ただ「おはよう」と「おやすみ」」の言葉だけは欠かさない。
まれに話すことがあっても、二人共淡白なので、話が広がらずに終わってしまうことが多い。
夫も私も、会話を楽しむという習慣のない家庭で育ったからかも知れない。
そんな二人が今日は珍しく昔話で盛り上がった。
久しぶりに、楽しそうに話す夫の話を聞いて、私も楽しくなった。色々と細かい事を尋ね、話がドンドン広がった。
「過去に何度か話したけどなあ」と言われた話は、私の記憶には無かった。
聞いていたとしても、ちょうど二人の幼子を抱えていた頃だったから、忙しくて聞き流していたかも知れない。
それは夫が40代前後の頃、会社の飲み会の席での話だった。
夫は下戸だから、酔っぱらうということが無い。コップ一杯のビールをせいぜいチビチビとやるくらいだ。
そんな宴会の席で、近くにいた同僚の女性から「〇〇(夫の名前)さんの夢は何ですか」と、質問されたそうだ。その質問に夫は、
「僕の夢はね、白線を引くこと。白線を引く場所は、中学校でもなく、小学校でもない。幼稚園のグラウンドじゃなきゃダメなの。その白線をね、グラウンドに真っ直ぐに引けるのかどうか。引いたその線も、白い色のままなのかのかどうか」確かめてみたい、と答えたという。
その真意は、若い頃のピュアだった心も、世間に揉まれ汚れてしまったかも知れない。初心を忘れたく無い。そういった事を「白線を引く」という事に絡めた話だ。
夢は何ですかと聞かれて、随分カッコつけた回答だなあと思う。女性からの質問だったからだろうか。
その話には続きがあった。
夫が話し終わると、隣のテーブルで話を聞いていた年配の婦人が、駆け寄ってきたという。全く関係の無い人である。たまたま隣で宴会をしていたグループの内の一人だった。
その夫人は夫に
「良いお話を聞かせて頂きました」と言って、感動した様子で夫の手を握ってきたのだと言う。
「手を握ってきたんだからー」と笑いながら話す夫。さぞかし驚いた事だろう。
ところで、昔から夫は何処かで聞いた話を、あたかも自分の事の様に話す”クセ“があった。一種の冗談の類だと本人は思っているようだが、毎回そんな話で騙されていた私は、今回もまた同じ手口でだまそうとしているのではないかと思いながら聞いていた。
「ホントかなあ」と私が言うと、
「ホントに本当だったんだから」と笑いながら言った。何度も繰り返すので、どうやら本人の言葉であることは間違いなさそうだ。
周囲を巻き込んでの夫の「ちょっといい話」。ピュアな夫らしいなと思った。
夫は現在66歳。最後に聞いてみた。
「今だったらどう?白線は真っ直ぐ引けそう?それとも曲がった線?」
私の質問に夫は、
「白線はぐるぐる丸かもね」と答え、笑いの内に話は収まった。
夫はワイドショーを毎日見ながら、日本の政治を毒づいている。そんな繰り言が多い。
「白線はぐるぐる丸かもね」と言った夫。
確かにそうかもなあと思った。