食卓用椅子、ソファー、パーソナルチェア。
私が主に座っているのはソファー。パーソナルチェアは、ほぼ夫の専用になっている。
たまに夫がソファーに横になったりすると、私がパーソナルチェアに座ることもあるが、夫がソファーから起き上がると、直ちにどかなくてはならない。
御主人様の椅子からどかされる犬の動画を何度か見かけた。わんこの気持ちがよく分かる。
ほぼ30年来愛用しているソファーは、ヘタリもせずに、しっかりしたものだ。我が家の家具の中では最高額のソファーだが、最近どうも私にとっては座り心地が悪い。
過去に遡れば、私のおしりにあんなにフィットした椅子はなかった。それは父のあぐら。
物心ついた頃から父のあぐらは、私専用の椅子だった。座り心地が良くて、スポッと私のおしりが収まった。背もたれは、父の胸板。父の体温に包まれて、100%の安心感があった。
目の前には、時折麻雀卓に変身するコタツテーブルがあり、お絵描きしたり、時には晩酌のお銚子や肴が並び、父は一杯やりながら、私は肴のご相伴に預かりながら、一緒にテレビを見た。
成長するに従い私の身長は伸び、体重も増え、とうとう父のあぐらは悲鳴を上げるようになり、小学1年生になる前に限界が来てしまった。
父のあぐらに座ることが出来なくなり、私は心地よい居場所を失った。
江戸川乱歩の小説に、「人間椅子」という奇妙な小説があったけど、今考えると、父は私にとって、リアルな“人間椅子”だった。
息子が生後3ヶ月位の頃、あぐらではないけど、私も膝の上に息子を座らせていた。丁度私の目の前に息子の頭がくる。鼻を近づけると、ポヤポヤした頭から独特な赤ん坊の匂いが立ちのぼる。私はその匂いが大好きだった。子育て中は、母親は動物的な本能が蘇るのかも知れない。
母子二人でいる孤独な日中に、私はひたすら息子の頭の匂いを嗅いで、安心感を得ていた。
こうして私も子供たちを膝に乗せ、時にはあぐらをかいて、息子や娘を座らせたが、二人とも、私のあぐらに執着することは無かった。
ただ一度、娘が私のあぐらに長く座っていた時があった。やがて私の足は娘の重さにしびれを感じ、その時初めて、ああ、父もこんな風に私の重みを感じたのだなあと、実感したのだった。
当たり前のように父のあぐらにドッカリ座っていた日々を思い出しながら、ちょっと申し訳なく、また、あんなにもフィットする”椅子“はあの時依頼無いと恋しく思うのだ。