昨日、どなたかのブログを拝見していると、坂本龍一氏が3月28日に亡くなられた事を知らせていた。
つい先日、パリへ小旅行してジュンク堂書店で彼の自伝『音楽は自由にする』を買って読んだことで、私はブログに彼の事を書いた。
タイトルの『観音への旅立ち』は、彼の自伝を読んだ私の印象を記したもの、音楽家としての彼の生き様を表現したつもりであって
彼の死をイメージしたものでは全くなかった・・・のに、今あらためてこのタイトルを観た時、まさに観音へと旅立ってしまった事を知るのみ。
『観音』というものが、『生死』が発する琴線の『音色』であれば、『生と死』が紙一重などという表現が愚かしいと思う次元で密着していると観じた時
人の死は、私にとって『観音』を形成するもう一方への『御隠れ』という表現が適切であると、思い始めている。
身近な人の死を知った時、その人が真の意味で『身近』になった・・・という感覚は誰しも経験していると思う。
私達日本人が無意識に『お陰様で・・・』と感謝の意を表すのは、自己の『生』に対する有相無相による
慈悲と智慧の『肯定』の叫び(観音)に支えられていることを知っているからであろう。
坂本龍一氏は、いま生死を超えた『観音』の世界を存分に遊戯三昧しているだろう。
世界広しといえども、写真で音楽家である『坂本龍一賞』を受賞した者はそう多くないであろうの図
(前列右から2番目が馬骨で、彼も私もともに32歳であった)
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