日中戦争(昭和12年)も5年目に入った昭和16年12月8日、太平洋戦争が始まる。
「そもそも、始めてはならない戦争だった」と書いたが、
それは、日中戦争の戦死者をみてもよくわる。
豊橋にあった歩兵第十八連隊も動員下令され、宇品を出港した。
9月の上陸以来、1ヶ月あまり間の戦闘で、大隊長が戦死(本部全滅)したり、4人いた中隊長の内3名が戦死した大隊があった。2ヵ月で編成当初の200名ほどから150名に近い戦死者を出した第11中隊もあった(補充により戦闘力は回復したが)。
※8月29日、歩兵第六連隊(名古屋)の連隊長は戦死している。
昭和16年9月から10月にかけておこなわれた第一次長沙作戦での損害も大きく、中隊長6名が戦死、大中隊長5人が負傷している。
これは南方の島での戦いではない。
中国軍の頑強な抵抗、日本軍の戦い方、指揮官先頭、増派を控えていた事などにも原因はあると思うが、派遣軍の数に対して、死傷者数、死傷率が高い。
一個連隊の一部分の例だけであるが、
このようななかで、太平洋戦争へ突入するのである。
「そもそも、始めてはならない戦争だった」と書いたが、
それは、日中戦争の戦死者をみてもよくわる。
豊橋にあった歩兵第十八連隊も動員下令され、宇品を出港した。
9月の上陸以来、1ヶ月あまり間の戦闘で、大隊長が戦死(本部全滅)したり、4人いた中隊長の内3名が戦死した大隊があった。2ヵ月で編成当初の200名ほどから150名に近い戦死者を出した第11中隊もあった(補充により戦闘力は回復したが)。
※8月29日、歩兵第六連隊(名古屋)の連隊長は戦死している。
昭和16年9月から10月にかけておこなわれた第一次長沙作戦での損害も大きく、中隊長6名が戦死、大中隊長5人が負傷している。
これは南方の島での戦いではない。
中国軍の頑強な抵抗、日本軍の戦い方、指揮官先頭、増派を控えていた事などにも原因はあると思うが、派遣軍の数に対して、死傷者数、死傷率が高い。
一個連隊の一部分の例だけであるが、
このようななかで、太平洋戦争へ突入するのである。