若き日は 明日を夢見る 案山子(かかし)かな その先にある 死は忘れても・・・ 一撮
30歳の時、坐禅を始め…やがて道場を運営する役を与えられ、開板という木版を朝晩叩いたものだ・・・
その木版(30x50cm)には『生死事大・無常迅速・光陰可惜・時不待人』と書かれていて、その真ん中あたりを
木槌で決まったリズムを叩いて早朝と夕方、修行の開始と終了を知らせる合図とする。
円覚寺の森に木版を叩く音が木霊する・・・その音を私は30年後の『今』味わっているが、その時はリズムを間違わないように
集中していたから、それどころではなかった。そこで修行を積み重ねていたのに『生死事大』は眼に入らない、案山子であった。
禅道場入口には『脚下照顧』の木札があって、一般的には『履物を揃えて!』などという解説がなされているが、
もっと深読みされる言葉であったこともその時はまったく気づかなかった。
つまりところは『生死事大』に至る・・・それが修行の要点であったのだ。
これにできるだけ早い時期に気づく人生、それはやっぱり大切なことではないだろうか。
自分に対して、他人に対して 思いやりのある生き方の如何(いかん)は、詰まるところこの『生死事大』にある。
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