ポジティブな私 ポジ人

皿に残ったはちみつから

お昼時に、前日に焼いて冷凍しておいたホットケーキをレンジで温めた。ホカホカのホットケーキに、贅沢に蜂蜜をたっぷりとかけた。

食べ終えて、フォークとナイフを皿の上に揃えておいた時、蜂蜜が皿の上に少し残っているのに気付いた。大した量じゃない。小さなスプーン半分にもならない量だ。

それを見つめながら考えた。身体の小さな蜜蜂が何匹集めた量なのだろうかと。10匹だろうか、いやそれ以上かも。あの小さな身体で1日中飛び回って集めた花の蜜。
そう考えると、皿の上の取るに足らない量の蜂蜜も、非常に貴重に思えた。

私は皿の上に残った蜂蜜を、人差し指ですくって、なめた。

それで思い出したことがあった。
随分前にテレビで見た、田舎で自給自足の生活を送る家族のドキュメンタリー。その中で強烈に記憶に残っているのが、食事の後の風景だった。

確かお母さんのいない家族だった様な気がする。
座卓を囲んだ父親と子供は二人だったか三人だったか。皆、女の子だったと記憶している。
食事がほぼ終わった頃、全員がおかずの乗っていた皿を持ち上げて、舌で皿をベロベロとなめ始めた。

お父さんが率先して皿をなめる。自給自足で作った物を一粒も、一滴たりとも無駄にしないという父親の考え。皿の上の食材のかけらから調味料の果てまで、全て胃袋に収めるのがその家の掟だった。

一般的な家庭では、食後の皿をべろでなめるのはマナー違反だ。

私も子供の頃よく皿をなめて、父に叱責された。父は食事のマナーには非常に厳しかった。

だから、ドキュメンタリーの中で、家族が皿をなめる光景は、大きな衝撃を受けたのだった。その父親もまた、子供たちに対して厳しそうだった。

今日、私が皿の上に残った蜂蜜をなめて、昔見たドキュメンタリーを思い出したのは、その父親の考え方に相通じる物があったからだと思う。

リアルタイムでテレビを見た時は、食事のマナーを無視した家族の姿の衝撃の方が大きかった。でも今日、皿の蜂蜜をなめた自分と、自給自足をするあの家族が、頭の中で並んで浮かび、父親の思いがより深く理解できた様な気がした。

それにしても、父親と子供たちだけでの自給自足の厳しさは、想像するに余りある。

田畑の手入れや収穫等の農作業、食品の加工、生き物の世話等など、作業にはきりがなく、追われる毎日だ。
子ども達は学校もあるし、父親だけでは到底全てを賄うことは出来ないから、子供たちも当然様々な作業に駆り出されたはずだ。

頑固そうな父親だったし、きっと子供たちは父親に従わざるを得なかっただろう。
子供たちは、皿だけでなく、生きていくことへの辛酸も舐めたのではないだろうか。

幼い頃から人並み外れた苦労と努力を否応なく積み重ねてきた彼らは、その後きっと立派な大人になって、巣立って行ったのだろうと想像される。
きっと父親の教えを胸に、SDGsが求められる現代に即した、逞しい生き方をしているに違いないと思うのだ。





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