スターアニスの 『大和路 里の光彩』

アーカイブ中心の風景写真、趣味の書・刻字など・・いろいろと楽しんでおります。

明日香の里を見下ろして

2007-08-14 13:38:20 | 出来事
腰の調子もかなり良くなってきた。
今朝は、車で20分ほどの「明日香の里」が見下ろせる「明日香村・冬野」という山の中へ。

というのは、私の好きな詩書画家・榊莫山さんの「莫山書話」に載っていた冬野地区にある「良助親王冬野墓」の石標を見るためである。
莫山さんが、ご自分の著書「野の書」発刊のあとでこの石標の楷書文字の美しさに気が付かれたようで、「野の書」には載っていないが「知っていれば、のせないはずがない。」といわれており、この文字について次のように記されている。

「来てよかった--と思ったのは、淡い苔におおわれた石の文字を見つめたときだった。その字は、かって見たこともないほどの清涼な楷書で、いくらか興奮をおさえてその清涼を見すえていた。」と。

そんなに莫山さんが気に入られた文字を見たくなったのだ。

あの有名な「石舞台」を通り越し、東の山に向かい、細川地区にあった「上畑→」という小さな看板から右手の山道に入る。
鬱蒼とした木々のトンネルを何度もくぐり、ウバユリや藤の花を見ながらどんどん登る。明日香村クリーンセンター前を通り、行き止まりの手前にその墓はあった。ちょうど、桜井市の多武峰・談山神社の西側にあたり、あと800m進むと「多武峰」であるとの標識があった。

小さな墓で、こんもりとした木々に覆われている。「亀山天皇の皇子」がこの墓の主「良助親王」だ。亀山天皇や良助さんのことは全く知らない。そのうち勉強することにしょう。
何で、このような山奥のところに・・・と思うが・・・。
観光地化して綺麗になる明日香は、ここでしか昔の「明日香の里」に遭えないのかもしれない。そんな静かで凛とした中に佇んでいた。

石標は、淡い苔がつき、文字もハッキリ読み取れる。
早朝の6時。周りは清涼。まだ陽も差し込んでいない。
この場所に、この墓に、この文字がピッタリあっているのかもしれない。
やはり、感慨深いものがある。文字を指でなぞりながら、しばしその場に佇んでいた。

この冬野地区から降りてきたところに「上畑」という地区があって、この里のお寺である「高山寺」に、文人・小説家 五味康祐さんが居た寺に寄ってみた。
これも莫山さんの本の中に出ていたからである。
「名古屋で車の事故にあい、五味はひっそりと、ここ明日香は上畑の山寺へやってきて、しばらく小説をかいていた。」という寺だ。

無住の寺と記されていたが、今は誰かが住まれているようである。庭に車が停めてあり生活感が漂っており、縁側には昨晩、宴会された跡が伺えた。
五味さんが一升瓶を持って出てきたりして・・・と思うような縁側であった。
板塀に取り囲まれた古木の「百日紅(さるすべり)」が、無残にも枝が朽ち、今にも倒れてしまいそうで・・・もう少し、手入れをすればいいのに・・・可哀相な気がした。あの世で、五味さんが嘆いているかも・・。

ここの本堂に五味康祐さんが座り、何の小説を書いていたのだろうか?想像するだけでも面白いものだ。
この里には6~7軒の民家があった。五味さんのことを誰かに聞こうとしたが、早朝のためか誰も出てこない。見かけない。ただ、お盆であるためかお経を唱える鉦の音だけが聞こえていた。

この山里を登ってくるとき、「明日香の里」が一望できるポイントが何箇所かあった。
冬野と上畑の中間くらいの曲がり角が、絶好のポイントだ。

左から金剛山、葛城山、二上山、信貴山、生駒山をバックにして、右手前には畝傍山(199m)、香具山(152m)、耳成山(140m)の大和三山が点々と見える。素晴らしい眺めだ。
ふもとの明日香の里は、熱帯夜が明け朝露で涼しさをもらったところだ。 まだ、空の色は濁っていない。
カメラフレームの中に、緑色の田圃と点々とした丘陵と森、白い民家の屋根。そして左右に一直線に伸びた京奈和自動車道路が一昔前の絵に加わったのだ。
この場所から二上山あたりに落ちる夕陽を撮りたいものだ。


明日香村・冬野にある「良助親王冬野墓」。


榊莫山さんがほれ込んだ石標に彫られた楷書の文字。文字を指でなぞってみると・・・・・。なるほど、なるほど・・・・。


五味康祐さんが住んでいたという「高山寺」。サルスベリの古木があったが、花は無く、なぜか痛々しかった。


境内に車が停めてあり生活感が漂っていた。今にも、ヒゲ面の五味さんが出てこられるのでは・・という雰囲気で・・・。


大和三山が一望できる絶好の撮影ポイントがいくつかある。

左の奥には葛城山、そして二上山。明日香の里が広がる。

右中央から左に向かって伸びる白い線が、京奈和自動車道路なのだ。
今までの風景も変わりつつある。



4 コメント

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Unknown (よりりん)
2007-08-14 16:19:29
素敵な紹介ありがとうございます。
明日香から多武峰にいたるところに、そんなお墓とお寺があったのですね。
腰の調子もよくなってこられたようで、よかったですが、細川から歩いて登られたんですか?
無理なさらないようにしてくださいネ。
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Unknown (なりちゃんじいじ)
2007-08-14 22:51:12
大和路は歴史の宝庫、文士がお寺に逗留し、書をしたためたなどはたくさんあるのでしょうネ
名所旧跡めぐりを計画している様子ですが腰と相談しながら実行してください
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Unknown (のび太)
2007-08-15 07:47:50
古代国家発祥の地と云われる明日香の里に、思いを馳せながら拝見させて貰っています。
相当以前に近くを訪れたことがあるものゝ、ほとんど記憶が薄れ・・・機会があれば、再度、歴史を肌で感じたいものです。 画像編集・・・書き込んでおきましたので、お暇なときでもテストして見て下さい。
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Unknown (ヒキノ)
2007-08-16 09:45:12
いい写真ですね。石舞台には行きましたが奥の方はこんな風景だろうと想像していました。絶好の写真日和ですね。
莫山さんの書は飄々とした感じが好きです。
良助親王のことウエブで見ました。亀山天皇の何十人かいる親王の一人。あの当時は奥さんが多かったのですね。
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