拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  坐禅と空

2023年12月23日 | 東洋自分なり研究所

  久々に適当なことを言いたい気分。

  娑婆(しゃば=巷(ちまた))では、UFOについて本格的に調査する姿勢を各国政府が見てているようだ

 

  一方、私のように坐禅の『坐』こそ時空を自在に滑空するUFOであると認識している変な禅者もたぶん私一人ではないだろう。

   これまで、何回かその辺のことについて書いている・・・ 2023年3月24日のブログ記事〜『坐』型・UFOの行方

  身近な『UFO』は、己自身の中にこそある・・・と喝破した人々はいたのだ。

 

  その証拠でもないだろうが、何世紀にも前に仏教を究めた祖先たちは、仏法をして『空』などと宣ったが

  坐禅の『坐』が空飛ぶ円盤と思い込んだ単細胞の私からしたら、いずれ『空』に覚醒するのは当たり前のような気もする・・・。

 

  そして案外そんなふうに、『禅』というものを捉えるのも解りやすい『発想』として『あり』ではないだろうか。

  で、その『坐』が空を飛ぶためには『観音力』というパワーが必要であった・・・ということだ。

 

  昔、寺で修行している時、雲水等がいろいろなお経を読むのを聞いていたが、その中で盛んに『念彼観音力』というフレーズが聞こえてきて

  私の愚脳にこびりついていたが、それがどうも『観音経』であったようだ。

  そのように、禅修行というのは後々になって華が咲くように様々な『キーワード』がアチラコチラに仕掛けられている修行システムになっていた。

 

  早朝でかい仏殿内に鳴り響く、大音量の雲水たちの唱経『観音経』を一心に聞いていると、『念彼観音力』の一句が何度も何度も繰り返し繰り返し

  発音されていた。お経の意味など何にも解らないが『念彼観音力』だけは異常な力強さで、私の愚脳に刻印されたのだ。

  もちろん愚脳だけあって、今日の今日までその『念彼観音力』をすっかり忘れていたが、今日になってひょっと愚脳に浮かんだわけだ。

 

  しかし、今、私は『念彼観音力』が何か解る。『彼岸』を想い、『彼岸』に到る『観音力』が私達に備わっていることを。

  その一点を、このお経『観音経』は私に教えたかったのだと・・・。

 

  『UFO』問題で私達の眼は、自分の外の『空』に向けられてしまうが、まずは、自己の内にある『空』にこそ眼を向けましょうよ。

 

          

  『観音様』は坐禅をしない。(仏界の働き蜂的存在) というか、全部『禅』であり『観音』でいるから・・・。

  

 

 



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