3095 アメリカ東部4都市周遊の旅 2012/10/04(木)~2012/10/10(金)
初日(10/04-木): 朝5時起床、自家用車で成田空港迄、何が起こるか分からないので6:00に家を出た。特に渋滞も無く予約していた駐車場には8:00過ぎに到着、洗車してくれて7日間¥3750で往復送迎付き、成田EXPを利用すると¥4000以上掛かるのでめちゃ安い。早く着き過ぎたが集合場所に行くと担当者が応対してくれて出発までの段取りと必要書類を渡してくれた。そのままJALのカウンターへ行きチェックイン事前にWEBチェックインしていたので荷物を預けるのみ。10:00集合との事でゆっくり朝食を摂った。今回のツアーはJALがボーイング787最新鋭機での就航記念ツアー、エコノミーでも席比較的ゆったりしており全座席大型液晶TVが有り映画、音楽、ゲーム等盛りだくさんのメニュウで13時間のフライトは大方暇をもてあそぶ事も無く、好きな最新映画を4本観ることが出来た(アメイジングスパイダーマン、プロメテウス、メインインブラック3、リンカーン秘密の書)。実は機内で遠視用のメガネのガラス止めネジが片方外れてネジが見つからず使用不能。遠視用メガネでは見えないので裸眼で観たが如何しても画面に近づかなければならず前のめり状態になるのでちょいと疲れてしまった。成田12:00発、途中台風19号の前方を通ったため激しい揺れを20分程あったがその後は順調で、機内食2回、13時間弱でボストン空港に着陸。現地時間午前11:00、日付は変わらず時差13時間、因みに日本時間は日付けが変わって深夜0時。体内時計はとっくに就寝時間で有るがここから何とバスに揺られて8時時間第一日目の宿泊地フィラデルフィアに到着。途中渋滞個所も有りホテル到着は夜の8:30過ぎ、遅い夕食を摂り、就寝したのは10:30過ぎ、実に31時間も眠らずに起きていたことになる。
二日目(10/05‐金): 昨晩は寝ていないにも関わらず二回目が覚めて起きてしまった。結局、女房共々4:30に起きてしまい目覚めのコーヒを飲みながら老眼鏡メガネの止めネジに変わる糸で応急修理を行った。見栄えは悪が何とか両眼で見られることが出来るようになった。朝食も早く食べられ集合時間まで1時間以上あるので郊外の街中を散歩した。市内から離れているため住宅地が多く道を挟む両側の家は4~5段の階段を上るとドアーがある典型的な家が立ち並ぶ。公園も立ち寄ったが犬を連れ散歩する人が目立っていた。
8:45ホテル前のバスに乗車、フィラデルフィア市内見学へ、映画“ロッキー”
でシルベスタスタローンがトレーニングに使用した階段を駆け上るフィラデリフィア美術館へ10:00開館なので中には入らなかったが例の階段とその頂から見る市内を一望できる場所は館内に入らなくとも十分過ぎる光景であった。その後市の中心部へ入り車窓から市庁舎の塔を眺める、4隅に置かれた像の高さは現在世界一(11m)と言うが見た目は小さく見える。次に米国人の誇りである“自由の鐘”
を見学した。入場するのに厳重な持ち物検査と身体検査が行われた。女性の手持ちバッグは全員中身を、男性は万歳姿で一周する。銃や鈍器や破壊する物を持参してないか調べられる。鏡はひび割れていて頑丈な木枠に吊り下げられた小さな物であったが独特の雰囲気を醸し出していた。隣のブロックにはアメリカ独立に関わる由緒ある建物施設二か所を見学、ここでもセキュリティーチェックが厳しい。ここフラデルフィアはアメリカ合衆国誕生の地と言って良いほど歴史と伝統を持つものと再認識した。ここからバスで5分足らず、アメリカでの最初の小路
を探索した。ここまでは男の岡さんと言う現地ガイドさんが案内説明してくれた。
バスはワシントンDCに向かう途中、ボルチモア市街の有名なハーバータウンで小1時間自由行動、横浜・神戸の港町の感じで地元の人と観光客で二賑わっていた。大リーグオリオールズの本拠地でもある。その後バスは250km先にあるワシントンDCに向かい夕刻ホテルに到着した。夕食はバスで市内にある中華店でコースを摂った。初めにチャーハンが出てきたのには驚いた。味の方はまあまあであった。温かい紹興酒を注文したら湯の入った保温器に徳利に入れた紹興酒が出て来たのにも驚いた。ホテルに戻り寝しなに持参した日本酒を飲んで就寝した。
