扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

書けるときに書く。

2015年12月11日 13時31分00秒 | 気づき
「はじめ・・・」にを読んでもらえる とうれしいです。

そして、深く「気づき」を体験したもの合わせて読んでもらえるとうれしいです。 「人生のシステム」
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最近、気づきや学びを書こうかなとblogを開くのだけれども、何故だろう?筆が進まないと言うか浮かばないと言うか。

内側には書きたい事や伝えたい事が沢山あるのに文章に出来ない、誰かに止められているような蓋をされ押さえられているような感じがする。

様は、私のボキャブラリーが貧困差問題って事になるわけで(笑)
あとは、この世での役割(やること)が増え思考が向けれないと決めつけているからかも(笑)

と前置きをして、ひとつ書いてみることに。

前々から私のテーマでもある「死」について、先日、知人の母親が亡くなり「死」を間接的だが感じそして、私も14年前に母を亡くしたことを思いだし想いにふける。

行く側と送る側

「死」とは完全に本人の問題で回りには出来事である。

ちょっと、冷たい感じだがこれは真実である。死に行く人の気持ちや感じる感覚が全く分からないので、ここには触れるべきではないと。
送る人の感覚は私も経験済みでありいくつかアドバイスもした。
ここも、死に行く人や回りは全く関係ない自分自身の問題になってしまうけど、死後に後悔しないように生前にやること

どんなに、親と離れていても喧嘩していても必ず声を聞くこと話すこと。
一昔前は親の死に目と言いますが、私の考えでは(考え方を変えた) 死に目に会えないことより、声を聞けた事の方が幸せを感じれる事もある。

両方だとより良いだろう( ^∀^)

自分自身が「死」を感じる事があるなら、遺族に連絡して声を聞くことをお勧めするし自分もそうするだろう。



と、オチもまとめもない状態で今日はここまで。


皆様が、常に「今」に在りますように。