その日動物園に入ると、ライオンが檻の中ではなく、皆が歩く通路の脇に鎖で繋がれていた。
子ども達がおっかなびっくりライオンに触っていた。
少女は、他の子たちがそうしているのを、傍らから羨ましく思いながら見ていたけれど、ライオンに触る勇気が無かった。噛まれるのじゃないかと恐ろしかった。
父親は、少女に向かってこのライオンについて説明した。
「赤ちゃんの頃から人に育てられたライオンだから、怖くないよ」と。それから「さわってごらん」と少女を促した。
少女は緊張していた。でも、ライオンに触ってみたかった。
少し間があってから、少女はゆっくりライオンの側にしゃがむと、勇気を出して、そっと触れてみた。
父親はカメラを構えて少女に声をかけた。少女が顔を上げた瞬間、シャッターを切った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/33/66df763e38ecadc761d62b3d27ec655c.jpg?1700383176)
これがその時の写真。
少女は緊張と恐怖と喜びとがないまぜになって、こんな表情になった。口を半開きにした変な顔だ。
でも、後々になってこの写真が「自慢の一枚」になった。ライオンに触ったことがある人なんて、そうそういないだろうから。
昭和40年初頭。服装を見ると季節は夏だ。
記憶に間違いがなければ、札幌円山動物園での出来事だ。
現在なら人に育てられたという理由だけで、猛獣をこんな無防備に公開する事は、絶対無いだろう。
父親の説明どおりであれば、このライオンは人口哺育で育ち、気性もかなり穏やかなのかも知れない。大きさを見ると、まだ子供で成獣では無いかも知れない。担当の飼育員も恐らく側に付き添っていたのだろう。
それでもこの大きさだと、万一のことがあった場合は、大怪我は免れなかったのではないか。
過去から現在まで、どんなに人に慣れている動物でも、国内外で様々な動物の事故が起きている。大怪我をしたり、最悪の場合は命を落とす人もいる。
そんな動物による事故の事例の蓄積が教訓となって、人によく慣れた動物であっても、完全に安全だとは言い切れないものだと判断せざるを得ない。万一の事を考えると、安易にに不特定多数の一般人に、大型の猛獣類を触らせることは、現代では絶対に出来ない事だ。
今から半世紀以上前の、のんびりとした昭和時代、今では考えられないこんな事がまかり通っていたのだ。その事を批判したいわけじゃない。むしろ、そんな時代に生きていたことを、幸運だと思う。そうでなければ、この一枚は残せなかった。
幸いにも、ライオンにかじられたり襲われたりしなかったからこそ言えるのだけれど…。
ライオンに触るという貴重な体験に背中を押し、写真に残してくれた父親に感謝したい。