山本五十六長官の国葬とブギウギ
先週のブギウギ、山本長官の国葬からスタートしました。
むのたけじ氏は、朝日新聞記者として国葬の記事を書いていたそうです。
以前このブログで、「一つの歴史の体験のしめくくりをきちんとしなければ、同じような過失が、同じ手順で繰り返される」という、むのたけじ氏の言葉を取り上げました。
「昨日まで米英撃滅を書きまくった同じペンで、今日はその支配者に追随することはペンの良心が許さない」として、朝日新聞社を退社したそうです。
戦時中に限らず、信じる道を強制的に他人に歩ませようとする人は、現在でもいるかと思います。
戦後、価値観が一変したとき、その責めを負わずに手のひらを返して、主導的・指導的ポジションに返り咲いた人達もいたように、実は精神的に脆い人も中にはいるのかなと。(井上成美大将のような生き方は普通ではできない)
(手のひらを返すと言えば、芸能報道のあり方も同様)
人間が考える価値。何が良くて、悪いのか、そういうものは、その時々で変わってしまう。
先週のブギウギ、山本長官の国葬からスタートしました。
むのたけじ氏は、朝日新聞記者として国葬の記事を書いていたそうです。
以前このブログで、「一つの歴史の体験のしめくくりをきちんとしなければ、同じような過失が、同じ手順で繰り返される」という、むのたけじ氏の言葉を取り上げました。
「昨日まで米英撃滅を書きまくった同じペンで、今日はその支配者に追随することはペンの良心が許さない」として、朝日新聞社を退社したそうです。
戦時中に限らず、信じる道を強制的に他人に歩ませようとする人は、現在でもいるかと思います。
戦後、価値観が一変したとき、その責めを負わずに手のひらを返して、主導的・指導的ポジションに返り咲いた人達もいたように、実は精神的に脆い人も中にはいるのかなと。(井上成美大将のような生き方は普通ではできない)
(手のひらを返すと言えば、芸能報道のあり方も同様)
人間が考える価値。何が良くて、悪いのか、そういうものは、その時々で変わってしまう。