親である私にとっては、聞き捨てならないちょっと不快な言葉だ。
「親ガチャ」のガチャは、カプセルトイが出てくるガチャポン(ガシャポン)に由来する。機械からランダムにトイが出て来るので、自分の望んだ物がすんなり出てこない事から、良い親に当たるも悪い親に当たるも運命、親は選べないという事だ。
「親は選べない」とは昔から言われていることだが、無機質なガチャポンの機械に軽く例えられることで、なんだか悲しい気分だ。若者たちにとっては、「そんな深刻に捉えてもらっても困るわ」という感覚だとは思うけれど…。
親が子供に理想を描くように、子供も同様に「こんな親だったら良かったのに」という思いはあるだろう。
実際のところ、私もそうだった。
小学校の低学年の時には、理想とする父親像があった。
その頃、海外ドラマや洋画が大好きだった私は、それらに出てくる“Dad”が憧れだった。
明るくハンサムでカッコ良く、子供のトラブルに的確なアドバイスを与え、誤ったことをした時にぶったり、頭ごなしに叱りつけたりせずに、目を見つめじっくり子どもの話に耳を傾ける、そんな父親。
私の父は、その対極にある人だった。
シラフの時は寡黙。日常の姿はシャツとステテコの下着姿。テレビの前の床にゴロリと横になり、片ひじに頭を乗せて、テレビでスポーツ番組などを見ている姿が今も記憶に残る。
余談だが、先日映画「あまろっく」を観に行って、父親役の松尾諭さんがテレビの前にゴロッと横になった姿を見て、父を思い出し、胸が熱くなった。
小さい時は父に良く怒鳴られ、ぶたれた。言葉より先に手が出てしまう父だった。
酔って乱れた姿をよくさらした。ヘマもした。酔っ払った父が私は本当に嫌だった。
誤解のないように弁護すると、父はその当時で言えば、ごく普通の良識を持った大人だった。
幼い頃は気づかなかったけれど、私にかける愛情は人並み以上だったと、今頃強く感じている。
ただ、世間知らずの少女であった私が思い描く「理想の父親像」からかけ離れていただけの事だ。
今になって思うのは、父が私に示したアレコレは、どれだけ私の人生の教訓になった事か知れない。
父に怒鳴られたり、ぶたれたりした事は、社会人になってから私の強みになった。
さすがに職場でぶたれるような場面は生じないが、顧客から怒鳴られてもビビる事もひるむ事も無かった。
また、自分がヘマを犯してしまった時、パニックになることも無く、事態を解決する為に動く事が出来た。それもこれも、父を見ていて知らぬ間に学んだ事が、生きたという事だと思う。
言い換えれば、子供の目の前でヘマをやらかす親は、子供に学びの機会を与える事にもなると思うのである。
父の子供である私もまた、私の子供たちの前でどれだけ多くのドジをやらかした事か。子供たちは私を見て、あきれていたと思う。
きっと私も、子供たちの「理想の母親」からは大きくかけ離れた母親だったと思う。それと同時に、私がやらかしてしまった事態を収拾する姿も見て、学んでいる事と思う。
幼い私が抱いた父親への理想の親像は、幻想だ。実際に、そんな素敵な理想の親もいるかも知れないが。
生きるという事は、私にとっては泥臭い事である。現実世界はそんなに美しいものじゃない。泥臭い父に育てられたからこそ、色々とピンチを切り抜ける、「生きる術」を身につけることが出来たのだと思う。
親ガチャで「ハズレたー」と思っても、親からは多くの事を学べる。反面教師と言う言葉もある様に。
親は子供の最も近くにいる生きた“模範”だ。
自分の子育てについて、私も含めて多くの人が「正しく育てられたか」と振り返る事がある。
子育て中は立ち止まって考えている暇もなく、頭の中も、身体も大忙しだった。必死の毎日の中で、一日一日を何とか終わらせホッとする日々の連続。
それにジャッジを下す時、正解も間違いも無いのじゃないたろうか。一生懸命やって来た、それだけで良いのだ。今ではそう思っている。
そんな風に駆け抜けてきたが、私が生き方の模範としていたのはいつも父だった。子供は親の背中を見て育つ、それはそのまんま私の生き方だ。父に恥ずかしくない様に生きる。これに尽きる。