「ああ、髪を切らなきゃなあ」と考えていた。そんな事が頭にあったせいか、髪を切った夢を見た。
夢の中で私は、出来上がったヘアスタイルを鏡に映して眺めているところだった。
驚くほど刈り上げたツーブロック。それはまるで「Uber Eatsで良いんじゃない?」の夏木マリさんの髪型並の短さだった。
こんなに刈り上げちゃって、と一瞬ギョッとしたけれど、よく見るとなかなか似合っているじゃないのと思う私。
でも、いつもと髪質が違う。黒ぐろとした艶があり、ハリのある髪。
襟足の刈り上げた毛は剛毛で、剃り跡が背中近くまで続いていて、胸元には五分に刈りあげたような「胸毛」まであった。私はもはや女性ではなかった。
そんな夢を見たのには、心当たりがあった。前日に読み終えた本のせいだ。
本の題名は長い。
「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。」ここまでが題名。藤森かよこさんの書いた著書だ。
私が最も印象に残った部分は、更年期について書かれていた部分だった。
それは、女性ホルモンのエストロゲンが優位だった時期から、閉経以後は、男性ホルモンのテストステロンが優位になる。それはつまり、人生100年の残りの人生を、女ではあるが“それ以外の何か”として生きることになるのだと。
「それ以外の何か」って…思わず吹き出した。
この言葉が頭に残っていた事が、夢の中で男でも女でもない、ツーブロックに刈り上げた胸毛の私が夢に現れた原因だと思う。
この本の“長いまえがき”の冒頭に、こんな事が書いてある。
「本書の著者は低スペック女子の成れの果てである」さらに「本書の著者はブスで馬鹿で貧乏である。」
こんな事を書いているけれど、著者は福山市立大学名誉教授である。それに、元祖リバータリアンであるアメリカの国民的作家、思想家のアイン・ランド研究の第一人者である。その彼女が、多くの自己啓発本を読んだが、低スペック女子向けの自己啓発本が無いので自ら書くことにしたという。それが本書だ。
この本は藤森さんが、膨大な書物を読み、66年というこれまでの人生で体験して得た多くの事を、まだ世間を知らない女性たちに、同じ轍を踏まないように、多くの世の中の真実を伝え、さらに生き抜く術と知恵を授けてくれる教科書だと私は思う。
本書の初版は2019年12月10日だ。
著者が本を書いた時の年齢が66歳。現在の私の年齢と同じなのだが、目的を持って膨大な数の読書をした人と、行き当たりばったりでぼんやり何冊か読書した人(私)の差を大いに感じる。
あとがきで藤森さんは一冊の本を書くのは初めてで、大変だったと吐露している。
これだけ微に入り細に入り、女性の青年期から老年期に至るまでのあらゆる事を網羅するのは、並大抵のことではない。世界を日本社会を俯瞰し、過去の歴史を紐解き、関連図書を紹介し、等など中身の濃さに私は圧倒された。
最近、本を読みながら感銘した言葉や、新しく出会った言葉などをノートに書き出すようにしているのだが、大抵の本は、1~2ページもあれば十分だった。しかし、この本に関しては7ページに渡って書きとめることがあった。読みながらまるで大学の講義を受けているかのような気分になった。
本書は3部構成になっている。
part1 苦闘青春期(37歳まで)
part2 過労消耗中年期(65歳まで)
part3 匍匐前進老年期(死ぬまで)
part1から読み始めたが、「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたは」と繰り返される文章に少々辟易し、もう自分にとって過去になってしまった部分はいいや!と飛ばした。
でも、若い頃にこの本を手にしていたら、もうちょっと利口な生き方ができたかも知れないなあと思う。
part2から真面目に読み始めた。特に更年期に関する部分が気になっていた。
藤森さんの母親は更年期障害がかなり重かったそうで、「備えあれば憂いなし」と、20代の頃から様々な“更年期本”を読んでいたという。
私は更年期障害については激しいめまい、ホットフラッシュ、寝汗等の肉体にあらわれるものばかりだと認識していたのだが、うつ病に似た症状があらわれることは、全く知らなかった。
50代の中頃、楽天家で能天気な私が酷い鬱状態に陥ったことがあった。それが不思議でならなかった。
「落ち込む。やる気が消える。集中力が続かなくなる。急に理解力が落ちたり、わすれっぽくなる。自分がすっかり無能になったような気がする。」これら全てが、あの時の私に合致する。あの時私は更年期障害だったのだ、きっと。
part3、匍匐前進老年期を読むと、「馬鹿ブス貧乏女の強みが発揮される」時期だと書いてある。
「青春期、中年期と、あなたなりに悪戦苦闘したが、所有できたものは慎ましかった」だから「老年期になっても失うものがあまりない」「恃(たの)むものなく生きてきた人間の強み」だという。
なるほど、そうかもしれない。
読後、とりもなおさず、馬鹿ブス貧乏で低スペック女子の成れの果ては私じゃないか。
そんな私に本書は、本を読み続け、死ぬまで学び続け、燃え尽きて死ねと勧めてくれる。そして語学学習は「馬鹿に最適」だという。デュオリンゴ続けよう。
「馬鹿ブス貧乏」この言葉には抵抗があった。ネガティブな言葉だから。
でも、私は頭が良いか?と問われれば、さほど良い方でもない。美人か?美人ではない。金持ちでもない。
馬鹿と利口。ブスと美人。貧乏と金持ち。究極の選択をすれば、多くが「馬鹿ブス貧乏」のカテゴリーに属するのかも知れない。
「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んで下さい」は、タイトル通り女性への愛の詰まったフェミニスト本だ。
読み終わると、ちょっとだけ頭がよくなったような気になった。気のせいだけど…。