三日目(10/06-土): 昨夜は良く眠れたが出発時間が早いためモーニングコールは6:30もっと眠たい感じであった。7:30ホテルを出発し、最初に訪れたのはケネディー兄弟が眠るアーリントン墓地、次にリンカーン記念堂、
堂の真正面にワシントン記念塔、並びに国会議事堂が一望出来た。更にホワイトハウスは
遠目から、厳重な警備に近寄れない。そして国会議事堂
を見学した後、ナショナルギャラリーへここでもセキュリティーチェックが厳しいが段々馴れてくる。ここで観られる絵画は相当有名なもので写真撮影は自由なのには驚いた、流石自由の国アメリカである。他では考えられない。好きな画家の絵は殆んど写真に収めた。
ワシントンDC最後はスミソニアン航空宇宙博物館、
日米開戦で尊い命を犠牲にして勝利した戦記はここでも伝え継がれていくコーナーがある。その墓、大人も子供も楽しめる宇宙・空・海の歴史に纏わる本物が展示されてる。ゼロ戦も展示されていた。余りにも規模が大きく自由時間1時間半はあっという間、次回ゆっくり見学したい場所の一つである。昼食後、バスで350km先にあるNYへバスで向かった。土曜日とあって渋滞個所が多くホテル到着は夜の8:30過ぎ、夕食はホテル内レストランデアメリカンビーフステーキ、肉厚で大きいのだが固くてスジが有り美味しくないので2/3残した。4人席で福岡から来た真面目な御夫婦と同席し楽しく語り合えた。
四日目(10/07-日): 7:30の出発時間にあわせて朝食は6:30と早かったが米国従業員の怠慢、誰一人レストランには現れずオープンしたのは10過ぎ、しかも食べ物はパンとコーヒーとリンゴとオレンジのフルーツだけ、ハムやベーコン卵類の料理は作っている最中で結局出てこなかった最悪の朝食であった。今日はNYマンハッタン島一日観光、最初に訪れた所はあの9.11のグランド0地帯。跡地は2013年度完成予定の超高層ビル2/3迄完成していたが竣工すると高さ400m以上に成ると言う。
この地は金融地区でサラリーマンが最も多いし更にはパトカーが異常と思える程多い。ガイドさんは理由は分からないと言う、今日は何か特別な事があるのではと言っていた。その後、国連本部を車窓から眺めセントラルパークへ、ここで全員下車してマンハッタン島のヘソと言われている地下鉄改札口に案内されガイドさんより地下鉄の乗り方をレクチャーされて5回乗車できるプリペイドカードを全員貰った。その後地上に戻りマンハッタンクルーズに乗船するため港に向かった。日曜日とあって船は満員盛況、約500人は乗船できる大型クルーズ船、出港後30分程で自由の女神
を間近から鑑賞し又戻る単純クルーズであったが生憎の小雨模様でオープンデッキでは鑑賞出来ないのでガラス窓から見る人も多かった。下船後、バスから車窓見学“タイムスクェア”を見学し昼食場所の日本料理店向かったが5番街でポルトガル移民記念パレードが行われておりバスは全く動けないので下車して徒歩で会場に向かった。和食、洋食、中華と何でも有りの様なバイキングスタイル、寿司は生ものと巻き寿司、天麩羅等が多くあった。飲み物はお茶は2$取られる。テーブルにはコーラが置いてありそれで飲めと言う事なのか実にも白い。昼間からビールは飲みたくないのでコーラで寿司をパクついた。食後は夕方6:30迄自由行動、女房と地下鉄で8番街14ストリートにあるチェルシーフードセンター
に行った。ガイドさんの案内通り乗ったら迷うことなく目的地に行けたし帰路も5番街52ストリーのミッドタウンまでこれまた迷うことなく行けた。SONYプラザ、IBM本社、テファニー等見て歩き、6:30が近づいたのでまた地下鉄で8番街44ストリートもブロードウエーミュージカル劇場に向かった。下車後行列しているハンバーグ店で夕食を取集合場所に行った。6:30開演「」オペラザの怪人」週末とあって席は満席、我々ツアーグループは3階席で舞台を見下ろす感じ。前席がバカでかい米国人男性の頭が舞台の中央を陣取るため斜めから観るため大変疲れた。舞台装置や仕掛けが見事で素晴らしかった。二部構成2:30は見ごたえ有、修了は9:40過ぎ、帰路バスは対岸のニュージャージー州から摩天楼
