むさしの墨友会

現代書道の父、比田井天来先生の門流である桑原翆邦先生の門人の吉野大巨先生を師として、書を愛好する仲間の会です。

ルーツを探る(萬鶴)

2011-06-03 | 書道

アップするのが、ちょっと空いてしまいました。

何か題材を探してと思って・・・。

これにしました。

それは私のルーツです。

 

 

いろいろと調べてみると、資料で分かる範囲では慶應2年にさかのぼります。

慶應2年は1866年ですので、145年前の話しになります。

当時は幕末で、薩長連合の連盟成立ですとか、寺田屋騒動(坂本竜馬襲撃事件)や高杉晋作が活躍した時代です。

天皇は孝明天皇 (在位:弘化3年2月13日~慶応2年12月25日) 

将軍は徳川家茂[14代] (在位:安政5年12月1日~慶応2年8月20日) 
     徳川慶喜[15代] (在位:慶応2年12月5日~慶応3年12月12日) 

 

 

 

我が家の家宝として扱っている、日蓮宗の曼荼羅が三幅が仏壇の頭上に掲げられています。

 

 

この中で、一番古いものが慶応二年と書かれています。

その時の当主は“三輪市右衛門です。

菩提寺の住職に聞くと、日蓮宗の本山でもある身延山久遠寺の五重塔建立の際に信仰厚く多額の寄付をしたので、この曼荼羅を承ったとのことです。

言ってみれば感謝の意を表すものですが、なかなか曼荼羅を書くことは無いようです。

 

へぇ~です。

 

 

凄い人が先祖だたようです。

そこで疑問が発生します。

幕末混乱の時代にどうやって、寄付金を届けたかです。

小切手などはありませんし、送金するような手段は現物を持って行くしかないと思います。

住職の推定では、それなりの護衛が付いて運んだんだろうとしています。

 

 

では私のルーツは調べによりますと、武家でなく公家だと聞いています。

そして、江戸城の近くに住んでいたとか?

菩提寺は四谷ですので、その辺かもしれません。

過去帳を調べてみると、この市右衛門さんから六代目になるのでしょう。

 

先々代くらいまでは、それなりの生活だったようです。

(これは現在進行形ではありません。過去形です)

先代の何人かの戒名には「院殿号」が付いていました。

私の号は「萬鶴」で十分です。

しかし、今の私の生活環境を見ると、祖先はきっと嘆いていることでしょうね。

 

今回のアップは書道とは縁の無いものだと思います。

しかし、自分のルーツを探ることも楽しいものですね。

 

萬鶴