外世の生活は、とても苦しく制限が多く時の流れによって弱体を余儀なくされる。
その、囚われた世界で「私」は周りばかりを見てそれが現実だと思い込む実際の出来事の本質を思考するのではなく勝手な解釈と勝手な物差しで計り、周りが自分と捉え「本当の自分」を忘れてしまう。
365日休まず仕事をしているA君とB君がいるとしよう-------------------------------勿論同じ仕事である。
周りから見れば、両方とも同じで、心配もするだろうし助言もするだろう。
A君は「休みが取れないんだよ」「やるしかない状況だから仕方ない」「誰も助けてくれない」
などを想いながら仕事をしてる。
反対にB君は、「めっちゃ楽しい」「ワクワクすんぞっ!!」「これをこうして・・・・・( ̄ー ̄)ニヤリ」
両者ともに、勿論、休みがほしいと思っている。
そして、休みが取れるようになったが、ここで両者の反応が違うわけである。
B君は、休みの中でも仕事のことを考えワクワクしているがA君は「どうせ、休み明けは仕事が多くあって…はぁ~」と萎えるだろう。
なぜ、ここまで違うのかは一目瞭然である。
両者の在り方が、周りにあるか、自分にあるかだけの問題である------------------------感情、解釈、時間、思考の全てが違うだけで同じ出来事でも変化してしまう。
ただ、誤解してほしくないのですが、
365日仕事ができるように考え方を変えなさい。
考え方を変えれば、解釈を変えれば今の環境が変わる
と言っているわけではなりません。
会社に勤めている限り、社会に属している限り、外世にいる限り、すべて囚われコミュニケーションのツールは唯一「言葉」「文章」しかない中で自分の主張は言わなければ伝わらないのである。
休みがほしいのであればA君もB君も同じで、言わなければわからないのである。
「観測して初めて現実になる」からなのです。
自分にとって、役に立るもの----------------------------苦が減らせるものは、A君の状態なのか?それともB君の状態なのか?
考えなくても分かると思います。