禅修行、という形で仏縁が結ばれる29歳まで、私はいくらか誇らしげに『無宗教人』なることを自覚していた時期があった。
仏教に対して無関心であり、ときおり耳にする『輪廻転生』などという言葉を聞くと、異物に対する過度な免疫反応の如く
仏教的なる陰気で、安っぽい倫理道徳論を聞くようで、私は忌み嫌ったものだ。
3週間ほど前、Netflixでアメリカのストーカー犯罪で囚人になっている8人のインタビューで始まるドキュメンタリー作品を観たが
その感想のようなものが今頃出てきたようなのだ。
このドキュメントを観た直後、とにかく彼等全員が自分勝手な性格で本当に救いようがない…
というような感想の影に隠れてチラホラ観えていたのが、昔修行中耳にタコができるほど唱えていたお経『白隠禅師坐禅和讃』の
『六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり 闇路に闇路を踏みそえて いつか生死を離るべき それ摩訶衍の禅定は 称嘆するにあまりあり・・・』
の一節で、その意味は『修羅・畜生・餓鬼・地獄』それに『人間・天上』をあわせた六道輪廻のことであった・・・と今になって気付いたようなのだ。
三十年来まったく唱えていないのに、さすが『呪文』。時代を超えてよみがえる我が『Chat 観自在』あるいは『Chat 観世音』か。
昔あれほど忌み嫌っていた『修羅・畜生・餓鬼・地獄』という言葉だが、これらストーカー犯罪者の心境を表すのにこれ以上ピッタリする
言葉はないだろう…と私は思ったのだ。
インタビューを観ると彼等は一応に『自分はストーカーではない』・・・と、はじめは皆思い込んでいる。自分がしたことを
一連の流れでトータルに見せられ、説明を受けてようやく気がつく者もいればそうでない者もいる・・・といった状態であった。
この『六道輪廻』というものは、じつは娑婆世界におけるその時々の、私の心境状態そのものであった・・・ということが良くわかる。
頭に血が登って自分を見失った時、私は自分が『修羅・畜生・餓鬼・地獄』の順にエスカレーとしていった経験がこれまで何度あったであろうか?
これらの輪廻から、観世音菩薩が私達を救済するのは『観音』という『本来の自己』の現在位置を示す『GPS受発信音』を発してくれているから
に他ならない。・・・そんなことをこの『ドキュメンタリー』は私に教え、あらためて仏教の『六道輪廻』について考えが至ったように思う。
昨日、義父が見せてくれた3,4歳ぐらいの相方ニコル(左)と姉のオモチャのバイオリン演奏会の図
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