回は宮城県亘理町JAの依頼にもとづいたボランティア活動で、生き残った再生可能なイチゴ農家70軒に派遣されてヘドロ除去作業をしてきました。
この70軒はもちろん津波の被害は受けているんだけど、海から運ばれてきたヘドロを取り除いて、土壌の中の塩分を水やりなどで取り除けば、7月に作付けが可能で、12月のクリスマスケーキ用の出荷間に合うとのこと。
27日金曜日の夜22時半に池袋に集合して、東北道を北へ。
途中トイレ休憩で寄ったサービスエリアには、これからボランティアに向かうたくさんのマイクロバスと、瓦礫撤去に使うのだろうショベルカーなどの重機を運ぶ大型トラックや物資を運ぶトラックでいっぱいでした。
でも何度もボランティアに来てる人いわく、ボランティアのマイクロバスはだいぶ少ないそうです
そして朝7時半ごろJAに到着。
自らも被災しているJAの職員の皆さんは、私たちボランティアの出迎えと派遣の為土曜日にも関わらず出勤してくれていました。
JAの会館を借りて着替えた後、自らの自宅が津波に流されながらも亘理町のイチゴ復活を願うJAの会長さんのお話は聞いてて涙がでて、改めて頑張ろうと決意がわきました。
農家の人たちとの待ち合わせ場所に行く途中、海沿いの津波の被害が酷かった地域を通過しましたが、道路がきれいに片付いている位で、あとは瓦礫の山と、放置された家々が360度広がっていました。
所々、瓦礫の山の上に白い旗が立っていましたが、これは自衛隊の方々が、遺体がないと確認したところだそうです。
今普通に走っている道路も、自衛隊により復旧したそうで、道すがらまだまだ活動している自衛隊の方々も散見されました。
自衛隊の皆さん、本当にお疲れさまです
本当にありがとうございます。
ボランティア活動は、かなり組織だっていて、バスの座席の横1列4名で1班、通路側にボランティア経験のある男性が座るようになっていて、その男性が班長となって3班1組で迎えにきている各農家に派遣されるという形でした。
派遣される前にJAの人たちから、
「イチゴ農家の人たちは、普通の農家と違って職人気質の上、東北弁もあって関東の人には言葉がキツいかもしれないが、くれぐれも気にしないでほしい」
と言われました。
私の組がお手伝いすることになった農家の小野さん(亘理町では半分以上が小野さんらしい)はとても気さくなお父さんで、多分60代後半くらいでしょうか?そういう心配はいりませんでしたが確かにイチゴ作りにかける職人魂がありました。
作業をするビニールハウスに来てみると、乾燥してひび割れたヘドロに覆われ、枯れたイチゴの葉が時折のぞく、酷い惨状でした
ビニールハウスも津波の力で歪み、傾いて使い物にならなくなった上からもう1度ビニールハウスで囲っているような状態・・・
ヘドロかきと言っても、ドロドロしているのではなく、除去しやすいように2ヶ月以上かけて乾燥してあるのでひび割れたそれら欠片を剥がして運び取るのですが、10数センチの厚みの乾燥したヘドロは、まるでコンクリートの欠片のようなものすごい重量があります。
私たち12人は最初に簡単に打合せした後、男性陣は除去されてかごに集められたヘドロをリヤカーで集めたり、折れ曲がったハウスの骨組みを解体したりして、女性陣はとにかくヘドロの除去と枯れたイチゴの苗を抜いていく作業でした。
イチゴ狩りしたことある人は知ってると思いますが、ビニールハウスかなり長いです
ヘドロを除去した土はよく見ると白いキラキラした粒が無数に見えました。
全部結晶化した塩です。
まるで塩田のようです
多分ヘドロがなくなった後は、この塩分をどうにかして除去しなければいけないのでしょう。
とは言え、皆、クリスマスの出荷を願って信じて、ものすごく頑張ってました。
私も途中すごく腰が痛かったけど、涙もろい小野のお父さんの姿見ると、全然疲れを感じなくなりました。
