夫はいつも通り、居間のパーソナルチェアに座って、スマホをいじっていた。
珍しくテレビは消えていて、静かでのどかな昼下がりである。
洗面台で、こぼさないように化粧品の容器に袋の中身を慎重に入れる。とろみのある乳液は袋の中からどんどん流れ落ち、残りがそろそろ無くなりそうだ。早く終わらせたくて、袋をギュッと絞った。すると思いがけず大きな音が響いた。
「ブリッ!ブリブリブリ〜ッ」と。
その音はまるで…言わずもがな。
こんな大きな音だもの、居間にいる夫にも
絶対に聞こえたはずだ。勘違いするのじゃないかと、一瞬思った。
こんな時若かったら、音が出た途端大爆笑して、「おならじゃないからね〜」と洗面台から叫ぶところなのだが…もはやそんな弁解を必要とする年でも無いかとも思い、何も言わなかった。
最近少し耳の遠くなった夫にも、絶対に聞こえていたと思われるあの音。
しかし夫は無言のままだった。長年連れ添った妻のオナラなど、もはや文字通り“へとも思わない”のだろう。
子供たちでもいれば、大爆笑間違い無しのこんなまたとない機会に、老夫婦の日常は何事も無かったかのように、静かに過ぎていくのである。