今日、4月22日が誕生日で、72歳になられた東京国際大学野球部の古葉竹識監督。広島の監督として、1975年に球団史上初の優勝(この年はリーグ優勝)その後、監督として3度の日本一に輝いた。きっと20代後半以上の方は、強い広島の監督といえば古葉さん!と思うだろう。
22歳の私は野球が大好きだから知っているが、同年代の友達は知らないという人も多い。大学の友達の中には「お父さんが、すごいな!って言ってたよ。」という言葉も聞かれた。そんな著名な監督が東京国際大の野球部の監督に就任したということで、試合には毎回"古葉ファン"が駆け付けている。
学生記者の私は可能な時にはそんな"古葉さんファン"に話を聞いてこのブログでアップしていこうと思う。(と言っても、国際大の試合の時は、試合速報をアップするので手一杯である為、試合後などになるので、どれくらい続けられるかわからない。)
とりあえず、昨日の月曜日には素晴らしい収穫があったので、そのことについて書こうと思う。
佐竹さんという60代の男性、私との最初の出会いは土曜日である。その時のブログhttp://blog.goo.ne.jp/sukky-masa2/e/9219e0786819b3865534eb779aa0d5a4にも書いたが、広島出身の佐竹さんは大の広島カープファン。初優勝のときのラジオ放送を録音テープは今も持っているという。
そして昨日の東京国際大の試合中、当時発売されていた野球雑誌を持ってきていた佐竹さんは私に見せてくれた。
「試合の後にサインしてもらえるかなぁ。」と私に尋ねてきたので、
「大丈夫ですよ!毎試合してますから!」と答えた。すると、
「じゃ、また後で。」と言って、少し離れた自分の席に戻っていった。
試合は惜しくも負けてしまった。その時、ふと思った。
私が取材を開始してから負けたのは始めてだ。負けた日の監督も握手やサインに応じるのだろうか。私の取材も出来るだろうか。と。
しかし、そんな心配は無用だった。
スタンドから外に出ると、まず隆明コーチ(古葉監督の三男で、助監督)が私の目の前に現れた「おぉ!」と月曜日にもかかわらず球場へ行った私に驚いた様子。
「こんにちは。惜しかったですね。僕が取材しに来て初めて負けちゃいましたよ。」と言うと、「そうかぁ。まぁこういう日もあるよ。」と気さくに答えてくれた。
次に監督を探すと、すでに佐竹さんが持ってきた雑誌を監督に見せていた。
その時の写真がこちら。
古葉監督「俺にもこういう若い頃があったんだよ」と言いながら、雑誌を部員に見せる。興味津津の部員の表情がイイね。
サインをした雑誌の表紙(若かりし頃の古葉監督(44歳)・28年前)
その後、創価大vs高千穂大の試合を佐竹さんと一緒に観戦した。
「監督、私の地元知ってましたよ。広島の中でも、かなり山の方なんだけどね。」と、嬉しさいっぱいという感じだった。
広島出身の佐竹さんは大学から東京に出てきて、今は岩槻球場の近くに住んでいる。仕事を退職した後は、スポーツ観戦(特に野球観戦)と、孫の世話が楽しみだという。家から近い場所に高校野球の予選や大学野球をするグラウンドがあって、本当にラッキーだと喜んでいた。古葉監督の就任よりずっと前から東京国際大の野球を観ている佐竹さんには、TIU野球の"違い"がすぐに感じられたようだ。「これからもっと強くなっていくだろうね。」と語っていた。
その後、広島カープの話から、埼玉の高校野球、最後には私のオレゴンでの留学話まで、試合を見ながらも話に夢中だった。
創価大の試合が終わると、歩いて駅まで行くなら車で途中まで送ってあげるよ。と嬉しいお言葉。その言葉に甘えて、また車中も野球話で盛り上がった。また、どこかのスタジアムで会うことを約束して、帰りの電車に乗り込んだ。
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22歳の私は野球が大好きだから知っているが、同年代の友達は知らないという人も多い。大学の友達の中には「お父さんが、すごいな!って言ってたよ。」という言葉も聞かれた。そんな著名な監督が東京国際大の野球部の監督に就任したということで、試合には毎回"古葉ファン"が駆け付けている。
学生記者の私は可能な時にはそんな"古葉さんファン"に話を聞いてこのブログでアップしていこうと思う。(と言っても、国際大の試合の時は、試合速報をアップするので手一杯である為、試合後などになるので、どれくらい続けられるかわからない。)
とりあえず、昨日の月曜日には素晴らしい収穫があったので、そのことについて書こうと思う。
佐竹さんという60代の男性、私との最初の出会いは土曜日である。その時のブログhttp://blog.goo.ne.jp/sukky-masa2/e/9219e0786819b3865534eb779aa0d5a4にも書いたが、広島出身の佐竹さんは大の広島カープファン。初優勝のときのラジオ放送を録音テープは今も持っているという。
そして昨日の東京国際大の試合中、当時発売されていた野球雑誌を持ってきていた佐竹さんは私に見せてくれた。
「試合の後にサインしてもらえるかなぁ。」と私に尋ねてきたので、
「大丈夫ですよ!毎試合してますから!」と答えた。すると、
「じゃ、また後で。」と言って、少し離れた自分の席に戻っていった。
試合は惜しくも負けてしまった。その時、ふと思った。
私が取材を開始してから負けたのは始めてだ。負けた日の監督も握手やサインに応じるのだろうか。私の取材も出来るだろうか。と。
しかし、そんな心配は無用だった。
スタンドから外に出ると、まず隆明コーチ(古葉監督の三男で、助監督)が私の目の前に現れた「おぉ!」と月曜日にもかかわらず球場へ行った私に驚いた様子。
「こんにちは。惜しかったですね。僕が取材しに来て初めて負けちゃいましたよ。」と言うと、「そうかぁ。まぁこういう日もあるよ。」と気さくに答えてくれた。
次に監督を探すと、すでに佐竹さんが持ってきた雑誌を監督に見せていた。
その時の写真がこちら。
古葉監督「俺にもこういう若い頃があったんだよ」と言いながら、雑誌を部員に見せる。興味津津の部員の表情がイイね。
サインをした雑誌の表紙(若かりし頃の古葉監督(44歳)・28年前)
その後、創価大vs高千穂大の試合を佐竹さんと一緒に観戦した。
「監督、私の地元知ってましたよ。広島の中でも、かなり山の方なんだけどね。」と、嬉しさいっぱいという感じだった。
広島出身の佐竹さんは大学から東京に出てきて、今は岩槻球場の近くに住んでいる。仕事を退職した後は、スポーツ観戦(特に野球観戦)と、孫の世話が楽しみだという。家から近い場所に高校野球の予選や大学野球をするグラウンドがあって、本当にラッキーだと喜んでいた。古葉監督の就任よりずっと前から東京国際大の野球を観ている佐竹さんには、TIU野球の"違い"がすぐに感じられたようだ。「これからもっと強くなっていくだろうね。」と語っていた。
その後、広島カープの話から、埼玉の高校野球、最後には私のオレゴンでの留学話まで、試合を見ながらも話に夢中だった。
創価大の試合が終わると、歩いて駅まで行くなら車で途中まで送ってあげるよ。と嬉しいお言葉。その言葉に甘えて、また車中も野球話で盛り上がった。また、どこかのスタジアムで会うことを約束して、帰りの電車に乗り込んだ。
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