朝9時頃から作業して、作業終了の15時までにはなんとかビニールハウス1棟、ヘドロと壊れた骨組みが全てなくなりました。
お父さんは、
本当に命が助かった時はそれだけでよかったと思ったけど、避難所から戻ってこの惨状を見た時はもう絶望してしまって悲しくて途方に暮れてしまってどうしていいかもわからなかった。
自分と妻と嫁と3人だけで(息子は出稼ぎで県外にいる)こんだけのヘドロを除去するなんて無理だと思い、今年の作付けと出荷は諦めていた。
JAがボランティアを依頼していることを2日前に初めて聞いて、わらにもすがる思いで申し込んでみたが、もう間に合わないかもと思ってがっかりもした。だけど、こうして今日ボランティアの人達が来てくれて希望が見えてきた。
おかげでこのビニールハウスは7月に作付けができます。
塩害がどの程度影響するか分からないけれど、12月に出荷できたら必ず連絡するか楽しみにしていてください。
私もやっと頑張ろうと最近思えてきたところだから、亘理町のイチゴを必ず復活させますよ!
と最初は涙しながら、最後は笑顔で語っていました。
たった1日の数時間の作業だったけれど、本当に小さな小さな力にすぎないけど、お父さんの笑顔を見れたことだけで、本当に行ってよかったと心底思いました。
ちなみにいい大人12人全員号泣でした
私はボランティアに行くことがいいとか悪いとかあまり思いません。
こんな未曾有の大震災ですから、募金でも物資を送るでも、なんでも自分ができることをやることが大事なんだと思います。
私の周りにもボランティアに行きたいけど遠すぎて会社を休まなければいけないとか、子供が小さいから行きたくても行けないとかよく聞きます。
行かなくてもいいんです。
私はたまたま独身で時間もお金もあって、地理的にも日帰り可能圏内で、たまたまボランティアの機会があっただけです。
だから余計にボランティアに行きたくても行けない人たちの代わりにもっと行こうと思いました。
だから決してすごいことでもなんでもないんです。
これが私にできることの1つだっただけだから。
とりあえず、震災との戦いはまだまだ始まったばかりです。
皆さん引き続き、支援をお願いします!
あと12月になったら亘理町(ワタリチョウ)のイチゴが店頭に並ぶことを祈ってて下さい。
※写真ありません。
とても撮影できるような雰囲気でも状況でもありませんでした。
ビニールハウスの様子は多分ネットのどっかにのってると思います。
http://hisaiti-24h-shien.mo-blog.jp/blog/2011/04/post_d27e.html
◆↑私が参加した24時間ボランティアの募集団体です。
金曜夜出発→5時間ほどのボランティア→土曜夜池袋着
でサラリーマンには好都合なスケジュールの上、参加費\5800と手頃です♪
0泊2日池袋発ボランティアバスツアー
東日本大震災被災地支援の会
http://hisaiti-24h-shien.mo-blog.jp/
いちご農家復興支援一口オーナー制度
宮城県特産品種 苺「もういっこ」復興支援プロジェクト
http://hisaiti-24h-shien.mo-blog.jp/hitokuti/
先週末の27(金)~28(土)の0泊2日の24時間ボランティアに行ってきました
GWまでは、行っても迷惑って言葉がず-っとひっかかってたけど、GW明けからボランティアの数が激減と聞き、また、ボランティアの受け入れ体制もだいぶ整ってきたとのことなので、社団法人でやっているバスパックツアーに申し込みました。
今回私が参加したのは、災害救援ボランティアではなく、
復興支援ボランティア
というものです。
災害救援ボランティアは、被災者の直接的な支援活動をさし、瓦礫の撤去や個人のお宅の泥かき、避難所などの炊き出しなどですが、復興支援ボランティアは、被災した農家や漁業などの復興のお手伝いです。
