主人公オスカルは、まだ母親の胎内にいた頃から意志を持ち、産まれるのをやめようかと思っていたと、独白で語る。しかし、両親が「この子が3歳になったらブリキの太鼓を買ってあげよう」と語るのを耳にし、産まれようと決意する。
成長して、ブリキの太鼓を約束通り手に入れたオスカルは、太鼓をたたいて悲鳴をあげると、物を破壊する“ある種の超能力”を発揮するようになる。
両親は共通の男性の友人がいるのだが、母親はこの友人と不倫関係にある。夫はその事実を知ってか知らずか、3人の微妙な関係は長く続いていく。
主人公はそんな関係を知り、自分は大人にならない決意をし、自ら体が成長しない様に止めてしまう。成長しない事に疑問を持たれないように、自ら階段から落下し、その事故が原因で成長できないという理由づけをしたのだった。
特殊な能力を持つ少年の肉体は成長しないけど、大人になっていく波瀾に満ちた奇妙な人生が描かれていく。
この映画の予告を見た時、大人になるのをやめたオスカルの思いと、幼かった自分の誓いが重なった。
小学1年生の頃、日常的に両親の凄まじい喧嘩を目の当たりにしていた。大人って嫌だと思った。
遊園地へ連れて行ってくれる約束を、反古(ほご)にされた事もあった。父にも色々な事情があったのだろうが、当時の自分は約束を破られ、大人はいつも勝手だと思った。
子供心に「絶対にこんな大人に成らないぞ」といつも思っていた。
そんな子供の頃の誓いを私に思い出させた。
子供の頃はよく、近所のお店におやつを買いに行っていた。その日小さな食料品店では、当時人気だった赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」のガムを買った。
ガムの中に、当たり券があるとおそ松くんのバッジがもらえるのだが、毎回はずれてばかりいた。
いつもは当てる気満々で挑むのだが、はずれてばかりだったので、その日はすっかり「どうせ駄目さ」といったあきらめムードで臨んだ。
そんな気持ちがくじの女神様の気を引いたのか、ガムを開けてみると当たり券が入っていた。その時の喜びは筆舌に尽くし難い。
早速お店の人に伝えると、「好きなバッジひとつ取って」と、バッジがついた壁にぶら下がった台紙を指さした。
残念ながら、おそ松くんのメインキャラクターは全てなくなっていた。
残っていたのはサブキャラばかりだったが、その中でも一番好きだった“デカパン”を指差し取ってもらった。
滅多にくじに当たらない自分が、くじを当てた事に興奮していた。
「こんな事もあるんだ」とうれしく思い、「絶対にこのバッジを無くさないでいよう。もし、このバッジを大人になるまで無くさずに持っていたら、私はくだらない喧嘩をしたり、子供との約束をやぶる様な嫌な大人にはなっていないはずだ。」と、私はデカパンのバッジにそんな思いを込め、誓った。
そして、大人になり二児の母になった。
子供達がまだ小学生の時、押入れの整理をしていたら、私の子供時代の小さな宝箱が出て来た。開けてみると中にデカパンのバッジが入っていた。
私は子供達に、デカパンのバッジを見せながら、子供の時にくじで当てた事や、絶対なくさないよう誓った事などを話して聞かせた。そして、過去に誓ったとおり、大人になるまで無くさずに持っていたことを自慢した。
私は汚い大人になっていないか、あの頃と変わらない心を持っているか?心の中で、自問自答した。
子供達に見せた日からさらに15年以上の日々が流れた。
再び先日押し入れの整理をしていて、出てきた例の宝箱を開けた。
私の宝箱の中身はいわゆるガラクタだ。
海に行った時に拾った小鳥のくちばしと何かの骨。
小指の先ほどの大きさの小さな白いサンゴ。
父からもらった、1972年札幌で開催された冬季オリンピックの記念バッジ。
中学校のクラスメートからもらった、きれいな和紙に包まれた親指大の平べったい石。
新しい母から初めてもらったブローチ。
キーホルダーになっている直径2センチ位の花札。取り出すと1枚1枚ちゃんと絵柄の描かれた花札だ。私は小さいものが大好きだった。
そして、デカパンのバッジ…が入っているはずなのに、それがない!えっー、どこにやったんだろう。
子供達に自慢して見せた後、ちゃんと戻し入れたはずなのに。
思い当たるところは全て探したが見つからず。今も、一生懸命探している最中。死ぬまであれを持っていなければ、自分が幼い頃に誓った事が守られない。何としても探し出さねば。
という訳で、今もデカパンの行方を追っているところです。
出てきてちょーだい、デカパーン!