の夜景観察に案内してくれた。何やかやでホテルに着いたのは10:30過ぎ、朝早かったのでぐったり気味、気温変化について行けず風邪を引いたらしく喉が痛くセキが出る、持参した風邪薬を飲んだが果たしてどうだろうか。女房と二人で持参した焼酎一合を分け合って飲んで就寝。
五日目(10/08-月): 本日は午前中、NYからボストンへ向けバスの旅、約360km5時間、途中高速道路のSAで休息一回でボストンには12:30過ぎに到着した。ボストン市内港町にある旧港湾施設を再利用したクインシーマーケット
で昼食。毎回似た様なアメリカンファーストフードを平らげ食後は一時間30分の自由行動。港やマーケットを散策しているうちに時間がきた。その後はガイドさんがボストン市内を案内してくれた。1890年代の街並みを残すビーコンヒル、
当時使われていたガス灯
は今でも現役、一つ一つ消したり付けたり労力が大変なので一日中付けているそうな。次にマサセッツ工科大学(MIT)、初代研究所長をした利根博士の研究棟や大学正門前で施設の由来やら説明を受けた。続いてハーバード大学を訪れた。
引切なしに観光客が訪れていた。校内に入り由緒ある建物やら記念碑、その他行事などガイドさんの説明に耳を傾けている最中にも可愛らしいリスが足元に
。このガイドさん一番良く勉強している、恐らく自分で文献など調べているのであろう。最後はハーバード大学生協前で自由行動、この大学のロゴが入った製品が一階から三階までギッシリ商魂逞しい限り流石“ハーバード大学”。その後は20分程離れた森と湖に囲まれた郊外のニュトンのホテルで最後の宿泊。夕食は円卓が三つ。ツアー参加者が分かて座ることになったが最後の晩餐、
自然と打ち解けあい笑いや会話が絶えない親しく成る頃お別れがやってくるツーア旅行の宿命かも。意外な事に東部アメリカ4都市押し並べてホテルにはアルコール類の自販機は一切無かった。何か条例で規制があるのかも知れない。酒飲み旅行者にとっては不満タラタラ何とかして欲しいものである。今宵のホテル初めて冷蔵庫付、然しながら期待していた酒類はおろか何も入って居なかった。
六日目(10/09-火): せわしく動き回った五日間今日はゆったり気分でホテル出発は9:40分、従って朝食は8:00と超遅め、その分起床は今までにないゆっくりした時間で目覚めた。昨晩のうちあらかた旅行カバンには詰め込んでいたが今朝は最終でバランスよく収納した。ツアー旅行は最終日に満足するホテル、食事、アメニティー等最高な物とサービスの提供を受けるが今回もそのパターンで最高の配慮に思えた。ホテルを後に30分弱でボストン空港に到着、
搭乗チェックインを済ませいよいよセキュリティーチェック、X線人体透視で丸裸、いよいよここまで来たものである。このチェックが終わり免税店、搭乗待合室に入れたのが11:40過ぎ、女房とお土産など見ながら硬貨の処分で安物雑貨を購入。残りの時間は待合室の椅子で搭乗迄ナンプレをして過ごした。13:10定刻通りJL0007便は我々を乗せて帰国の徒に。機上では様々なアメニティーが用意されているので早速邦画アメニティーを立て続けに二本観てしまった(ホタル/ヒカリ、スープ―生まれ変わりの物語)。その後はエコノミー症候群を避けるため、定期的に席を立ったり、ナンプレの問題集等読みながら時間を過ごす。
七日目(10/10-水): 15:50分、時差13時間を乗り越えて、成田空港に着陸、楽しかった旅行の最終エンディング場所である。一睡もしていないので頭は若干朦朧としているが元気である。荷物を受け取駐車場の向かいの依頼電話行った。待合場所には既に4人の人が既に待っており我々も同行、駐車場は直ぐ出せる状態になっておりそのまま帰宅の途に。途中一部渋滞個所があったが順調に走行し言えの近くのスーパーでおつまみ等購入し18:30過ぎには我が家に到着した。長いようで短い旅行であった。