私たちは今回宮城県亘理町のイチゴ農家のヘドロ除去作業をやりました。
亘理町のイチゴは、イチゴ品評会で日本一に輝いたこともある日本有数のイチゴの産地でしたが、震災前に450軒あったイチゴ農家の内80%以上が津波により壊滅状態で、12月の出荷は見込めない状態です。
津波の被害にあいながらもなんとかビニールハウスが残った70軒あまりの農家は、7月の作付けを目指し、津波が運んできたヘドロかきに追われていますが、何しろ人手が足りません。
今回は宮城県亘理町JAの依頼にもとづいたボランティア活動で、生き残った再生可能なイチゴ農家70軒に派遣されてヘドロ除去作業をしてきました。
この70軒はもちろん津波の被害は受けているんだけど、海から運ばれてきたヘドロを取り除いて、土壌の中の塩分を水やりなどで取り除けば、7月に作付けが可能で、12月のクリスマスケーキ用の出荷間に合うとのこと。
27日金曜日の夜22時半に池袋に集合して、東北道を北へ。
途中トイレ休憩で寄ったサービスエリアには、これからボランティアに向かうたくさんのマイクロバスと、瓦礫撤去に使うのだろうショベルカーなどの重機を運ぶ大型トラックや物資を運ぶトラックでいっぱいでした。
でも何度もボランティアに来てる人いわく、ボランティアのマイクロバスはだいぶ少ないそうです
そして朝7時半ごろJAに到着。
自らも被災しているJAの職員の皆さんは、私たちボランティアの出迎えと派遣の為土曜日にも関わらず出勤してくれていました。
JAの会館を借りて着替えた後、自らの自宅が津波に流されながらも亘理町のイチゴ復活を願うJAの会長さんのお話は聞いてて涙がでて、改めて頑張ろうと決意がわきました。
農家の人たちとの待ち合わせ場所に行く途中、海沿いの津波の被害が酷かった地域を通過しましたが、道路がきれいに片付いている位で、あとは瓦礫の山と、放置された家々が360度広がっていました。
所々、瓦礫の山の上に白い旗が立っていましたが、これは自衛隊の方々が、遺体がないと確認したところだそうです。
今普通に走っている道路も、自衛隊により復旧したそうで、道すがらまだまだ活動している自衛隊の方々も散見されました。
自衛隊の皆さん、本当にお疲れさまです
本当にありがとうございます。
ボランティア活動は、かなり組織だっていて、バスの座席の横1列4名で1班、通路側にボランティア経験のある男性が座るようになっていて、その男性が班長となって3班1組で迎えにきている各農家に派遣されるという形でした。
派遣される前にJAの人たちから、
「イチゴ農家の人たちは、普通の農家と違って職人気質の上、東北弁もあって関東の人には言葉がキツいかもしれないが、くれぐれも気にしないでほしい」
と言われました。
私の組がお手伝いすることになった農家の小野さん(亘理町では半分以上が小野さんらしい)はとても気さくなお父さんで、多分60代後半くらいでしょうか?そういう心配はいりませんでしたが確かにイチゴ作りにかける職人魂がありました。
作業をするビニールハウスに来てみると、乾燥してひび割れたヘドロに覆われ、枯れたイチゴの葉が時折のぞく、酷い惨状でした
ビニールハウスも津波の力で歪み、傾いて使い物にならなくなった上からもう1度ビニールハウスで囲っているような状態・・・
ヘドロかきと言っても、ドロドロしているのではなく、除去しやすいように2ヶ月以上かけて乾燥してあるのでひび割れたそれら欠片を剥がして運び取るのですが、10数センチの厚みの乾燥したヘドロは、まるでコンクリートの欠片のようなものすごい重量があります。
私たち12人は最初に簡単に打合せした後、男性陣は除去されてかごに集められたヘドロをリヤカーで集めたり、折れ曲がったハウスの骨組みを解体したりして、女性陣はとにかくヘドロの除去と枯れたイチゴの苗を抜いていく作業でした。
