あせらず、おごらず、怠けず、怒らず。
毎日同じようで、毎日が確実に違う。
同じことをしても、やはり全く同じということはない。
禅問答が思い浮かぶ。
『一切唯心造』
言ってみれば、清も濁もすべては心がつくりだすものである。
好きな話がある。
時代は江戸時代。
ある高僧が若い武士に“地獄の有無”を問われた。
すると「武士のくせに、いまさら地獄の有無を問うとはなんたること!
この不忠の臣!腰抜け侍めっ!!」
と若い武士を罵倒し、ののしった。
あまりの屈辱に耐え切れず武士が刀に手をかけ、
鬼の形相で今にも斬りかかろうとした瞬間に、
その高僧は「そこが地獄よ!」と一喝する。
我に返った武士が、
「地獄の所在、しかとわかりました!」と平伏する。
高僧はにっこり笑い、「そこが極楽よ」と言った。
地獄も極楽も心の中にあり、心がつくりだすもの。
すべては心のあらわれである。
『一切唯心造』
寺に入らなくても修行は続く。