今回はトラブル話というか、不思議な夢のお話です。
中学生の頃、原因不明の高熱で意識がなくなったことがありまして、まぁ最終的にはウイルスがリンパ腺に入って脳にいってしまったことが原因とわかったのですが、1週間ほど医者も原因がわからず、インフルエンザなどの検査も陰性で、あらゆる解熱剤も効かなかったことから、半分自力回復を待つしかないという状態に陥ったことがあります。
とにかく熱が常に41℃以上で、熱による震えや痙攣と消化器系も弱っていたので食べ物も受け付けないような状況が続きました。
いくつか解熱剤の類を試しましたが熱は下がらず、かといって風邪の症状があったわけでもなく、医者も次の薬でだめだったら大きな病院へ紹介状を書くと言っていた位でした。
まぁとにかく高熱で意識ももうろうとしていたので、されるがままでした。
結局大きな病院へ行く前に原因がわかったので、その薬で熱は下がり今に至るわけですが、
その日の夜、私は不思議な夢を見ました。
気がつくと、真っ暗な闇の中にいました。
寒さも暑さも感じない、上も下も、奥行も、自分が立っているのか浮いているのかもわからないような深い闇の中にただ1人。
歩いてみても、地を踏む感覚はなく、進んでいるのかさえもわからないような生き物のようにまとわりつく闇。
意識だけははっきりしていたものの、行くあてもなく、ただそこにいました。
すると、ある方向に白い点が遥か彼方に現れ、とりあえずその点に向かって歩いていくことにしました。
歩くといっても、歩いてる感覚はなく、ただ熱のためか全身気だるく足も重い感じでしたが、とにかくあの点にたどり着こうと必死に前に進みました。
闇は体にまとわりつくように重く、前に進むことを邪魔しているようにも感じました。
どんなに歩いてもなかなかたどり着かないその点は、でも進むにつれすこ-しずつ大きくなり、点ではなく光なんだとわかった瞬間、
そうか、ここはトンネルなんだ!
と何かとっても納得しました。
そう思った瞬間、突然道ができるかのように闇の中にたたずむ私の両サイド頭の上くらいの位置に青い光の蝋燭がザザザザザザ・・・・と白い光、つまりトンネルの出口に向かってすごい勢いで灯りました。
蝋燭は闇の中からSの字のように伸びた燭台の上に乗っているようでした。
蝋燭なのに炎は青白いんだな、なんて少し思ったものの、その蝋燭のおかげで出口までの距離感もわかり、とにかくその出口に行くことだけを考え歩き続けました。
蝋燭の明かりのおかげで、上下の感覚がつかめるようになったせいか、今度はしっかり歩いている感覚がありました。
とにかくこの不気味な闇から抜け出したいと歩みを早めようとした瞬間、自分のず-っと後方から、自分の名前を呼ぶ懐かしい声が聞こえてきました。
しかし振り替えると最初の闇ばかりで、青い蝋燭の火も私が通り過ぎたところから後ろは消え去っていて、元来た道もわからず、声の主もその人のいる場所すら全くわかりませんでした。
でも本能的にあの光の先が何かとてもいいところなんだとわかっていた私はまた前に進もうとしました。
するとまた後ろから声が・・・。
この声が母の声だとわかった瞬間、自分が立っているところを境に闇がバラバラと欠けらになって崩れ落ち、そこにあったのは大きな太陽と、幼い自分のを背負い夕焼け小焼けを歌う自分の母親の姿がありました。
ただ自分を境に後ろ側は相変わらず闇と闇の中に広がる青い蝋燭の火と、トンネルの遥か彼方に見えるトンネルの出口。
懐かしさに足をとられ立ち止まり、どこに行けばいいのか、迷いが生じた時、闇からぶらさがる青い炎を灯す蝋燭が一斉に波打ち、動きだしました。
びっくりしてよく見ると、それは蝋燭ではありませんでした。
トンネルの出口まで続く、何千、何万もの青白い人間の手が、手首から先だけ宙に浮いていて、出口の方へ手招きをしていました。
その光景を見ていると、今度は切羽つまったような母親声が聞こえ、次の瞬間布団の上でした
要するに目が覚めた
目が覚めた時、薬のおかげか熱は下がっていましたが、私が夢を見ていた間、意識を失っていたようです。
母親が私の枕元でなんかすげ-泣いてたみたいでした。
とても変な夢でしたが、びっくりするぐらい鮮明に覚えていて、あの手首の手招きもそんなに恐怖感はありませんでした。
まぁ夢ですからねw
たまに、あのトンネルの先の出口までたどり着いていたら死んでたのかな?とか思いますが、単なる夢だともいえる根拠として、私があの夢を見る前に高熱の原因がわかっていて薬を飲んでいたことと、もし死にそうだったなら医者が入院させてただろうと思うからですw
一応母親には日々いろいろと感謝しております
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でも41度って・・・1日でも辛いのに、1週間も大変だったね!
情景は怖いはずなんだけど、夢って割り切ってた(?)せいか全然怖くなかったんだよね-ww
これ中学3年の12月でさ-、41度の熱あるのにあの寒い体育館でやった全国模試受けさせられたのよ
12月は内申書に関わる最後の試験だからとかなんだたとか
体育館まで机と椅子運ぶのかなりしんどかった教室で受けさせろよなって思わなかった