イチゴ狩りしたことある人は知ってると思いますが、ビニールハウスかなり長いです
ヘドロを除去した土はよく見ると白いキラキラした粒が無数に見えました。
全部結晶化した塩です。
まるで塩田のようです
多分ヘドロがなくなった後は、この塩分をどうにかして除去しなければいけないのでしょう。
とは言え、皆、クリスマスの出荷を願って信じて、ものすごく頑張ってました。
私も途中すごく腰が痛かったけど、涙もろい小野のお父さんの姿見ると、全然疲れを感じなくなりました。
朝9時頃から作業して、作業終了の15時までにはなんとかビニールハウス1棟、ヘドロと壊れた骨組みが全てなくなりました。
お父さんは、
本当に命が助かった時はそれだけでよかったと思ったけど、避難所から戻ってこの惨状を見た時はもう絶望してしまって悲しくて途方に暮れてしまってどうしていいかもわからなかった。
自分と妻と嫁と3人だけで(息子は出稼ぎで県外にいる)こんだけのヘドロを除去するなんて無理だと思い、今年の作付けと出荷は諦めていた。
JAがボランティアを依頼していることを2日前に初めて聞いて、わらにもすがる思いで申し込んでみたが、もう間に合わないかもと思ってがっかりもした。だけど、こうして今日ボランティアの人達が来てくれて希望が見えてきた。
おかげでこのビニールハウスは7月に作付けができます。
塩害がどの程度影響するか分からないけれど、12月に出荷できたら必ず連絡するか楽しみにしていてください。
私もやっと頑張ろうと最近思えてきたところだから、亘理町のイチゴを必ず復活させますよ!
と最初は涙しながら、最後は笑顔で語っていました。
たった1日の数時間の作業だったけれど、本当に小さな小さな力にすぎないけど、お父さんの笑顔を見れたことだけで、本当に行ってよかったと心底思いました。
ちなみにいい大人12人全員号泣でした
私はボランティアに行くことがいいとか悪いとかあまり思いません。
こんな未曾有の大震災ですから、募金でも物資を送るでも、なんでも自分ができることをやることが大事なんだと思います。
私の周りにもボランティアに行きたいけど遠すぎて会社を休まなければいけないとか、子供が小さいから行きたくても行けないとかよく聞きます。
行かなくてもいいんです。
私はたまたま独身で時間もお金もあって、地理的にも日帰り可能圏内で、たまたまボランティアの機会があっただけです。
だから余計にボランティアに行きたくても行けない人たちの代わりにもっと行こうと思いました。
だから決してすごいことでもなんでもないんです。
これが私にできることの1つだっただけだから。
とりあえず、震災との戦いはまだまだ始まったばかりです。
皆さん引き続き、支援をお願いします!
あと12月になったら亘理町(ワタリチョウ)のイチゴが店頭に並ぶことを祈ってて下さい。
※写真ありません。
とても撮影できるような雰囲気でも状況でもありませんでした。
ビニールハウスの様子は多分ネットのどっかにのってると思います。
http://hisaiti-24h-shien.mo-blog.jp/blog/2011/04/post_d27e.html
◆↑私が参加した24時間ボランティアの募集団体です。
金曜夜出発→5時間ほどのボランティア→土曜夜池袋着
でサラリーマンには好都合なスケジュールの上、参加費\5800と手頃です♪
0泊2日池袋発ボランティアバスツアー
東日本大震災被災地支援の会
http://hisaiti-24h-shien.mo-blog.jp/
いちご農家復興支援一口オーナー制度
宮城県特産品種 苺「もういっこ」復興支援プロジェクト
http://hisaiti-24h-shien.mo-blog.jp/hitokuti/
バタ子さんもお疲れさまでした!
FBにはUPしたけど、ボランティアに行ったイチゴ農家さんからイチゴ届いたんだよね