“われ人に勝つ道を知らず。われに勝つ道を知る。”
“平常心をもって一切のことをなす人、これを名人というなり。”
“兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也。
一人の悪をころして、万人をいかすはかりごと也。”
“小才は縁に出会って縁に気付かず、中才は縁に気付いて縁を生かせず、
大才は袖すり会った縁をも生かす。”
“病とは、心の病なり。心の病とは、心のそこそこにとどまるを云うなり”
『こうしようとひとすじに思う心こそ、人が誰しも抱える病である。
この病を必ず治そうというこだわりもまた病である。
自然体でいること、それが剣の道にかなう、本当にこの病を直すということなのである。』
兵法家伝書
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
柳生宗矩は、徳川将軍秀忠・家光の兵法師範であった。
50歳を過ぎてようやくこの道の滋味を得た、という宗矩は、以後次々と伝書を書きついだ。
寛永9年、行政官僚への転進を機に、新陰流の技法・理論を集大成して『兵法家伝書』を完成する。
十余年後に書かれた『五輪書』とともに、近世武道書の二大巨峰といわれる。
【目次】(「BOOK」データベースより)
兵法家伝書(進履橋/殺人刀・上/活人剣・下)/新陰流兵法目録事