五輪の柔道の試合を見て感じたことを書く。
小生も中学・高校と柔道をやっていたので、多少の心得は
あるものの近年の柔道は、ルールもさることながら柔道その
ものの有り様も変わってしまった気がする。
かつては一本勝ちか技ありで勝敗が決せられていたけれど、
今は、如何にしてポイントを稼ぐかという、言わば点取り
ゲームに変質してしまい、道着を着たレスリングと化し、柔
道本来の醍醐味が消え失せてしまった。
そして何より気になるのは、礼(お辞儀)の仕方である。
小生が柔道を習っていた頃は、先ずは、礼の仕方から教わった。
礼をする時は、上体を約30度傾けると同時に両手の平を体側
から太ももに滑らせるようにしたものである。
礼がしっかり出来る人を見て、子ども心に美しく格好が良いと
思ったものである。
試合が終わった後は、勝者も敗者も相手を尊敬の念を持って敬
礼をしたものである。
今の五輪の柔道の試合を見ていると、まともに敬礼(立礼)が
できている選手はおらず、辛うじて日本選手ぐらいであろうか。
最初に柔道を海外に伝えた人は、相手を打ち負かす勝負のこと
よりも先ず、この敬礼の大切さとその意味を伝えなかったのだろ
うか。勝負に勝ったとしても、負けた相手に対する惻隠の情の大
切さを。それが、柔道の神髄だと。
これは、何も日本だけのことではなく、宗教にも関係なく弱者や
敗者対する思いやりは、万国共通のものであるはず。
勝者は、黙っていても讃えられるだろう。しかし敗者の心境に
思いを致す心の余裕を持つことが真の武道家ではないだろうか。
ましてや、投げ飛ばした相手に馬乗りになってのガッツポーズな
どはもっての他である。畳から下りてから喜べば良い話である。
小生も中学・高校と柔道をやっていたので、多少の心得は
あるものの近年の柔道は、ルールもさることながら柔道その
ものの有り様も変わってしまった気がする。
かつては一本勝ちか技ありで勝敗が決せられていたけれど、
今は、如何にしてポイントを稼ぐかという、言わば点取り
ゲームに変質してしまい、道着を着たレスリングと化し、柔
道本来の醍醐味が消え失せてしまった。
そして何より気になるのは、礼(お辞儀)の仕方である。
小生が柔道を習っていた頃は、先ずは、礼の仕方から教わった。
礼をする時は、上体を約30度傾けると同時に両手の平を体側
から太ももに滑らせるようにしたものである。
礼がしっかり出来る人を見て、子ども心に美しく格好が良いと
思ったものである。
試合が終わった後は、勝者も敗者も相手を尊敬の念を持って敬
礼をしたものである。
今の五輪の柔道の試合を見ていると、まともに敬礼(立礼)が
できている選手はおらず、辛うじて日本選手ぐらいであろうか。
最初に柔道を海外に伝えた人は、相手を打ち負かす勝負のこと
よりも先ず、この敬礼の大切さとその意味を伝えなかったのだろ
うか。勝負に勝ったとしても、負けた相手に対する惻隠の情の大
切さを。それが、柔道の神髄だと。
これは、何も日本だけのことではなく、宗教にも関係なく弱者や
敗者対する思いやりは、万国共通のものであるはず。
勝者は、黙っていても讃えられるだろう。しかし敗者の心境に
思いを致す心の余裕を持つことが真の武道家ではないだろうか。
ましてや、投げ飛ばした相手に馬乗りになってのガッツポーズな
どはもっての他である。畳から下りてから喜べば良い話である。