扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

人と言うのは・・・

2019年03月12日 00時39分03秒 | 疑問と探究 編
自我に操られ、囚われている。

そして、その自我が強固になればなるほど、全てが盲目となる。


その自我は周りを受け付けようとぜず、私が正しと思い込む。

それを気づかせようとするが、受け入れることもなく、自分が無くなる事を嫌い反発する。

その反発が苦しみを生むことも気づかずに・・・・・


この囚われの人達を見ていると、とても悲しくなる。

なぜ?そこまで囚われているのか?
助言的なことを話しても受け入れの態勢ではないので、無理とは分かっている。

何とか、考えても私にはどうすることもできない。

強制的に変えるとその反動も大きいからである。

与え、見守るだけしかできない。


相手が受け入れる体勢が整えば、変わるであろう。

それを見守るのはとても、苦しい。

私は気づいている。
私の苦しみは気づきの前兆であり、自我との共存である。


だから、私は私の苦しみを受け入れる。


とても、外世の人との関係が遠退いてしまうが・・・・・



とても、活きづらいーーーーこれも私の自我の叫びである。