今、私は『在家禅のススメ』秋月龍珉著…を読んでいて。(一度目が40歳、二度目が58歳、今回69歳で三度目になる)
これまで私は、自分の禅に対する考え方の大半は『鈴木大拙』の影響であろう・・・と思っていたのだが、
今回この本を読んでいて、自分の『考え方』の大半がこの本から来ているように感じて、驚いているところだ。
じつは、鈴木大拙に詳しい人は知っているであろうが、秋月龍珉という人は、鈴木大拙の唯一の『弟子』とも言うべき人
であるので、『秋月禅』を読むことは、当然『スズキ禅』を読むことに等しいわけで、何も驚くことはないのであるが。
その秋月龍珉先生に私は一度会ったことがあった。
それが今思うと、夢のような、自分の頭の中では人が書いたエピソードを読むような不思議な気がする出来事であった。
ニューヨークでの夢に挫折し、ヨーロッパに渡って一年ほどスイスに滞在した後、日本に帰国して本格的に禅の修行をしようと
意気込んでいた私は35歳で、私を禅の道に導いた鍼灸の師、横田観風先生に相談した関係なのであろうか(今はその辺のところが
明瞭ではない)ある日、山田無文老師で有名な禅寺、神戸の祥福寺(当時の老師は河野太通)で修行を終えたという青年を紹介され
その彼に付いて行った先が今思うと秋月龍珉先生の『即非庵』であった。
人が悪いというか、誰も秋月先生の所に行く…と教えてくれなかったので、心構えというか、そんなものがないまま少人数で
秋月先生の講義を受けている塾生にまぎれて、鈴木大拙著の『Living by Zen 』の講義を聞くことになった。
臨済禅師が弟子の対応の悪さを『乾屎ケツ(糞かき棒)!』と叱咤する有名な一幕を、スーッを来た男性が原文の英語で
読み下しているところに、私がノコノコと入室したのだ。
欧米から帰国したばかりの私の『若気の至り』は相当なもので、『なにをノンビリ乾屎ケツ…なんて言っているんだ!』と内心
その講義自体にわけのわからない憤慨を覚えたことだけが今も鮮明に覚えている。
当時私は鈴木大拙の事をそんなによく知らず、ましてや秋月龍珉と鈴木大拙との関係は全く知らなかったのだから
仕方がなかった…とは言え、今持っている秋月師への尊崇の思いを伝えられず、どころかせっかく出して頂いた和菓子を口に
せずに帰ってきた自分の不遜さと未熟さを甘酸っぱい後悔をもって思い出すのみ。
引越し前から私の部屋に貼り出していた寒山詩の一節 『吾が心 秋月に似たり 碧潭清くして皎潔』の書は先輩に頂いたもの。
自分の部屋がなくなり、貼り出す壁も減って写真のような格好で貼ってある。
秋月龍珉著の『在家禅のすすめ』を読みながら、『秋月』は意外に近くにあったのだ…と今頃気付いた図
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