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長い間、南河内と南大和において「天誅組」の足跡を追いかけておりましたが、やっと、一段落しました。
訪ねたところは、大阪府富田林市、河内長野市、南河内郡千早赤阪村、奈良県高市郡高取町、五條市、下市町、天川村、十津川村、吉野郡上北山村、川上村、東吉野村など・・・・。
これらの地を訪ね、主題となる写真を撮るのですが、それでもその近くに珍しい光景やモノに出会うこととなり、思わずカメラを向けることとなりました。
その時撮ったいくつかを紹介致します。
<動かぬ蒸気機関車>
まずは、五條史跡公園にある五條代官所長屋門を訪ねた時、門の前に真っ黒な物体があって・・・最初は??・・・よく見るとホンモノの蒸気機関車。
何で、こんなところに置いてあるの?
長屋門を撮るのに邪魔になって・・・なんて、言いません。
▲8620形 蒸気機関車「金剛・ハロー号」
この機関車の概要が記されていました。
和歌山線で活躍し、雄大な金剛山麓を走り続け、そのたくましい姿と86形の愛称を表すため『金剛・ハロー号』と名づけられたいう。
兵庫県の川崎車両で大正14年1月に製作、2月から使用開始。製造費は618万円・・・今日の貨幣価値では幾らになるのかなぁ。
ここに到るまでに地球を64.6周走ったことになるそうで、これは多いのか少ないのか・・・?
このスポーク働輪は今でも国鉄のシンボルとして帽章に、また制服の釦に刻まれているそうです。
8620形の元祖8620号(1号機)は昭和37年10月東京青梅公園に当時のままの姿で保存。ラストナンバーは88651号機であり、この78675号機は616輌目に製造されたものであるという。
蒸気機関車の歴史は、明治5年(1872年)に新橋~横浜間を走ったイギリス製のC150型からはじまり、昭和51年(1976年)までの約100年間、日本全国を走り回った重厚で力強い雄姿が、静かに佇んでおりました。
あの黒い煙をなびかせる姿、車体を包む白い蒸気、ピーッという汽笛の音、石炭を燃やす匂い・・・遠い昔を思い出しました。
▲今にも走り出しそうで・・・。
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<o:p><幻の陸橋></o:p>
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<o:p>同じ五條市の国道24号線をまたぐようにあるのが「五新鉄道跡」。</o:p>
<o:p>大正時代の中頃、五條を起点に十津川沿いに線路を敷き、新宮までの「五新鉄道」の構想が生まれました。</o:p>
<o:p>昭和に入って建設が始まったものの、太平洋戦争をはさみ、戦後も工事は続きましたが、自動車の普及で途中で中止。</o:p>
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<o:p>一部の線路用地は、バス専用道路としてはいるが、このような陸橋が使われずに残っている。この橋の先端は吉野川の手前まで切断している。
確か、大塔村の天辻トンネル自動車道の下にも鉄道トンネルが掘られていたはずだ。</o:p>
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▲国道24号線を跨いでいる、幻の「五新鉄道」の陸橋。
カッコいいですね。金沢にも動かないのがあり、子供が小さい時、乗って遊んだことがあります。
動く蒸気機関車、一度撮りたいです。